本日は山口二矢烈士(れっし)の命日である。山口二矢烈士は昭和35年10月12日、日比谷公会堂で演説中の日本社会党党首の浅沼稲次郎に天誅を下した。
浅沼について山口烈士は「その指導者である浅沼稲次郎委員長は戦前左翼であったが弾圧されると右翼的な組織を作り、戦後左翼的風潮になると恥かしくもなくまた左翼に走り便乗した日和見主義者で、昨年春以前は右派であったが、中共を訪問して「米国は日中共同の敵である」など暴言をなし、その共産党的な実体を暴露し、その頃から益々左傾し一昨年暮には警職法闘争で自ら大衆を煽動し国会乱入を計り、党委員長に就任後は左翼の実質的最高指導者として安保闘争など一連の闘争を指導するなど、その責任からしても生かしておく訳にはいかない男で、浅沼をそのままにしておけば個人的人気もあるところから益々勢力を伸し、彼が身を挺して日本を暴力革命に持って行こうとすることは疑いない」と述べている。(「山口二矢供述調書」より)
そして現行犯逮捕された後、東京少年鑑別所にて昭和35年11月2日、「七生報国 天皇陛下万才」と壁に記し、自決した。享年17。辞世の句は「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ」。
私の知る限り今のところ最後の義挙である。三島由紀夫も「あれ(山口烈士の事)は立派ですよ。(中略)浅沼をやった山口二矢は非常にりっぱだ。あとでちゃんと自決しているからね。あれは日本の伝統にちゃんと従っている。」(三島由紀夫「文化防衛論」第3部学生とのティーチ・インより)三島由紀夫はその10年後自決している。真の忠義が分からない連中は三島由紀夫と森田必勝の自決を義挙だと誤解し、喧伝するがもちろんそれは違う。むろん義挙を為した烈士と自決した烈士には共通点がある。国を思う心だ。それに殉じたのは同じだと言える。だが国を破滅に陥れようとする逆賊に天誅を下す事が義挙なのだとすれば三島のそれは義挙ではない。確かにその死は大きな衝撃を日本人に与えた。でもそれは義挙とは明確に線引きされる。なぜなら、三島の刃は最初から逆賊ではなく、己に向けられていたからだ。
だから山口二矢烈士は現時点で最後の義挙を成し遂げた人なのだ。17歳の少年がたった一人で国賊浅沼に天誅を下し、日本の赤化(共産主義化)を防ぎその後自決した。そのような人物が59年前には日本に確かに存在していたのだ。
しかし、今の日本においても亡国という脅威がもうそこまで近づいているのは確かだ。「国を守る」今こそ山口二矢烈士の精神に学ぶところはあるのではないか?亡国の危機から日本を守る、それこそが彼の悲願だろう。
浅沼について山口烈士は「その指導者である浅沼稲次郎委員長は戦前左翼であったが弾圧されると右翼的な組織を作り、戦後左翼的風潮になると恥かしくもなくまた左翼に走り便乗した日和見主義者で、昨年春以前は右派であったが、中共を訪問して「米国は日中共同の敵である」など暴言をなし、その共産党的な実体を暴露し、その頃から益々左傾し一昨年暮には警職法闘争で自ら大衆を煽動し国会乱入を計り、党委員長に就任後は左翼の実質的最高指導者として安保闘争など一連の闘争を指導するなど、その責任からしても生かしておく訳にはいかない男で、浅沼をそのままにしておけば個人的人気もあるところから益々勢力を伸し、彼が身を挺して日本を暴力革命に持って行こうとすることは疑いない」と述べている。(「山口二矢供述調書」より)
そして現行犯逮捕された後、東京少年鑑別所にて昭和35年11月2日、「七生報国 天皇陛下万才」と壁に記し、自決した。享年17。辞世の句は「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ」。
私の知る限り今のところ最後の義挙である。三島由紀夫も「あれ(山口烈士の事)は立派ですよ。(中略)浅沼をやった山口二矢は非常にりっぱだ。あとでちゃんと自決しているからね。あれは日本の伝統にちゃんと従っている。」(三島由紀夫「文化防衛論」第3部学生とのティーチ・インより)三島由紀夫はその10年後自決している。真の忠義が分からない連中は三島由紀夫と森田必勝の自決を義挙だと誤解し、喧伝するがもちろんそれは違う。むろん義挙を為した烈士と自決した烈士には共通点がある。国を思う心だ。それに殉じたのは同じだと言える。だが国を破滅に陥れようとする逆賊に天誅を下す事が義挙なのだとすれば三島のそれは義挙ではない。確かにその死は大きな衝撃を日本人に与えた。でもそれは義挙とは明確に線引きされる。なぜなら、三島の刃は最初から逆賊ではなく、己に向けられていたからだ。
だから山口二矢烈士は現時点で最後の義挙を成し遂げた人なのだ。17歳の少年がたった一人で国賊浅沼に天誅を下し、日本の赤化(共産主義化)を防ぎその後自決した。そのような人物が59年前には日本に確かに存在していたのだ。
しかし、今の日本においても亡国という脅威がもうそこまで近づいているのは確かだ。「国を守る」今こそ山口二矢烈士の精神に学ぶところはあるのではないか?亡国の危機から日本を守る、それこそが彼の悲願だろう。
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