難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

「壬申の乱」 を訪ねて 1日目 

2021年02月01日 | 歴史

壬申の乱の史実を求めて。

   平成27年 5月18日
   追記 令和3年 1月15日

 百済(くだら) 「白村江の戦い」(はくすきのえ)で、
唐(とう)と、新羅(しらぎ)の連合軍に惨敗してしまった
倭国(やまと)が、唐軍の侵略を恐れて、大和 飛鳥の宮を
逃げ出し、近江に、大津の宮を作り、それから5年後の、
天智天皇=中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と、
大海人皇子(おおあまのおおじ)の兄弟喧嘩=
壬申の乱(じんしんのらん)を体感するための散策です。

(旧跡をウロウロするだけで、分かるかいな?)

<乱の経過>

1〉大海人皇子 と 鸕野讚良姫(うののさららひめ)が、
  中大兄皇子=天智天皇と決別し、吉野へ。

2〉天智天皇の崩御の後、天智天皇の後継者、大友の王子の
  軍を恐れて、吉野から脱出、三重、岐阜へ。

3〉大友の軍、近江軍の東国への進出を抑えるため、関ヶ原の
  不破を占拠。 

 不破の関の戦いそして、初戦の勝利。

4〉近江軍、敗退、大津宮までの数回の戦い。
  大津 瀬田の唐橋での、最終決戦。

1〉、2〉、3〉、4〉 の史実を求めて、
 大海人皇子と鸕野讚良姫が、大津京を逃げ出し、吉野、
 三重、岐阜の逃避行を、出来るだけ史実通りに、
 愛車のLIFEで辿ります。3泊4日の小旅行へ。



平成27年5月12日

「壬申の乱」を訪ねて、1日目

 まず、大海人皇子が、病床の天智天皇から、後継を
求められたとき、策謀と感じ、病気を理由に、出家隠居を
申し出、鸕野讚良姫や、身の回りのほんの少人数で、吉野へ、
旅立た。(逃げた。)

 <その道順>
 大津の宮から→木津→奈良→飛鳥→芋ヶ峠→吉野の宮を
愛車、ホンダ LIFEで辿りました。

大津市歴史博物館:
 先ずその地元で、資料を見させて頂くのがよかろう。
今日は、火曜日だから、休館日じゃ無いだろうね?
良かった、開いていました。バンザイ幸先がいい。


 博物館から、大津市 琵琶湖が一望できました。
 

  大津が時代毎に詳しい史料と共に展示され、良く整備された
博物館と思えました。
特に、大津宮の史料が豊富に展示され、有り難かった。
 発掘調査の資料から復元された大津の宮が展示されて
いたのですが、大津の宮が、飛鳥の宮から移ってきて、
たった5年間。これ程の大きさと、出来上がりは想像
できませんでした。
当時の、建築力に感嘆させられました。
 白村江の戦いでの、惨敗により、唐からの侵略恐怖が、
いかほどのものか、良くわかる気がしました。
 復元図と現在の地図が重ね合わされており、大極殿も想定
されており、発掘調査された場所も何ヵ所か記載されて
いました。
 だけれども、大阪 「難波の宮跡」や、奈良の「藤原京跡」、
九州福岡の「大宰府跡」を見てきた私には、
「え?これだけしか発掘調査されていないの。」
と思えてしまいました。

 大津市歴史博物館を出て、大津の宮跡、錦織遺跡に車で移動。

 大津の宮跡の先に、山の斜面があり、そこが、戦前の
昭和15年に設立された、天智天皇を祀るために創設された、
近江神宮です。駐車料金は無料でした。
 ここが、近江神宮に設定されたのは、その当時、一部の
学者は、大津の宮の存在に疑問を持って語られていた時代に、
何か根拠が在ったんでしょうか?
 拝観者はとても少なかったので、ゆっくり拝観お詣りさせて
頂きました。この頃を見計らって、台風6号の影響で、雨が
振り出し、おおーい! 
ゆっくり参拝させて頂きたかったんですが。






 近江神宮の次に、直ぐ手前に在る、錦織遺跡に
行きました。
駐車場をすぐ見つけ駐車。
 5台が停めれる位の、小さな駐車場でした。
ここも、無料でした。


 史跡の中に額田王姫の歌碑がありました。

 君待つと わが恋ひおれば わがやどの
  簾動かし 秋の風吹く

 君待登吾戀居者我屋戸之簾動之秋風吹 

 君を待ち 慕わしく思っていたところ
  簾が動きましたので もしか貴方が... 
  けれど 秋風が吹いただけでしたの

 絶世の美女、額田王姫が、天智天皇の来訪(夜這い)を
 願って 書かれた万葉歌ですね。

 中学時代に担任の社会科の清水先生に、教えてもらった
記憶があり、チャラけた歌と思っていたのですが、
違うかもしれません。
 理由は分からないのですが、この歌は、万葉集の4巻と
8巻に、同じ内容で、掲載されていたのです。
もちろん、重複の歌は非常に珍しいらしいのです。
 この歌を、天智天皇が生きている時に作られたか、
死後の作られたかで、随分違ってきますよね。
 もし死後に作られたのならば、夫を亡くした、額田王姫が、
その寂しい思いを、歌にした、ドラマそのものですね。
宝塚歌劇で演じてもらいたい程ですよね。

 額田王姫の歌で、一番有名なのは、あの恋歌
 あかねさす 紫野行き 標野行き
  野守りは見ずや 君が袖振る

 ですよね。
 でも、万葉集を勉強して、そんなチャラけた恋歌では
ありませんでした。「反戦歌」だったのです。

 「額田王姫へ、君が袖振る」を是非!
 ご覧ください、きっと貴方も、額田王姫に心奪われ、
恋してしまわれます。

 錦織遺跡の標石がありました。




 台風6号のせいで、午前中なのに暗くなり撮影困難
 住宅地ですから、ストロボは使えませんよね。


 発掘場所を捜して付近を見て歩きました。
その辺りは、今風な6LDK以上の、邸宅が立ち並ぶ高級
住宅街で。ポツポツと数ヶ所空き地になっており、
それぞれの家一軒分が、数か所発掘された、遺跡でした。
 雨と風が段々強くなりだし、傘を差しながらのスマホ
撮影の難しさを身に染みて感じられました。
私のスマホは防水ではないので、雨に濡らすことは絶対に
できません。大津の宮跡が何故数ヶ所ポツポツと在るの
かは、来て見て良く解りました。
「この6LDK以上の、邸宅街を、どうしろと言うのか?、
 家を潰して発掘調査を誰がしろと言うのか?」

という声が聞こえてきそうです。
地元の人に取れば、これ程の迷惑な話はないと想像されます。
私の様なスマホを構えて、ウロウロする人は、地元では
不審者以外の何者でもないと思えました。          



 最近、東京にいる大学時代の友達と、一緒に住み出した、
娘 あんなと、LINE会話


「彼と喧嘩せずにやってる? 父さんは楽しみにしていた
 「 壬申の乱」探訪。
 15日まで 大津の宮、吉野の宮、不破の関巡り。」

アンナ
「ケンカしたり仲直りしたりしてるよ。
 歴史探訪、いいね。楽しいんで!」

「大津の宮跡散策中、台風6号の雨が激しく成ってきました。
 写真が取れない。 (/_;)/~~」

「こっちは(東京)まだ降ってないけど風は強いよ。
 バッチリ台風の時期とかぶったね 笑」

「近江地方は、大雨 洪水注意報発令中。
 天武天皇の道を巡る旅。
 天智天皇の祟りか!!??」

「ほんとうに気をつけてね?」



 午後から、台風6号の影響がより強くなり、大雨洪水注意報が
発令されました。
 大海人皇子と、鸕野讚良姫の道順をたどり、大津の宮から、
山科、宇治、木津、 奈良へ。雨は激しくなりましたが、
この程度なら。明日は晴れるだろうからと、良いように納得。
この時は次の日の、芋ヶ峠が、少しも想像できづ、気楽な
ものでした。

  一泊目は、吉野に近いところに、宿を探したのですが、
やはり、5月の旅行シーズン、NETでは見つからず、
何度か利用している、大和郡山のサンホテルを利用。
此処も、シングルはイッパイで二人部屋を一人で使う
ことで、ようやく部屋を取れました。
部屋代が少し高くなったかな、敷地内の駐車場も一杯で、
近くのコインパーキングを紹介されました。
 以前泊まった時このホテルで夜食の居酒屋を紹介して
頂いたのですが、確かに、安心して静に飲める店で
良かったのですが、旅で、「何かの楽しみ、出逢い」を
求めるのが私の旅行ですから、それだけジャーね。!!
  持参PCで付近の居酒屋を検索。ホテルからそれほど、
遠く無いところに、1軒発見。居酒屋「おねえ」近くまで
行って、吟味。
 地元の人が使う気楽な雰囲気。中に入って、予想通り。
中には、地元の常連サンが数人、カウンターを囲んで
のんびりと、たわいない話をされており。女将さん
(お姉さん)がニコニコと相手をされていました。
普通の付き出しと、生ビールでのんびりと話しに
混ぜてっもらって愉しくすごせました。
常連サンから、ここの、餃子は美味しいからと
進められ、注文。注文を聴いてから、餃子の皮に
具を詰めて、焼いてくれ、確かに、美味しかった。
頃合いを見て、お勘定、三千円チョッと。満足して、
ホテルに帰りました。



 平成27年5月13日「壬申の乱」を訪ねて 2日目



 平成27年5月14日「壬申の乱」を訪ねて 3日目



平成27年5月15日「壬申の乱」を訪ねて 4日目



「額田王姫へ、君が袖振る」
  恋歌 ⇒ 反戦歌です。



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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。



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