※今回は自傷行為についての話がメインになります。推奨するものではありません。また読んで気分を害する可能性があります。閲覧は自己責任でお願い致します。
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私が初めて手首を切ったのは、高校生の時だった。
それまでの私は爪噛みが辞められない子供で、怒られて玄関の土間に立たされる度に髪の毛をこれでもかと抜いて、お母さんが掃除をする時に気づいてくれないかなぁ、こんなに髪の毛抜いてどうしたの、と優しくなってくれないかなぁと期待していたような子供だった。
そんな私が、初めて、自分の左手首に百円のカッターを押し当てて、引いた。死ねると思っていた訳ではない。何を期待していたのかもわからない。それでも私はあの日、学校のトイレの個室に隠れて、そっと、カッターを引いた。
痛いだろうと思っていた。が、それは意に反して痛くも何ともなく、ただ、無性に安心してしまった時にどうしようもなく悲しかった。こんなに生きている。こんなに生きようとしている体の中で、私は、こんなに死にたいと願っているのに、それでも死ねやしない。手首をほんの少し切るくらい、何になるのだ、と。
あの日から、私は左手首を切ることが辞められなくなった。学校も家も辛い場所で、居場所はなかった。夢なのか現実なのか、生きてるのか死んでるのか、分からないような毎日。それを確認する為に、学校でも家でも、トイレや風呂にこっそりとカッターを持ち込んで、握りしめては、隠れて手首を切った。浅くしか切れない自分に失望しながら。それでも溢れ、流れ、滴る赤い熱は私の味方だった。
ある日、母に自傷行為がバレた。それまでも爪噛みを怒られ、高校生になっても耳掃除も爪切りも管理されていた私だ。過保護で過干渉すぎる母は、私の全てを把握しないと気が済まなかったのだと思う。不安が爆発して異常な怒りへと変換させるような人だったから。
「何してるのこれ!!」
怒鳴られた。握りしめられたカッター。奪われたカッター。私は諦めの気持ちの方が大きかったし、疲れていたし、またか、という感情に支配されていたけれど、それでも、腹の奥の奥の奥の奥では、憎しみが燃えていた。どうして私の唯一の救いを奪い取るの。
「なんでママの真似するのよ!!」
なに、それ。と思ったがツッコミはしなかった。要約すれば、かつて母も自傷行為として手首を切っていた、ということだろうが、そんな頃の母を私は知りもしない。だって生まれてなんかいないのだから。だから「ママの真似すんな!」と怒られても、それはただの理不尽だった。が、あの人にそんなことは通じない。私はただただごめんなさいを繰り返した。もうしません、と。
そして次の日、少ないお小遣いの中から百円玉を握りしめて、カッターを買うのだ。また母に見つかり、奪われ、そして買う。それが何度続いたのか分からない。
「大した傷にもならない癖に!」
母は罵った。
「どうせあんたなんか、縫うほど切れる訳じゃないんだから!」
そんなことを言いながら、猫なで声で変な心配をするのだ。
「ねぇ、ピアニストの手首に真っ白な傷痕なんてあったら、みんなびっくりしちゃうじゃない。やめよう?」
私は頷く。やめます。ごめんなさい。そして思う。
ねぇ、おかあさん。私の手首が心配なのは、ピアニストになった後の影響の為なの? おかあさんが好きなのは、私じゃないんだよね。「ピアノの上手い自慢の娘」という私が好きなんでしょ? だから、それを邪魔する出来損ないな私が嫌いなのでしょう? ねぇ。私、死にたいの。ねぇ。そんなこと言ったら、おかあさん、なんて言ってくれるの?
日記には「死にたい」と何度書いたか分からない。が、それすら母は探り当てて、読む。勝手に。そして怒鳴る。
「死にたい癖になんでまだ生きてんの!? ハハハ、ウケる。早く死ねばいいのに。死ねよ、ほら、見ててやるからさぁ!!!」
私に包丁を持たせて、死にたいなんて日記に書いてごめんなさいと震えるのを見て、また笑う。
「情けなぁい」
私は、死にたいと言っても、書いても、手首を切っても、怒られ、でも本気にもされず、そして、笑われる。
だから、やめよう。大丈夫。やめられる。だって昔はやってなかったんだから。
けれど、血が齎す快感を知った私は、大学へ進学して親元を離れ、遠い地での寮生活が始まった途端、自傷行為を繰り返すようになった。何も変わらない。百円のカッターで、浅く、けれども沢山の傷を創る。沢山の赤い線が、私を癒す気がした。
朝に起きられなくなり、記憶が飛ぶようになり、学校に行けなくなり、夜中に自傷行為を繰り返す。不健全な生活の中には、一時的な乖離障害が起こり、自分の体を男へ与えて金銭を得ては、そのうっすらと残る身体の違和感と膨らむお財布から自傷行為を辞められなくなる。そしてそうやって得たお金が気持ち悪くて散財しては、また記憶を失っている間に勝手なビジネスが成り立っていた。
性の汚れは血を流すことで清めなければ。そんな強迫観念から自傷行為は加速し、けれども母の言う通り、縫うほど切れる訳じゃなかった。情けない。母の声が夜中の静けさの中、私の頭の中で響いた。情けない。情けない。情けない。情けない。情けない。
知ってるよ。だから、私は今、自分を罰している。
そしていろんなことがあって、性を売ることは辞め、一人の男性とのお付き合いが始まった。私を真っ直ぐ叱って、自傷行為はやめて、学校に行きなさいと言ってくれた、八歳年上の、大人。今までの大人は皆、自分の勝手でしか私に接しなかったのに。そんな嬉しさから好きでも何でもなかったくせにのめり込んだ。彼の為ならなんでもできる、と十八の小娘がイキがった。
知り合って、初めて会ってから一週間。少しずつ彼は本性を見せ始める。初めて体を重ねる時、「処女?」と訊かれて「違う」と答えると、「なぁんだ、処女だと思ってたのに。まぁいいか」と言われ、そのまま行為は続行した。淫行条例、という言葉が少しだけ過ぎったが今更だし、と諦めた。夜中に関わらず私を呼びつけたりだとか。同じ県内とはいえ、二つ乗り換えて一時間。駅から歩いて二十分。一度、終電を逃して三時間歩いたこともある。労われることはなかった。馬鹿かよ、と笑われた。それでもまだマシだった。まだ優しかった。
大学の冬休み、実家へ帰され、その時にその彼のことがバレた。夏休みに性を売っていたことがバレて退学を迫られたばかりだったが故に、私は親に売女と呼ばれた。その後のお付き合いだ、信じて貰える訳もない。それに彼は物件として最悪だった。バツイチ、三人の子供の親権は母親に、派遣社員、ギャンブラー、ヘビースモーカー。まるでいい所がない。それでも私を学校に行くように優しく叱って更生させてくれたんだよ、と肩を持つ私に親は怒りしか表さない。当然だろうけど。
そして何だかんだがあって、私は彼との連絡を断たれ、大学を中退させられ、実家に軟禁されて。母には「同じ空気を吸っているだけで吐き気がする」と睨まれ、父には「売女に育てたつもりはなかった」と蔑まれ。母の実家に送られたが、そこにも居場所はなかった。祖父は半身不随で何を言っているのか分からない。祖母は、身体で商売をする女の人の行く末について、私に言い聞かせ、そして「あんたのピアノには皆が期待していたのにねぇ、がっかりだねぇ」と溜め息をついた。
居場所が、ない。存在を、許されていない。
自分が引き起こしたこととはいえ、それはとてつもない苦痛を伴った。私は祖父母の家の黒電話から彼へ電話した。時々そうやって何かを補給しないと、自傷行為さえ出来そうにない環境では、潰れてしまいそうだった。祖母が夜、仕事に行ってしまえば、家にいるのは私と半身不随の祖父だけだ。あの人の言葉は誰も聞き取れない。……私の母を除いては。だからバレない。だから怒られない。私は彼の言葉に縋って、生きた。
なのに。
ある時やって来た母の、開口一番に私へ投げつけた言葉は、「生理は?」だった。「妊娠なんかしてないでしょうね」と、蔑んだ目で睨んだ。検査薬を渡され、試された。結果は陰性。ホッとすると同時に、祖父が何かを訴え始めた。まるで、母になら分かるというように、今まで黙っていた祖父が、母を信じているかのように、動かない口で、必死に。そして。母は。読み取った。
「……男と電話してた……?」
束の間の静寂。そして唐突な激昂。実の親の前だからか、いつもよりは控えめに。けれども確実に私を射抜く為の言葉を選ぶ。汚らわしい。男に媚びる出来損ない。失敗した。なんでまだ生きてるの。なんで私の娘になんかなったの。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
そんなの、私が知りたかった。教えてほしかった。
心が痛む。
けれども、母が私を見ている。私のことだけで怒り散らしていることは、ある意味快感だった。汚らわしい、と声にも出さず、目だけで蔑まれ、すぐに目を逸らされ、無視されるよりも、遥かに。
更に何だかんだがあって、私は選択を迫られる。実家に残るか、彼のところへ行くか。私は家を出た。
だがしかし、幸せはそこにはなかった。
待っていたのは貧困。そして、「彼は何もしてくれない」という現実。彼が働いて得たお金は彼のもの。私は自分の為のお金を稼がなければいけなかった。派遣会社に登録して日払いの仕事を必死でこなしながら、家事すらしないから、謎のカビが生えていた炊飯器の中身を捨て、除菌し、ベランダで死んで腐って骨になっていた鳩を処分し、ベランダに溜まっていたゴミの山を片付けた。部屋のあちこちに散らばるゴミや雑誌を片付け、最低限の生活ができるように、百均で物を買い揃えた。その間、彼は家でギャンブル遊びをしていただけだ。家にパチスロの実機とコインがあって、何回転目に当たりが出たか、という確率から設定を予想して、それを当てるという遊び。コインを積んで何回回したかを数え、ノートに書き込む。遊びというには真剣すぎるそれは、私の苦情なんてなかったことにする。働いてはギャンブルに消え、働いては食費に消え、働いても働いてもお金は足りない、家事は何もしてもらえないから自力で全部やらねばならない、求められれば体を差し出さなければならない。最初こそそれは「充実」の皮を被って私の前に立っていたけれど、一度「この生活はなんだろう」と思ってしまうと、途端に苦痛になった。
そして、私は、彼が「ちょっと貯める」といっていた五万円に手を出してしまう。すぐ返せばいいや、という軽い気持ちで。
それがバレた辺りから、彼は、冷たくなっていく。
まずは土下座させられた。人のもの盗って、どう思ってるんだ。泥棒じゃねぇか。彼の罵声に怯え、ただただごめんなさいを繰り返した。バレなきゃいいのかよ、最低だな、お前。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
一週間で五万円返す。そんな約束をさせられた。
日勤の日払い額なんて七千円だ。それを七日。ギリギリ、足りない。彼は笑う。昼も夜も働けばいいんだよ。
私はその通りにした。昼も夜も働いて、彼の為のご飯を作り、作り置きし、洗濯し、そして働いた。けれど、食品やらで使う分以外で五万円だったから、一週間じゃ結局稼ぐことはできなかった。彼は言った。何もできねぇのな。人の金盗っといて、返すこともできねぇのな。その頃から私は段々おかしくなる。また記憶をなくすことが出始め、そして、気が付いたら自傷行為が始まっていた。ないお金の中から百円のカッターを買って、左手首を、切った。こっそり、またもやこっそり、風呂やトイレで切って、隠した。そして、バレる。何やってんだ、と怒鳴られる。彼は言った。お前、こんなことして、いつか母親とかになった時に子供に説明とかできんのかよ。見せられんのかよ。
それは正論だった。痛いほどの正論。正しすぎて、私は何も言えなかった。ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい。私は、気付く。ああ、この人はおかあさんと同じだ。私を利用することにしか興味が無いんだ。
それでももう自力では逃げられなかった。自傷行為をこっそりと繰り返しながら、壊れたように働いて、そして壊れた。見事に、ぶっ壊れて、眠れなくなり、食べられなくなり、外に出られなくなり、彼に蔑まれ、そして、いつからかDVを受けるようになっていた。怒鳴られ、殴られ、数少ない服を破かれ、荷物ごと外に蹴り出される。それは母親にされたことと同じ。何も変わっていない。
私は、なんのために、生きているんだろう。
どうしてまだ、生きているんだろう。
あの頃の私が、今の私を睨みつけて、言う。
そんなに幸せになって、満たされて、なのに、まだ死にたいとか言ってんの?
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。死にたくてごめんなさい。死にたいと思うことをやめられなくてごめんなさい。自傷行為への衝動を止められなくてごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。お願いです、許してください、ごめんなさい。
それでも思うんです。死にたいと思うんです。死にたいんです。手首を切りたいんです。本当はもっと深く切りたい。
でも。
今のしあわせを失いたい訳じゃない。今が完全な幸せな訳じゃないけど、それでも失いたくはない。なのに死にたがりが止まらない。
頭の中で、母が、あの男が、笑う、笑う、笑う。情けない。くだらない。死ね死ね死ね、と、笑う。
死ねなくてごめんなさい。生きててごめんなさい。それでも死にたいんです。それでも生きてしまうんです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。どうすればいいですか。私はどうすればいいですか。
左手首が、熱を持つ、夜中。私はカッターを、握る。ヂギヂギヂギ、という音に少し癒されながら、何処を切ろうかなと選ぶ。真横にすると傷痕が目立つから、左手首の内側、右側に、スーッ、と線を引く。
ぷくり、と赤い玉が浮かび、じわり、と血が滲んでゆく。深くは切れない代わりに、量を。それでも一つ刻む度に、死にたがりと幸福への罪悪感で泣きそうになる。それを痛みのせいだと言い聞かせて、私は手首を傷つける。
心が痛いくらいなら、体が痛い方が、マシだ。
今では、夫くんが、私の傷痕を哀しみながら包んでくれる。怒られない。またやったの、と悲しんで、そして、大丈夫だよ、と言う。大丈夫、大丈夫、と。
何も大丈夫じゃないよ、と私は言う。
それでも夫くんの、大丈夫だよ、に救われる。
大丈夫かもしれないと思ってしまう。
簡単な手当で済む程度の自傷行為。そこまで慈しまなくてもいいのに、夫くんはそこを優しく握って、眠る。痛い、と顔をしかめると、ごめん、と少しずらしてそれでも離しはしない。ああ、コレが「愛」なのかもしれない。私はそっと思いながら、またごめんなさいと呟いて、静かに目を閉じる。死ねなくてごめんなさい。死にたがってごめんなさい。それでもきっと、私はこれからも、死にたがりです。出来損ないの死にたがりなのです。
死にたい私を死なせないのは、いつだって私なのだ。
(noteより転載)