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並木ハウス
トキワ荘14号室を藤子不二雄の二人に明け渡した手塚治虫が、1954年10月から1957年まで居住して仕事をしていたアパート。
1953年1月建築で、鬼子母神堂の参道にあり、現在は登録有形文化財となっています。
鬼子母神堂の参道
かつて大径のケヤキが多かった鬼子母神堂の参道のケヤキ並木は、徐々に若いケヤキに植え替えられ、今は巨木は4本のみになっています。
[まんが道 (文庫版)・11巻 / P309]
[まんが道 (文庫版)・11巻 / P310-311]
鬼子母神大門をくぐってすぐ、参道右側の路地の奥に並木ハウスはあります。ただ、住人がいるため中には入れません。
手塚氏は2階の一番奥の部屋に住んでいて、6畳間に仕事机のほか、ソファーベッド、茶箪笥、レコードプレーヤー、ピアノなどが置かれていました。
そこに、常時2~3人の編集者が詰めかけ、藤子不二雄Ⓐ氏もよくトキワ荘から原稿書きの手伝いに来ていました。
[まんが道 (文庫版)・12巻 / P8-11]
1955年8月10日、高3の石ノ森章太郎が夏休みを利用して上京し、赤塚不二夫らと仕事をしていた手塚治虫のいる並木ハウスを訪れました。
その時、手塚氏は締め切りを過ぎていて編集者も後ろで待機していましたが、石ノ森氏らと談笑し、即興で似顔絵も描いてくれたそうです。
(左側から、赤塚不二雄、石ノ森章太郎、長谷邦夫)
鬼子母神堂
参道を進むと、日蓮宗の法明寺のお寺で1578(天正6)年に建てられたといわれている鬼子母神堂があります。
鬼子母神はインドの女神で、子供を守る神として崇拝されるが、日本では安産、子育ての神として信仰を集めています。
[まんが道 (文庫版)・11巻 / P315-316]
・東京都豊島区雑司が谷3丁目19-4
※東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」より徒歩1分
編集後記
今日は文化財保護法試行70周年の日のようで、そんな日に登録有形文化財の並木ハウスを紹介するのは何かの導きのようでもあります。
並木ハウスというトキワ荘と同じ時代に存在したアパートが未だ現存していることを考えると、トキワ荘が取り壊されてしまったのが残念でなりません。
鬼子母神堂の参道のケヤキ並木には独特の雰囲気が漂っていて、手塚治虫先生の霊が辺りを未だに散策しているような気分になります――。
【記事/画像引用】「まんが道」 「漫画に愛を叫んだ男たち」