初め、目に止まったのは鮮やかなブルーのワンピースと同色の帽子姿の年配の女性で一般人ではあり得ない服装に
「何なんだ?」
《目が点に》になる程驚き見ていると、それは皇女清子さんの御付きの女性でしかなかった。
当時学生だったと思われる皇女は地味な色合いの私服で大人しげな女性だったが、御付きの人がさも「皇女ここにあり」的な目立ち方で、
「寧ろ、目立つ御付きでは皇女は危ないだろう」と感じた程だった。
何故、清子さんの話をするのかと言えば
皇室の行方よりも、皇室の役割を地に落とされる昨今に疑問と不信を感じていた私に、それに対する答えが清子さんである事が今日何となく理解出来た様に感じたから・・・。
清子さんは天照大神に遣える祭主である事を、無知な私は今更ながら今日知った。
皇室の騒ぎがある度に、
「神々様と人との繋がりは、天皇とは別に立ち行くのだろうか?」と霊的な面で人の信じる心を切り離す流れを不安に感じていた。
しかし祭主である清子さんは、人々と神々様を繋ぐ先々に納得のいく存在であり、答えのように思う。
世俗から離れて祈る尼僧や修道女のように、表向きは「静寂」を保ちながら、その祈る姿勢は、恐らく今世の艱難な時に合わせて神々に備えられた「魂」のように私には感じられる。
彼女が祭主である事は、神の立場で無く人として神に仕え、加護を願える最高の役割を果たすのではないかと期待を感じている。
時間は掛かっても、彼女は神々と人とを繋ぐ事に全身全霊をもって祈っているような気がする。
神々様に助けを祈る私には、何となく清子さんに巫女や修道女と同じような性質と、神から頂く御加護の強さを感じる。
彼女が「この為なら」と一点集中した時の貫く力と信じる心の清さを感じる。
いつか、彼女の存在に感謝する人々もいるかもしれない。
私は、疲労感と時間の無さでへたれぎみの日々が続いているが、今日は清子さんに希望が持てて嬉しかった。