毒親育ち☆もみくちゃん🥳

人生もみくちゃん🥳を知ってもらう為のブログ✍

ご飯に関する話🍚

2022-01-20 19:50:22 | 虐待行為の話

 ご飯を食べられないのは自分がママを怒らせたから。

 取り上げられたご飯、シンクの上に置いといてくれる時はまだチャンスがあった。ママがあのご飯を捨てるまでがタイムリミット。それまでに少しでも早く、許してもらわないと、今夜のご飯は捨てられて、明日の朝も出てこなくて、昼も夜も、その次も、もう出てくることはないかもしれない。

 私はいつも、食事の時間が怖かった。

 一生懸命謝れば謝るほど空回り。損ねた機嫌がどんどんどんどん斜めになっていって、そしてその内もう許されない所まで滑り落ちていく。

 小学校、中学校まではよかった、給食があったから。給食があるから平気でしょ、死なないでしょって鼻で笑われながら捨てられていくご飯を見てた。でもその通りで、給食は平等にもらえるし、なんならおかわりしてもいいし、嫌いなおかずがある子の分を食べてあげたら感謝されるし、パンも持って帰れたからご飯のなかった日の夜中にひとりでひっそり、もさもさしたパンをゆっくり食べた。少し食べて、次の時にもまた食べられるように取っておこうとして、カビが生えた時は死ぬほど悲しかったっけ。カビパンが見つかるとまた怒られちゃうから、誰にも見られないように山の方に投げたことも少なくない。

 食べかけで取り上げられるのは本当に辛かった。どこで間違えちゃったんだろうって、巻き戻し機能のない現実世界を恨んだ。

 そんなに食べたきゃ食べればいい、っていって、フローリングの廊下、置かれたご飯の前に正座して、大盛りご飯二杯とてんこ盛りのおかずを五分で食べろってタイマーがセットされる。なんの味もしない、ただ熱いだけのごはん。床で食べてるなんて犬じゃん、って笑われながら。噛んでも噛んでも飲み込めなくて、無慈悲に鳴り響くタイマーを投げ付けられると、そこからはもう、挽回できることは何もなかった。残りのご飯はそのままシンクかゴミ箱行き。手近にあったリモコンが飛んできて、蓋と乾電池が弾け飛ぶ。素手で殴られても痛い、髪の毛掴まれて持ち上げられても痛い、床に倒されて馬乗りにされてビンタされるのも痛い、髪の毛で引き摺られて玄関の土間に落とされたら痛い、そのまま外に蹴り出されるのも痛い、お願いだからもうやめてくださいってお願いしても、痛みに泣き叫んでも、うるさい、気持ち悪い、ぶさいくがもっとぶさいくだ、ってもっと酷い目に遭う。だから両頬の内側を噛み締めて、声も上げない、泣きもしないようにだけ、ずっとずっと耐えるようにしたら、それはそれで、感情がないのか、泣きもしないのか、生意気だって殴られるって分かってしまったら、もうどれが正解なのか、何が正しいのか、何をしたらいいのかさっぱり分からなくなってしまって、私はそういう時に自分の体がふわりと軽くなって、本物の自分より幾らか浮かんで、斜め上から私を見下ろしている感覚に陥るようになっていた。もしくは斜め下、もしくは少しだけ後ろ。泣いて謝っているその口元が歪んでいるのを見て、この人はなんで泣きながら笑っているんだろうと不思議に思ったり、丸まってお腹と顔を守る姿に無様だなぁと思ったりしたものだった。

 「それ」と「私」が同じということが分からなくなることは、しょっちゅう起こった。母は素手で殴ると「お前のせい」で「手が痛い」し「痣になる」からと、ハンガーだとかリモコンだとか掃除機の柄だとかで殴るのが普通になっていって、そこに蹴りと髪の毛の掴みが加わって、気が散ればもう最後、力でも背でも叶わなかった私は軽々と引き摺られてしまうので、できるだけ長く丸まる必要があった。横腹からの蹴りでそのまま転んで上を向かされてもだめ。

 ああ、そうか、ご飯の話だっけ。

 ごめんね、どうしてもご飯の時に痛いことは大体セットだったもので。

 基本的なパターンはいつも同じだった。

 ご飯までの間に地雷を踏んでしまったら、ご飯を用意してもらう前におしまい。その日のご飯はほぼない。もし解決できたらワンチャンある。

 お父さんが単身赴任するまでは、お母さんが風呂に入っている間や、寝付いた後に、お父さんがこっそりとご飯を用意してくれたりもした。見つかればお父さんまで怒られるからって、音をできる限り立てるなよって言われて、それでも、夜中にお父さんが作ってくれた目玉焼き丼や卵かけご飯、インスタントお茶漬けは美味しかった。ごめんな、とは言われたことはないし、どちらかと言えば「お前が悪いんだぞ」の言葉の方が多かったけれど、でもまだ「しんどいな」「大変だよな」のような言葉はかけてくれた。でも、そうやって影で助けてくれようとするのなら、毅然とした態度でお母さんに立ち向かって、私や弟を守ってくれたらよかったのにな、って、思ってしまう。お前の暴言暴力にはもう付き合えないって、手を振り払ってでも子供を連れて逃げてくれたらよかったのに、って。

 そんな中途半端な優しさを見せてくれたお父さんが家に帰ってくるのが週末だけになると、お母さんの情緒不安定さはより増していって、地雷を踏む確率も上がっていって、でも助けてくれる大人は誰もいなくて、私は二週間ご飯を食べられないことは寧ろ普通の状態になっていた。

 中学も卒業してしまって、給食がなくなって、お弁当を毎日持っていかなくてはならなくなったけど、朝機嫌を損ねてしまうと朝ご飯から抜きになる。朝ご飯をクリアした後だと、お弁当は作らないと投げ出される。でもお弁当用にも考えて炊いたご飯が無駄になるとキレられてしまうので、女子高生が二段弁当の両方に白飯を詰めて持っていく。勿論梅干しやふりかけの類いは一切なし。白飯オンリーを二段。丁度よくぼっちだったので、校舎の影で冷たい白飯二段を平らげた。

 でもそれってまだマシなのだ。「お前に食べさせるご飯なんて炊いてない」「お前が使っていい食材なんてない」そんなことを言われてしまうと、もうお弁当箱に白飯を詰めていくこともできない。何も用意できない。こっそり持っていって酷い目に遭ったこともある。だから諦めるしかなかった。諦めた方が平和だった。

 昼食の時間に手ぶらの私は、あまり人の来ない水道かウォータークーラーにへばりついて、ひたすら水で腹を満たした。それしか方法がなかった。お小遣いは文房具に使わなくてはならなかったし、それもすぐに尽きては「借金」と称されてお金をもらっていたので、購買で昼食を調達することもできなかった。水は無味だったけれどそれでも美味しかった。

 けれども私は痩せていたりなんかしなかった。むしろ太っていた。太い足だと母にも先生にも笑われたことがある。自分では勝手に、過食と拒食を強制的にさせられてたことで太っていたのだと思っていたのだけれど、そのエピソードとご飯抜きの話を、大人になってから医療関係の人に話してみたら、それは浮腫んでたのかもしれない、と言われた。浮腫み、なんて私の中には一つも可能性として考えたことはなかった。けれど、学生時代、私は確かに排尿の回数も少なく、体育をしても汗の出ない体質だった。水分を摂取しすぎていて、でも発散するところもなく、浮腫んでいただけだとしたら、よっぽどの食生活だったということだ。

 実際実家を出て、まともな生活をしていたらするすると10kgは落ちた。その後、無茶苦茶な生活をすることになったので、更に10kg落ちることにはなったし、妊娠出産を経験して適正体重に戻ったし、これを書いてる今(20221月)現在では、薬の副作用で20kg太ることにはなるのだけど。

 ……まあ、そんなこんなで私は食事が好きではない。一時期は自由に何でも食べていいことに感動して、あれこれ食べ漁ったけれど、それもすぐに治まった。治まった先にあったのは、食事に対して興味がない、という、人間失格な感覚。食べることは楽しくなんてないし、面倒臭いし、固形食とか某チャージ食みたいなもので十分だと感じる。けれど、普段はそんなこと黙っている。誰もメリットのない話だ。お陰様で好き嫌いもほとんどないので、余計に話すメリットがない。この感覚が、元々生まれつきだったのか、それとも毎度ご飯のときに怒られたり捨てられたり、食べさせてもらえなかったり、逆にめちゃくちゃ食べさせられたことによる、後天的な欲求の薄さなのか。それは分からない。でも、とりあえず支障が今のところないので、実生活では別に黙っておけばいいと思っている。

 おかしな能力として、匂いを嗅いだら大体の食べ物は想像出来る、という技を持っていたりする。しかも、匂いを嗅いだだけで、食べたような感覚が口の中に広がって、実際にお腹が満たされたりもする。想像だけでもいける。よっぽど飢餓状態だったが故に身についた技なのか疑問だ。夕方の住宅街を歩いて、各家庭の晩御飯を想像しては満腹になったりする。でも実際には食べてないので、しばらくして、信じられない時間にお腹が空いたりする。不便なんだか便利なんだか分からない。

 ご飯に関する話はこんなものだろうか。

 余談だけど、私は今もセルフで過食拒食みたいなことをしてしまう。食べても食べても足りない周期と、白米を一切受け付けない周期がくる。最近は食べても食べても足りない周期が長く続いてて、更に太ってしまいそうで怖い。でも食べるのを辞められない。食事なんて大して楽しくも嬉しくもないのに。早く痩せたい。というか食べずに済む体が欲しいです。


過干渉ってどんな感じ?

2021-07-16 15:20:00 | 虐待行為の話
 こんにちは、こんばんは、もみくちゃん🥳です。
 今回は、前々回のブログ⬇
 ここに書いた中から過干渉だと感じた親の言動について書いてみようと思います。
 といっても、私自身、感じ方も、記憶も、とても曖昧なので、全然過干渉じゃない!😡と言われてしまうこともあるかもしれません。
 ご指摘はいつでも受け付けていますので、やんわり教えていただけると助かります🙏

 とりあえず手探り状態になってしまうので、⬆の記事でもご紹介した、
 を参考にして、書いていきたいと思います!

  • 心配性
  • 失敗を極度に恐れる
  • 先回りして子供のリスクを徹底的に取り除く
  • 子供のプライバシーに平気で侵入する
  • 子供の評価=親の評価だと思っている
  • 実は子供を信用していない
  • 子離れできない
 の、7つがあげられていました。いざ、検証!(?)してみましょう🤔

心配性
 少し帰るのが遅くなるだけでもダメなほど通学の時間に関しては厳しく門限を設定されていました。心配性だったから、だけではないかもしれない。心配が安心、安心が怒りへ変わるタイプの母でした。
 また、爪切りや耳掃除、身辺管理、またお茶をつぐこと、ご飯をよそうこと、なども高校生まで母がやっていたのですが、それも心配性だった、という1つの理由かもしれません。

 「あんたに任せるのは不安」と1日に何度も言われて、私に自主性が芽生えるはずはなかったですね🤔
 (けれどそのうち「いつまで私がやらなきゃいけないの!?」とキレてしまうのが私の母でした。)

 日常生活の心配されるレベルがそんな感じだったので、もちろん、外での生活(学校や友達付き合い)はもっと厳しく管理されていました。
 基本遊びに行くのは事前に言っておかなければダメ、伝えておいても当日急にダメだと言われてドタキャンの電話を友達に何度かけたか分かりません。そのうち「あの子誘っても無駄だよ」とコソコソ言われるようになり、クラスメイトから遊びに誘われることはなくなりました。

失敗を極度に恐れる
 上記の日常生活内でもそうですが、母は自分の失敗も私の失敗も、恐れていたのかもしれません。

 私は確かにおっちょこちょいで、何をやっても失敗するダメな子でしたが、だからといって、失敗する機会すら与えられないと、こどもは学ぶことすら奪われるのだと、今なら理解できています。
 失敗するのが悪いことなのではなくて、失敗したのに反省しないことや、失敗したことに対して嘘をつくことが、悪いことなのだと。
 私はそれを、自分の子供たちの失敗する姿や、失敗した後に落ち込む姿を見て学びました。

 失敗は、悪いことじゃない。

 そう、断言していきたいです。(自分には言えないけど……🤣)

●先回りして子供のリスクを徹底的に取り除く
 上記の「心配性」の部分とも被るかな?と思います。
 とにかく「危ないから」「あんたはできないから」「あんたには無理だから」「ママがやるから」と、私の希望や心情、本当にできるのかできないのかすら無視して、リスクを取り除かれていたんだと思います。
 結果できあがったのは、私みたいな、何もできないおとなです🤣🤣🤣

子供のプライバシーに平気で侵入する
 これはとても辛かった記憶があります。
 基本的には荷物や持ち物は全て親の管理下でした。宿題やノートなどの文房具類はもちろん、友達からの手紙図書館で借りた本の内容筆箱や鞄の中身机の引き出しは鍵をかけるの禁止。ああ、ガラケーを持った時期はメールも全部読まれました🤣

 何より嫌だったのは、秘密にしておきたい、どこにも吐き出すことのできない、弱音や親への不満を書いた「日記」でした。

 日記はどこに隠しても絶対にバレて、読まれて、怒られて、音読させられたりしました。二度と親への悪口を書かないなどの約束などもさせられました。
 私の逃げ場はそうやって1つずつ刈り取られていきました😢

子供の評価=親の評価だと思っている
 これはよくある話かもしれません。子供の勉強や習い事、お行儀のよさ、運動神経、才能の有無、愛嬌の有無。

 そういうもので子供の評価をし、その評価によって「恥ずかしい」とか「みっともない」とか「そんな子に育てた覚えはない」とか「私の子じゃない」とか、そういう言葉で自分(親)と我が子を切り離そうと必死になるという親。
 たくさんいるんじゃないかな、と勝手に思っています。普段どれだけ優しくても、1つの過ちで過度に自衛しようとする人たち。

 私の親もそうでした。特に母親ですが、とにかく、1つでも失敗してはだめでした。
 私の失敗は母の汚点に変わるからです。

 だからきっと、母から
「お前なんか産みたくなかった」
と言われてたんだと思っています🙂💦

 だって、「私」という存在自体が、母にとって、最大の汚点だから。

●実は子供を信用していない
 お題?通り、信用されていなかったと思います。
 まさに「あんたのことなんかなんも信用していないから」という言葉も何度となく言われています。

 私は確かに、おっちょこちょいで、ドジで、忘れ物も多く、家から出たら約束したことも忘れてしまう子供でした。今から思えばADHDの症状だったのかもしれませんし、虐待を受けたが故にADHDのような脳になったからなのかもしれません。
 が、その当時にはADHDのことや虐待、虐待の後遺症について、こんなに現在ほど詳しい話は出回っていませんでした。ただの「マヌケな子」「やる気のない子」「ダメな子」というレッテルを貼られるばかりだったのだと思います。

 そんな、マヌケでやる気のないダメな子に、完璧主義者の母が何かを任せたり、選ばせたりするはずありませんね🤣
 私は何一つ信用してもらえないまま大人になるしかありませんでした。

 そして、何一つ信用できない、or、何でも信じてしまう大人になりました。

子離れできない
 これは私の中ではピンとはきません。
 ただ1つ分かることがあります。
 私自身が親離れできていない、ということです。
 私は2021年現在32歳ですが、こうやってうじうじ悩むくらい完全な親離れは、多分、できずにいます。未だに、自分の人生を生きる、という言葉を真の意味で理解することもできずにいます。
 ということは、きっと、母も子離れできなかったのではないでしょうか。
 そもそも、子離れ、親離れ、とはなんでしょうか。

親離れ・子離れとは?

 子どもは思春期を迎えると、親の干渉を嫌がってプライベートな時間や空間を持ちたがります。その過程で個性を確立させたり、親元から離れて自立しようと考えます。これが「親離れ」です。

それに対して、それまで子どもを大切に育て、面倒を見ていた親が、その手を離して、子どもを社会へ送り出すことを「子離れ」と言います。親子関係では、まず子どもから離れようとするのが一般的です。こうして子どもはひとりの社会人として巣立っていくわけですが、なかにはそれがうまくできない家族がいます。

 <上記より引用しました。>

 また、このような記事もありました。


 やはり、親離れ、子離れは必要なもののようです。是非参考になればと思います😳

 私も読んでみて、「あ"〜〜〜……🤦‍♀️」と思いながら、現在は物理的距離があることに、改めて安堵しました。

 

 はい!というわけで、私の親の過干渉の部分について振り返ってみました🤗
 どうだったでしょうか?
 皆さまの中にも思い当たる節のある親の言動、ありましたか?☹️

 何歳になってからでも遅くないです。
 「……おやあ?🤔」
 と思ったら過去を振り返ってみませんか?

 もしも読んでくださったあなたが、今、息をしづらいのなら、少しでもそれが和らぐ助けになれば幸いです🙇‍♀️🌟

 それでは次回、またお会いできますように🥳

どんなおうちだったの?🤔

2021-03-10 16:32:04 | 虐待行為の話
 こんにちは! こんばんは!
 毎日もみくちゃ、もみくちゃん🥳です。

 今回は『もみくちゃん🥳のおうちはどんなおうちだったの?🤔』について書いていこうと思います!


  1. どんな家族構成?🤔
  2. どんな毒親だった?🤔
  3. 助けてくれる人はいた?🤔

 という内容で書いてみたいと思います👋

 途中で気持ちや体調が悪くなる可能性もあるので、その時にはすぐ読むのを辞めてくださいね🙏💦


 ①どんな家族構成?🤔

 父、母、もみくちゃん🥳、弟、妹、の5人家族でした。弟は2歳半、妹は10歳下です。
 父は3人兄妹の長男、母は三姉妹の次女。
 それぞれたくさんの困難があった家庭で育ったみたいなので、父も母も、【機能不全家族】で育った、アダルトチルドレン(AC)だったのだろう🤔と私は思っています。
 父母の育ちについてはまた今度書きたいと思います🙌


 ②どんな毒親だった?🤔

 よくある【毒親の分類】って、皆さん知ってますか?
 知らない人のためにも、私も改めて振り返りたいので、書いておこうと思います😊

  • 過干渉型タイプ
  • 支配型タイプ
  • 無関心タイプ
  • 虐待タイプ
 の4つに分けられるそうです☹️


 サイトから引用させてもらいました🙇‍♀️

 このサイトの内容で考えていくと、私の父母はフルスコア出しちゃいます🤣

<母について>
 母が基本的に、女王様👑って感じの家でした。絶対王政です。逆らうことはもちろん、母の機嫌次第でその日がどうなるか、毎日分からなかったです😣
 子供(主に私だけ)の一挙手一投足を監視し、友達も好きな人も学校生活も日常生活も制限しかありませんでした💦

 高校生になっても、爪切りや耳掻きなど、身支度の管理もされてました。
 かと思うと、ある日は「いつまで親にパンツ洗わせるんだ💢」とブチ切れ、私の服だけ外に投げ捨てる、みたいな。本当によく分からない毎日でした。

 学校生活については基本的に関心を持ってもらえませんでした。よっぽど悪い点を取らないなら、良い点を取っても興味がないし、先生からの褒め言葉も「そんなはずない」「うちでは〜……」と無視されてました😂

 そして、暴力、暴言は当然で、一度母の機嫌を損ねてしまうと、二週間は完全に無視☹️
 その間にご飯は全く食べさせてもらえないし、一晩二晩家に入れないということもよくありました🤣

 私的には【笑い話】ですが、周りにはドン引きされてしまうので、
「これはそんなにひどい話なんだ……?」
 と大人になってからビックリしました😳

<父について>
 対して父は、内弁慶なタイプで、普段は母に完全服従って感じの対応しか取らないので、基本的に母が私や弟を叱っていても、飛び火しないように家からこっそり出て行ったりしてました☹️
 お酒に弱いのに、お酒が好きで、毎日飲んでは夫婦喧嘩💥
 母のマシンガントークな口撃には勝てず、そのうち家の中を破壊しまくってました。
 翌朝、壊したものをいそいそ直してる姿は、何度見ても情けなくて胸が苦しかったです😢

 そんな両親なので、毒親のチェックとかすると、ほぼ全てに当てはまってしまって、
「むしろこれは私の認識がおかしいのでは!?😳💦」
 という気持ちにばかりなります🤣


 ③助けてくれる人はいた?🤔

 これは残念ながら、誰もいませんでした☹️

 親戚はなんとなく私が「あの子(私の母)の娘なんだから、多分嫌な目にあってるんだろうな」みたいな認識くらいはあったと思うのですが、それでも誰からも認知されてなかったと思います。
 閉じた家庭の中のことは、誰にも分からないものですよね😣

 そして関わりのあった大人、主に学校の先生、それからピアノの先生などにも話したことや相談したことはありません。

 というのも、私はずっと【これが当たり前の日常、他の家もこうなんだろう】、そして、【私が悪い子だから罰を受けてるだけなんだ】と思っていたので、誰かに相談することもなく、子供時代を過ごしてしまいました。
 自分が虐待を受けている、という認識のないまま、大人になってもまだ自覚しきれていません。

 あくまでもしつけだ言われていたというのもあると思います。
 父や母の方が、よっぽど辛くて大変な子供時代を過ごしたんだ、お前は幸せだ、なのに……、という言葉もたくさん言い聞かせられていたので、それも信じていました。
 今もそうだろうなと思います。思ってしまいます。

 これこそが虐待を受けたから起きている認知の歪みの一部なんだろう、と思う一方で、未だに分からなくなってしまうのです🤔

 本当に、虐待を受けていたのだろうか。
 私の両親は本当に、そんなことばかりしていたのだろうか。

 そう思ってはいつも胸が苦しくて、痛くなります。
 私がもっと何かできたのではないか、むしろ、私のせいで、あの二人は毒親になってしまったのではないか。

 そんな風に未だに考えてしまうのです。



 いかがだったでしょうか🤔

 面白くない、暗い内容で本当にごめんなさい💦

 でも是非、虐待について考えるきっかけになってほしいです🙏
 四六時中怒鳴り声が聞こえていても、外に子供が出されていても、私のように、
「自分が悪いから仕方ない」
と、ただただ自分を責めて、外に発信できないだけの子供たちが、今もどこかにいるかもしれません。

 それから、自分は毒親育ちじゃない、と思ったままの大人のひとにも届いてほしいなと思っています。

 前回の記事でYouTubeに投稿した動画について書きましたが、

 嫌なことを強要された

 それだけでも虐待とカウントしていいんだよ、あなたは耐えたんだよ、というのを、私は、発信していきたいです。

 私、もみくちゃん🥳は、もみくちゃん🥳自身に言い聞かせてあげることができないので、他の人には伝えていきたいのです💐

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました😊

 以上、もみくちゃん🥳でした!