アメリカで安楽死した女性の話題が賛否両論して評論家かキャスターが自分で死を選ぶ物ではないと高圧的に批判していたが冷静に見つめ直して欲しいと思います。近代社会の30年位前からの医療は前にも書きましたが見える医療に成り触診する医療も無くなりパソコンにカルテを打ち込みCTやMRIで見られた画像を中心に患者に説明して手術をするか?薬で散らすか?選択するのは最終的に患者であり医者は決定しない。手術で死んでも医者の責任ではなく患者が死の宣告書にサインをして認めて居るのだから裁判しても厚労省に文句を言いに行ってもカルテを開示して文句を言う変な親子と看護士が書いてあるカルテを平気で有料で開示する心の感覚?医療技術は進歩していない。そんな中で昔なら脳の腫瘍映像は無く痛みに苦しみ死に至る事を事前に見えて痛みを我慢しないで死を選択する事も見える医療に成っているのだから苦しんで数十日生きる事や数年に渡り痛みこらえて意識も無くても特別養護老人ホームで家族も困惑させているのを解っていても死ねない苦しみも生きている人間には解らない事。現在の環境の中で人間味の無い医療で命はペット感覚で子育てしても右に倣えで個性を潰し教育も右に倣えの目標の無い教えを行い今後生きる苦しみを考えれば五体満足の体と頭と神経でも死ぬ事を若い頃に病気じゃなくても選択して良いのではないかと私は近代化の化学力で人間味の無い中での人生だと理解している。危険ドラックにしても覚醒剤にしても死ぬかも知れない恐怖が有っても犯罪を犯してまでの行動をする。他人に迷惑を掛ける事は迷惑な話なので自宅で行うなら死んでも致し方ない事を選択して居るんだから家族も何も責任を負う事で償うしかない。そういう仕組みだから結婚も子作りも家族の責任も持ちたくないから今に至るんです。子だくさんな国には、このような医療や社会や生きる事に不幸せやプレッシャーが無いから子供も多く生まれて居るのではないでしょうか?近代化でも人の心を持って自由を勘違いしなければ素敵な規律有る社会に成ると思う。そのヒントは陰口で昔は癌に成っても家族が本人にも知らせずに密かに色々と本人の事を考えて対処していたが今は保険の宣伝でも、あっけらかんと宣伝している。おおっぴらに言う事が本当に良い事なのか?安楽死問題でも密かに亡くなれば知らぬが仏なのかも知れません。悪い米国の影響です。