キリスト教に繋がる話しとして↓下の様な話がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/94/4b3955698b5e2e7dee5f61a1a5327be5.jpg?1671208736)
編集が効かないので無駄な部分も入ってしまったが、私の知る限り要約すると、終末期患難時に信徒が空中に引き上げられ、再臨したキリストに会い、患難が過ぎ去った後に地に再び降ろされるという説。
私は自分が生きている間に、こんな事はおこらないと洗礼を受けてからも思っていたが、長く生きているうちに、カトリック非公認幻視者の情報や撮影された写真(聖母出現時にたまたま撮影された写真)で空中に上げられた人々が写りこんだ物を見た事がある。
自分でもビジョンや祈りの後に示唆される神や聖母の返答に触れられる様になってから、長い信徒としての暮らしでその蓄積された情報と、数年前には時代の憂いを嘆きながら与ったミサ後に聞こえた
「終わりの始まり」という言葉で
終末的様相が深まるに連れ、過去の情報が少しづつ携挙に繋がってきた。
今の私は宇宙的視野を取り込んでいるので、カトリックの敷居は高く、以前のような聖域に対する不敬から教会に行く事は控えているが、
過去から薄々、「そうなんじゃないか」と思う事がこの携挙にあった。
ここからは、完全な私の妄想として流し読みをして欲しい。
人は何れ半霊的存在になり、地球は幾つかに分離される。
携挙とは、狭くキリスト教内で示唆された事であってアセンションの事ではないか。
携挙で人々が空に挙げられるというのは、分離に乗る事で、ある人のブログで拾った情報の、「新しい地球は6M上に上がる」と言うのも、なんとなく携挙を身近に聞いていた私には違和感がない。
仏教でも、仏様の頭頂部にある2段になった髪結部分を指して、頭部から新しい地球が産まれると言う話を聞いた事がある。
正統宗教から見ればとんでも発言だけれど、若い頃からの情報を、宇宙的視野を取り込んだこの10年に、私は頭の隅でマッチングさせ思考していたりする。
完全アセンションも携挙も、私が生きている間には相変わらず起こらないと思っているけれど、人に害を加える者が自滅する様を見る事無く、地球分離によって成されるなら幸いかもしれない。パラレルワールド、アセンション等の話は、自己寿命に照らし合わせれば必要のない情報なのだけれど・・
私がお勧めしたいのは、何かしらの意識体の移行が行われる日が来るとしても、とんでも言説に惑わされず、安全な道行でありたいと願うならば、神々様との繋がりを持つ事が確実だと思う。
あれこれ情報を取り込んだ末に、その情報を理解しない者を見下す発言をしたり、期限付きの煽りで恐れさせ集客する者に従うのでは無く、慈愛を与えてくれる神々に繋がりを保ちながら、どんな変革の時代も進む道行の方が確実だと思う。
多くの知識が無くとも、小さき者でも、社会的立場がどうあろうと、神々から受けた愛を他者に分け与える気持ちを失わなければ、神々が良い導きを与え新しい地球に行けるのだと、私は思っている。
クリスマスが近づき、賑わいを感じる季節に水をさす様で申し訳ない話をしてしまうが、24日の夜までのクリスチャンは霊的には苦戦する時期に当たる。待降節と言って、救世主の誕生を待つ一月は、トラブルに見舞われがち。
それ相応の霊的攻撃を感じる。
それによって身を清める様な霊的作用があると共に霊的成長も見込める。
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