どうにも思い出してからもやもやと鬱々の気持ちが晴れず、どうにも変な感じのままで解消できないので、吐き出していこうと思う。
新版のセーラームーンの劇場版が一月八日に公開する。旧アニメ版が好きすぎて新アニメ版(Crystal、だっけ)は全く触れてこなかった私だけど、新作劇場版の公開日が何と自分の誕生日なので、ちょっと運命めいたものを感じたりして、観てみたいなぁ、なんて思わなくもない、のだけど、私にとって『セーラームーンの映画』というのは、かなりのトラウマ要素でもあってやっぱり映画館に行くのは止そうかな、という結論になると思う。
私が初めて映画館で観た映画、というのが「かぐや姫の恋人」というもの。母と二人だけ、憧れの映画館。大好きなセーラームーン。私にとっては最高に幸せな時間だった、のに。
冬の日だった、と記憶していた。(今気になって調べたら公開は1994年12月だった。驚いている。)ボロボロと号泣した私と、うっすらと泣いていた母。何でそんな泣いてんのよ、と笑う母に私は、ママも泣いてるよ、みたいなことを言って、二人で笑い合う。何処からどう見ても、幸福そうな映画後の親子の姿。けれど、ここで母の言葉が私を射抜いた。
「はぁー、あんたが女の子でよかったわぁ。あんたと(弟)が逆やったら、流石に三歳連れて映画に来るのは無理やったし、でも大人なのに一人で子供の映画なんて恥ずかしくて行けんかったし、ほんと、よかったわぁ。あんたが女の子で。あんたが観たがって連れてきましたーって誤魔化せるやん? いやぁー、ほんとに、ちょうどよかったわぁ」
五歳の私は、本当に何を言われたのか判断に困って、それでも、初めて「弟よりも私がいい」って言ってもらえた喜びと、「私の為に連れてきてくれたのではないんだ」というのを知ってしまったショックと、「何かが『ちょうどよかった』だけで、普段は何も『ちょうど良くない』んだな」と悟ってしまったのと、……あの時の世界の暗転はもっとえぐい感情だったのだけど……、そう、多分、
「私はあくまでも『男の子』で『三歳』の『弟』では無理なことを叶える為の手段、理由にされただけで、母は私の喜びを目的とはしていなくて、それどころか、自身の為のカモフラージュであって、私は単なるおまけ、使い勝手の良い、ちょうど手元にあった駒に過ぎす、決して母の視界に私は映っていないのだ」
という旨の内容を瞬時に理解してしまったんだと思う。五歳で。
その帰り道、車窓の外の街頭やネオンに、一人でシクシクと声を殺して泣いたことも、今思い出している。それを察した母に「何で泣いているのか」を訊かれても、上手く話せず、「映画のこと思い出して」とだけ答えて、母は本当に機嫌よく運転してくれて。
それを思い出している今、とてつもない無力感と、絶望感に襲われている。とても、苦しい。
26年も前のことなのに、何でこんなにありありと思い出せるのか。
あの時の母は本当に上機嫌で、私に映画館の思い出の品も買ってくれたんだったと思う。付き合ってくれたお礼だ、とか言って。でも私はなかなか選べなくて、結局イラつかせてしまって、母の選んだ、小物入れになっている白雪姫のオルゴールを買ってもらったんだったっけ。要らない、とも言えず、でも、白雪姫なんてそんなに好きじゃなかったのに、与えられたそれ。余談だけど、成長するにつれて、ちょっとずつ気に入った思い出の品に変わっていったけれど、そう思える頃には「そんなものいつまで使ってるつもり?」と廃棄の危機にあったりもして、そういう小さな積み重ねは確実に私を飼い殺しにしたんだろう、と今なら思えるし理解もできる、けど、それでも未だ私は「そこ」から出られない。情けないな。
二歳半年下の弟。母の溺愛が普通だった弟。乳児から幼児の時期は本当に顕著で、特に生まれてすぐの頃のビデオを見返した記憶を辿ると、母の撮影する範囲にどうにか入りたい私と、赤ちゃんの弟と、私ではなく弟を写したい母との、「あたちもとって!」という舌足らずな私の声と必死に写ろうとする姿、それを遮り苛立つ母の「今は(弟)くん撮ってるからどいて!」「邪魔!」などの声が入っていたのを思い出す。私は恐らく、弟が生まれてからずっと、自分はあまり母に好かれていないというのを感じ取っていて、それでも「母に愛されるイイコ」を目指して、幼児なりに頑張っていたけれど、それは無駄な努力に終わり続け、それでも努力しなくてはならない毎日を過ごして、それがやっと報われたかもしれないと思った(映画に二人きりで行くという非日常)、その矢先に突き付けられた悪意のない本音に、絶望したのではないだろうか。
どうせ頑張っても、私には何もできないし、ママを喜ばせることはできないんだ、という確信めいた絶望。明日からどうしたらいいんだろう、と思案し困惑する五歳、というのを思い描いた時、真っ先に思ったのは「哀れだな」という感想だった。少しでも「大事」な「娘」だと言われたくて頑張っても、すぐに忘れてしまう脳味噌。言われたことを覚えていられず、つい行動してしまう多動性と衝動性。愛想を尽かされても当然だったとは思う、けれど、でも、でも、
……私は今、四人の母として、この子の何かがおかしい、と思ったことについて対処する為に奮闘している。それは私のためではなく、その子自身に確認を取った上で、困ってることを減らしたいという本人の意思に基づいて私のできる最大限の努力と助力をしているだけだ。彼等に少しでも美しい世界に触れていて欲しいからだ。そう思った時、母は、私に対して、そうは思ってくれなかったのだと、そう思ってもらえるだけの価値を見出してもらえなかったのだと、そう思ってもらえるくらいの努力ができなかった私が悪いのかもしれないと、そう、自責するしか、ない。
22歳で私を産んだ母。私が五歳だったあの日、母もまだ30歳になっていない。私は今31歳だけど、アニメはまだまだ大好きだ。母はきっと、今の私を観ても、『まだアニメなんて観ているの? 子供じゃないのに?』と嫌悪するんだろう。でも、あの当時の母に「大人だって好きなアニメがあってもいいんだよ」と言ってくれる人がもしもいたら、と思う。そしたら、母だって救われたかもしれないのに。
ああ、そうか、そうなんだ。嫌いになりたいはずの母、私はあの人を、救いたいんだ。
もし未来の私が今よりも余裕のある幸福な生活を手に入れることができるのだとしたら、まだ余裕があるなら、是非そこに、母も加わって欲しい。父も、弟も、妹も、みんな、幸福になって欲しい。きっとそうなんだ。
今の私は自分の子供達を幸せにすることで精一杯だけど。あの人達と『本当の家族』になれる未来を、捨て切れないのかもしれない。過去の、子供の私も沢山傷ついたけれど、本当に傷だらけで、報われてこなかった母が、救われて欲しいのかもしれない。
好きじゃないです、ママ。
でも、嫌いになれないのです、ママ。
あなたが私の「お母さん」である限り。私にあなたの血が、あなたの遺伝子が半分、存在している限り。そして何よりも、あなた自身の言動に傷ついた過去を、流せない、限り。
私は、申し訳ないけれど、それでも、あなたの、「娘」だから。
(Amebaより転載)