だから誰に対しても気兼ねする事なく、思う儘に書きたい時に記録する日記だった。
しかし、宇宙意識の必要性とツイレイの葛藤の繰り返しは、結局真我を生きる事に繋がり、自身で神々の「愛・慈しみ」を伝えたい願いへと導かれていった。
私の本筋は宇宙創造主の愛のエネルギーを求める事に尽きるが、blogを拡大したのも「伝え残す」事が私の魂を慈しみ育ててくれた神々への感謝であり、自身が媒体となって宇宙意識を求める人にも神々様の愛に触れて貰いたい願望が表に出てきた。
今後は私の願望に添った事も増えていくと思う。
カトリック癖の自己犠牲が長かった私は「自己を愛す」事が徹底的に不足していた。それを補修する為に、
自分を愛し犠牲にしないと宣言し
今までの耐えた自分に感謝し
自分が幸せになる事を自分に許可し
自分が人に助けられる事を許可し
自分が満たされる事を自分に許可し
神々様に育てられた自分の価値を認め
同時に
生きてきた日々を形成してくれた全ての人に感謝し
体を伝えてくれた祖先に感謝を繰り返す
許可の部分はカトリックに反する姿勢に他ならないが、宇宙意識や真我を生きる為にはもはや心のブロックでしかない。
感謝の部分は
今日の自分を心で有りの儘に認めるなら、出会った人々は自分を形成する為に存在してくれたのだと・・・。
個別には思い出したく無い人もいる。
しかし、それも魂を成長させる為に必要な学びだった・・・と感謝できる様に。
何日も何日も、何れくらい続けたろう・・・。
私は人に「助けて」を言える様になり、実際助けてもらった。
ハ―トチャクラは正直で、上の言葉を発すると暖かく開いた。
そして今日、かつて祈りの際に神の強い光で浄化され見せられた真我とも言える自身の魂が、意識の表に出てきて私に語りかけてきた。
「ありがとう。愛してる。
辛い思いをさせてごめんね。」
しきりに繰り返してくれる。
ハ―トチャクラは暖かい。
私の本心のほぼ完全版が登場し自由を得た様だ。自身で覆った偽りの仮面が剥がれ落ちた瞬間でもあった。
現世を肉体で生きる為、人は魂の望みをどれだけ押し殺して生きているのだろう。
御本人の承諾を頂けていないが、この方のblog↓には大変お世話になっている。
知識のみならず、宇宙意識を探る私にタイムリーな記事を提供して下さる。
社会的には絶望的な状況になって、そこからが未来を目指す新しい自分の始点だと・・・自身に起きた事を理解、確信させて下さる「助け舟」。
感謝しています。
(勝手にリブログ、すみません)
私も・・・こう有りたいと思う。