ある方の鏡活用で身を守る方法を知り、試し、数時間で身体と思考の回復でかなり楽になれた。
上記の事は、朝から重苦しい身体に慣れてしまっていた自分が嘗ての動き安い身体を実感し、何れだけ霊障を受けていたのかを改めて知らされた。また、神々に祈る気力をかなり妨害されていた事も実感していた。
長期に渡る生き霊被害に関しては、定期に除霊動画で丁寧に返すようにしていたが、クリスチャンであった頃にはこんなに苦しむ事はなかったし、教えとして
「救済を必要とする人程、攻撃してくる」
というものがあって、スル―するより相手の為に祈る・・が手法だった。
しかし、今の私は教会を出ている者。
しかもキリストの体である聖体(ホスチア)を頂けない身で、嘗てのカトリック信徒的聖性は地に落ちている。
生き霊に付随している魔がサタン系で強く、エリア的な意味に置いて魔に対する防備は不十分。
困ったものだと思っている。
それでも、被害が軽減されると神々様への祝詞や真言、ロザリオはハ―トチャクラが開き胸から沸き上がる様になれた。
私的意向をもって《毘沙門天様》への真言を数日前から始めたのだけれど、口ごもるようにしていた真言は今日は滑る様に高速度で口をつき、真言が吸い上げられる様な感覚があった。《毘沙門天様》に繋がりを感じる事ができ、私個人の意向をお伝えする事ができた。
「引き受けた」のお言葉に涙がでた。
多分、吉祥天様がお繋ぎ下さったのだと思う。感謝、感謝。
エネルギーワ―クは十分なロザリオ、真言やお経、若しくは祝詞、をしない限り手を出さない状態が続いていたが、昨日は十分に出来たので今日も・・・と思いきや。
鮮明な言葉が投げ込まれる様に聞こえ、一瞬にして思考が破壊された。
「神々の御加護を十分に受けても、無駄だ」
心がザワザワして、思考出来なくなり集中出来ない。
ワ―クを続けようとするが、無理だった。
ワ―クを放棄し、心のザワつきが収まる迄時間を置き、思考の経過を振り返り、結果を冷静に見るとやはりサタン系の妨害だと判断した。
過去カトリックとして生きた日々に、生き霊の被害を感じた事はなかった。私が生き霊被害を受け始めたのは、教会を離れミサで頂ける聖体(ホスチア)を受け取れなくなってから。
そして、神々様を通して見る霊界には管轄エリアの違いがあると感じている。
宗教的な意見は人それぞれと思うが、私はやはり主キリストはかなり強い神であり、その教えの厳格さによりカトリック信徒は弱々しく見えながらもかなり高レベルの霊戦を生き抜いていると感じる。
魔は人の一番弱いところを虎視眈々と狙っているし、魔は魔で強く狡猾で、一瞬で人の思考を混乱させ不安や恐怖に引きずり込む。
神々に時間をかけ祈り、部屋に結界をはり準備しても、魔はこちらの警戒を知っているから安心した効果的タイミングで思考を壊す言葉を投げ込んでくる。
カトリックでは復活祭(イ―スター)迄あと少し。信徒は約一月前から四旬節として祈りの準備を始め、身を浄める時期。
↑に記した妨害は、カトリックとしての過去があり、かつて救霊の日々を過ごしたにも関わらず、浄めの時期に何ら準備もしない為に身に起こった事だと思う。
こういう事は神の許し無く起こる事はない。
解明すると。
・ロザリオしてるのに、主キリストの復活や四旬節はスル―するの?
・灰の水曜日だけど覚えてる?(断食の日、ずっとしてないよね)
・聖母に頼み事ばかりして、主キリストはガン無視で良いの?
を知らせる為に起こった警告。
《十字架の道行きの祈り》というものがある。キリストが十字架上で罪人としての扱いで亡くなり復活する迄を祈りで辿るもの。
私はもうカトリック信徒と名乗れる立場では無いけれど、復活祭迄はこの祈りを続け、今後の魔への防御策を考えようと思う。
お世話になっていながら、育ての親に失礼な自分を反省。
卵を茹でて色染めしたり、ラッピングした昔が懐かしい・・・。