
「放熱への証」アルバムインタビュー
尾崎豊にとって6枚目、そして独立後初のリリースとなったオリジナル・アルバムにして遺作となった「放熱への証」。
本日5月10日は、アルバムの発売日ということで、アルバム最後の曲、『Mama,say good-bye』についての尾崎のインタビューを紹介しますーー。
母親へのレクイエム
最後の『Mama,say good-bye』は、母親のレクイエムのために作った曲。
母の死の報せを聞いた後の自分と、それから思い描いたことを歌ったんだけど、夜電話を受けてハイウェイを飛ばして。
まだ死んだ母に会っていないから、本当に死んだのかどうか、まさか嘘じゃないかと思っていた。もし死んだとしても、まだ生き返るんじゃないかと思っていた。
【鈴の音】
でも、最終的に母の死に直面したときに、鈴 (りん) が聞こえた。
安置室にいる母を見つめて頭を撫でたら、遠くのほうで鈴の音が聞こえてきて、“星になった”という言い方が綺麗だという気がした。
で、2番で“あなたを覚えてきた”というのは、「あなたと暮らしてきたということを覚えてきた」ということなんだけれども、生きていればまだ親子ゲンカや言い合うこともたくさんあったかもしれないし、わかりあえない所もたくさんあったかもしれない。
だけど母親は自分とともに歩いてきた、という。
【帰れる場所】
僕は結構、夜の街に出るのも好きだったし、夜ひとりで身体を鍛えること好きだった。家から飛びだしたかった気持ちが凄くあった。
だけど、夜の路上の片隅にはいつも自分の帰れる場所があった。母の生前には。今は……人間って、結局ひとりなんだという気持ちが強い。
そして、母親が最期に聴いた曲が、デモテープの段階での『太陽の瞳』だった。
生きること。それは日々を告白していくことだろう。
ある意味ではかけがえのない人を失って、「自分ひとりでやっていかなくちゃいけない」という気持ちがすごく強くなった。
僕の半分が無くなったというか、その僕の半分は僕をオブラートのように包んでくれていた存在だったのかもしれない。
【放熱とは生きること】
後に残るのは、僕が覚えてきたものをどれだけ自分のものにするかだけが証になる。
つまり、「放熱」というのは“生きること”で、「証(あ)かす」というのは……キリスト教で、証かすということを“告白する”っていうんです。
で、“Confession For Exist”というサブ・タイトルをつけた。「いいことも悪いこともすべて告白すること」を“証かす”というんです。
宗教用語で言い換えると、“Jesus Christ of Confession For Exist”というのかな。
誕生して、次に生きていることを証明しているから、次はどんなアルバムをつくろうかな (笑) 。

仏界に至るは声聞縁覚より始まる
僕は特定の宗教は持っていないけど、総合的な宗教的な観念というのはあるかもしれない。
仏教には仏界というものがあって、その中には声聞縁覚というのがある。「声聞縁覚」と「証かす」ということは、きっと同じなんだろうという気がする。
今まで、漠然としたものに対して手を合わせたり拝んだりしてきたわけだけれど、母親の納骨の時にお坊さんがお経を上げてくれていて、そこに祀られている神仏なりがあるんだけれども、「そこに自分の母親がいるんだな」と思って、初めてその実体に触れたような気がした。
本当にそこにあるな、あるんだろうなと、つくづく実感した。
その時にふと思いついた言葉というのが、「仏界に至るは声聞縁覚より始まる」という。超個人的な解釈なんだけれど、それが人間における努力の始まりである気がした。
誰の言葉でもなく、その言葉が自分の心の中に沸々と湧いてきた。
【出典】「Album Interview『放熱への証』Confession for Exist」
「放熱への証 / 尾崎豊」