見出し画像

日々のスピリチュアル日記です。

過去秋田での聖母マリアの警告。

毎日暑い日が続き、皆様お体は大丈夫でしょうか?
私は10日程前から軽い吐き気が1週間程続き、ダウンしてアルバイトを休みました。周りにも疲労蓄積で休む人がいたり、若くても体調不良で定時退社を願い出る人もチラホラ。

体には十分な休みか必要な酷暑。
皆様も無理をなさらずお過ごし下さい。

本日は↓この動画ニュースから。
米議会の異様さを見て頂きたいと思います。
 

ジェノサイドを行う者に向かってこの拍手の嵐。米議会が完全に毒されているのが解ると思います。国民の意志から乖離した議会は国民の命を犠牲の駒として使う気満々です。偽ユダヤや支配層はそういう輩。

私は、日本の迷走を止める為にも、偽ユダヤとその背後のヨーロッパ特権階級勢が弱体化する事を心から願っていますし、過去に彼等が世界に成した搾取や虐◯行為による罪の責任は彼等に逆流し、何れ「自滅する事は決定事項」だと繰り言ってきました。何度でも断言します。彼等は◯魔崇拝者だからこそ終わるのです。

彼等が聖書通りに物事を進めていると言う人々もいますが、それなら尚更、神への反逆計画は失敗に終わり創造主の前に許しを乞う様になる事を、彼等は誰よりも良く知っています。

しかしこれは、彼等の敗北への過程の中、彼等の作った社会に便乗した私達にとっても艱難の時代となる事を意味しています。

過去の日記でも書いていますが、福島原発事故の際に嘆き祈った私への、主キリストの答えは、
「全ては手遅れ」
「これが貴方達が選択した結果なのだ」

と仰り、子供達を1人1人抱きしめ歩く主キリストのビジョンを見せてくれました。

多分チェルノブイリ原発事故の時も、主キリストの心は同じだったと思います。

私達はこれから個人としての過去と同様に、日本人としても世界の1人としての過去の責任も問われる時代に入っていると思います。
しかし、自分の分に応じて良心を曇らせず、エゴに溺れぬ様自らを戒めながら生きる事を積み重ねた人々には、艱難は僅かでも緩むと信じます。

カトリックに認められたビジョンでは無いのですが、今イラクとイスラエルの間の戦争の火種とは別に、中国と米国の間に経済的争いが生じ、中国が争いの矛先をヨーロッパに向け、攻め入るビジョンを30年以上前に見ている方の話かあります。

他にもカトリック非公式幻視者の話。30年以上前にヨーロッパのライン川が血に染まると言う古い預言があるのを知っていますし、その戦争の後に偽りの平和が25年程続くと言う話も聞いています。

そして、昨今は「大天罰」というものがある事は、陰謀論界隈でも扱われるのを時々目にします。

この「大天罰」を和らげて下さいと、30年以上前から古いカトリック信者は祈ってきた訳です。祈りつつ天に帰られた方々は、今も神の御前で生きる人々の為に共に祈ってくださいます。

「大天罰」は恐らくポールシフトや彗星衝突が該当すると思われますが、やはり公認されていない幻視者が、
「航空機が宙に浮いたまま止まる」
というビジョンを見ています。
「暗黒の3日間」もこの流れの中に含まれるのかとも思います。

これは私の勝手な解釈でしか無いのですが、「大天罰」に関して少し前迄はまだ時間はあるような感覚でいたのですが、最近ではその時が早まってしまったか、早まる様に介入した者がいるのではないかと懸念すると共に、25年続く「偽りの平和」の解釈を私が間違っているのではないかと時間的な混乱も感じ始めています。

後に記す秋田の聖母マリアの警告も、ファティマの聖母マリア警告も、預言である以上祈りによって回避やダメージを和らげる事が出来るのが前提です。

カトリックを出た私にとっては、今置かれている日本の先行きの為に祈りたい思いが第1であり、民族的にも嘗て神々が御足を置き八百万の神々が守り育んで下さった日本が海に沈まぬ様、次世代が生き残り高き霊性を取り戻して日本を再建してくれる事を願っています。

とは言え・・・・幻視者の話に戻ります。
前記の非公認幻視者のカトリック系のビジョンを信じる事は、未信者の方々には難しい事と思いますので、聖母マリアが修道女を通して日本人に語りかけて下さった警告をお知らせして置きます。これは聖母マリア像が涙を流し、カトリックでも認められた聖母マリアの警告です。




秋田の聖母マリア - Wikipedia

秋田の聖母マリア - Wikipedia


↑Wikipediaが長文なので預言欄だけ見て頂ければ流れは解ると思います。
ファティマばかりがクローズupされますが、日本人に向けても聖母マリアは警告して下さっていた事を皆様に知って頂ければと思います。

脅し煽っているのでは無く、目まぐるしい世界の動きの中、聖母マリアを始め神々は人々を助けたい思いでいらっしゃる事、世間の価値観に惑わされ、迷い戸惑う時に持って産まれた良心に立ち返る為の助け、そして避難所が神々の元にある事を、非常に難しい時代だからこそ皆様に記憶して頂きたいと願っています。

信仰というものは、人を通しまた尊敬出来る聖職者を通し学ぶものと思う方が大半ですが、私の経験上、人を見ない事も必要と確信しています。知識は後から付いてきますし、祈り始めれば神々は知識を備える道へと導いて下さいます。

また、信仰者を真似る祈りの行動はある意味学びの最短の道ではありますが、形が整う頃に人を通して害ある話で壊されたり、完璧な信者と思われる人の人間的負の一面を見せられ躓く事もあります。人に傾倒するのと信仰は別物です。
宗教集団内で自由意志の「NO」を言えなくなる事は危険域に入っています。

信仰は神と自分の関係絆が全てです。きっかけが人間であろうと、自分の心に神を感じる事、愛され慈しまれている事を受け取れたら、それを積み重ねられる様短い祈りでも重ねる事です。

反発する気持ちがあれば、少し休み離れても良いのです。
「祈りたい」と思う時に帰れば良いのです。

その「祈りたい」と思う心は、神々が
「助けたい」「いらっしゃい」
と招いておられる印です。

神々はそうした私達1人1人の関係性に存在するのであって、宗教団体の歪みや集団威圧からも守って下さいます。

私の「信仰の土台」は泥の中で喘ぐエゴたっぷりの私を、上記の様に聖母マリアが何度も何度も招き、丁寧に諦め無い愛で育てて下さった結果賜ったものです。
今も泥とエゴの中の私ですが、私の頂いた神々や聖母の慈悲深さや愛が私だけで止まらぬ様にお伝え出来ればと思います。













日々のスピリチュアル日記です。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事