ご飯を食べられないのは自分がママを怒らせたから。
取り上げられたご飯、シンクの上に置いといてくれる時はまだチャンスがあった。ママがあのご飯を捨てるまでがタイムリミット。それまでに少しでも早く、許してもらわないと、今夜のご飯は捨てられて、明日の朝も出てこなくて、昼も夜も、その次も、もう出てくることはないかもしれない。
私はいつも、食事の時間が怖かった。
一生懸命謝れば謝るほど空回り。損ねた機嫌がどんどんどんどん斜めになっていって、そしてその内もう許されない所まで滑り落ちていく。
小学校、中学校まではよかった、給食があったから。給食があるから平気でしょ、死なないでしょって鼻で笑われながら捨てられていくご飯を見てた。でもその通りで、給食は平等にもらえるし、なんならおかわりしてもいいし、嫌いなおかずがある子の分を食べてあげたら感謝されるし、パンも持って帰れたからご飯のなかった日の夜中にひとりでひっそり、もさもさしたパンをゆっくり食べた。少し食べて、次の時にもまた食べられるように取っておこうとして、カビが生えた時は死ぬほど悲しかったっけ。カビパンが見つかるとまた怒られちゃうから、誰にも見られないように山の方に投げたことも少なくない。
食べかけで取り上げられるのは本当に辛かった。どこで間違えちゃったんだろうって、巻き戻し機能のない現実世界を恨んだ。
そんなに食べたきゃ食べればいい、っていって、フローリングの廊下、置かれたご飯の前に正座して、大盛りご飯二杯とてんこ盛りのおかずを五分で食べろってタイマーがセットされる。なんの味もしない、ただ熱いだけのごはん。床で食べてるなんて犬じゃん、って笑われながら。噛んでも噛んでも飲み込めなくて、無慈悲に鳴り響くタイマーを投げ付けられると、そこからはもう、挽回できることは何もなかった。残りのご飯はそのままシンクかゴミ箱行き。手近にあったリモコンが飛んできて、蓋と乾電池が弾け飛ぶ。素手で殴られても痛い、髪の毛掴まれて持ち上げられても痛い、床に倒されて馬乗りにされてビンタされるのも痛い、髪の毛で引き摺られて玄関の土間に落とされたら痛い、そのまま外に蹴り出されるのも痛い、お願いだからもうやめてくださいってお願いしても、痛みに泣き叫んでも、うるさい、気持ち悪い、ぶさいくがもっとぶさいくだ、ってもっと酷い目に遭う。だから両頬の内側を噛み締めて、声も上げない、泣きもしないようにだけ、ずっとずっと耐えるようにしたら、それはそれで、感情がないのか、泣きもしないのか、生意気だって殴られるって分かってしまったら、もうどれが正解なのか、何が正しいのか、何をしたらいいのかさっぱり分からなくなってしまって、私はそういう時に自分の体がふわりと軽くなって、本物の自分より幾らか浮かんで、斜め上から私を見下ろしている感覚に陥るようになっていた。もしくは斜め下、もしくは少しだけ後ろ。泣いて謝っているその口元が歪んでいるのを見て、この人はなんで泣きながら笑っているんだろうと不思議に思ったり、丸まってお腹と顔を守る姿に無様だなぁと思ったりしたものだった。
「それ」と「私」が同じということが分からなくなることは、しょっちゅう起こった。母は素手で殴ると「お前のせい」で「手が痛い」し「痣になる」からと、ハンガーだとかリモコンだとか掃除機の柄だとかで殴るのが普通になっていって、そこに蹴りと髪の毛の掴みが加わって、気が散ればもう最後、力でも背でも叶わなかった私は軽々と引き摺られてしまうので、できるだけ長く丸まる必要があった。横腹からの蹴りでそのまま転んで上を向かされてもだめ。
ああ、そうか、ご飯の話だっけ。
ごめんね、どうしてもご飯の時に痛いことは大体セットだったもので。
基本的なパターンはいつも同じだった。
ご飯までの間に地雷を踏んでしまったら、ご飯を用意してもらう前におしまい。その日のご飯はほぼない。もし解決できたらワンチャンある。
お父さんが単身赴任するまでは、お母さんが風呂に入っている間や、寝付いた後に、お父さんがこっそりとご飯を用意してくれたりもした。見つかればお父さんまで怒られるからって、音をできる限り立てるなよって言われて、それでも、夜中にお父さんが作ってくれた目玉焼き丼や卵かけご飯、インスタントお茶漬けは美味しかった。ごめんな、とは言われたことはないし、どちらかと言えば「お前が悪いんだぞ」の言葉の方が多かったけれど、でもまだ「しんどいな」「大変だよな」のような言葉はかけてくれた。でも、そうやって影で助けてくれようとするのなら、毅然とした態度でお母さんに立ち向かって、私や弟を守ってくれたらよかったのにな、って、思ってしまう。お前の暴言暴力にはもう付き合えないって、手を振り払ってでも子供を連れて逃げてくれたらよかったのに、って。
そんな中途半端な優しさを見せてくれたお父さんが家に帰ってくるのが週末だけになると、お母さんの情緒不安定さはより増していって、地雷を踏む確率も上がっていって、でも助けてくれる大人は誰もいなくて、私は二週間ご飯を食べられないことは寧ろ普通の状態になっていた。
中学も卒業してしまって、給食がなくなって、お弁当を毎日持っていかなくてはならなくなったけど、朝機嫌を損ねてしまうと朝ご飯から抜きになる。朝ご飯をクリアした後だと、お弁当は作らないと投げ出される。でもお弁当用にも考えて炊いたご飯が無駄になるとキレられてしまうので、女子高生が二段弁当の両方に白飯を詰めて持っていく。勿論梅干しやふりかけの類いは一切なし。白飯オンリーを二段。丁度よくぼっちだったので、校舎の影で冷たい白飯二段を平らげた。
でもそれってまだマシなのだ。「お前に食べさせるご飯なんて炊いてない」「お前が使っていい食材なんてない」そんなことを言われてしまうと、もうお弁当箱に白飯を詰めていくこともできない。何も用意できない。こっそり持っていって酷い目に遭ったこともある。だから諦めるしかなかった。諦めた方が平和だった。
昼食の時間に手ぶらの私は、あまり人の来ない水道かウォータークーラーにへばりついて、ひたすら水で腹を満たした。それしか方法がなかった。お小遣いは文房具に使わなくてはならなかったし、それもすぐに尽きては「借金」と称されてお金をもらっていたので、購買で昼食を調達することもできなかった。水は無味だったけれどそれでも美味しかった。
けれども私は痩せていたりなんかしなかった。むしろ太っていた。太い足だと母にも先生にも笑われたことがある。自分では勝手に、過食と拒食を強制的にさせられてたことで太っていたのだと思っていたのだけれど、そのエピソードとご飯抜きの話を、大人になってから医療関係の人に話してみたら、それは浮腫んでたのかもしれない、と言われた。浮腫み、なんて私の中には一つも可能性として考えたことはなかった。けれど、学生時代、私は確かに排尿の回数も少なく、体育をしても汗の出ない体質だった。水分を摂取しすぎていて、でも発散するところもなく、浮腫んでいただけだとしたら、よっぽどの食生活だったということだ。
実際実家を出て、まともな生活をしていたらするすると10kgは落ちた。その後、無茶苦茶な生活をすることになったので、更に10kg落ちることにはなったし、妊娠出産を経験して適正体重に戻ったし、これを書いてる今(2022年1月)現在では、薬の副作用で20kg太ることにはなるのだけど。
……まあ、そんなこんなで私は食事が好きではない。一時期は自由に何でも食べていいことに感動して、あれこれ食べ漁ったけれど、それもすぐに治まった。治まった先にあったのは、食事に対して興味がない、という、人間失格な感覚。食べることは楽しくなんてないし、面倒臭いし、固形食とか某チャージ食みたいなもので十分だと感じる。けれど、普段はそんなこと黙っている。誰もメリットのない話だ。お陰様で好き嫌いもほとんどないので、余計に話すメリットがない。この感覚が、元々生まれつきだったのか、それとも毎度ご飯のときに怒られたり捨てられたり、食べさせてもらえなかったり、逆にめちゃくちゃ食べさせられたことによる、後天的な欲求の薄さなのか。それは分からない。でも、とりあえず支障が今のところないので、実生活では別に黙っておけばいいと思っている。
おかしな能力として、匂いを嗅いだら大体の食べ物は想像出来る、という技を持っていたりする。しかも、匂いを嗅いだだけで、食べたような感覚が口の中に広がって、実際にお腹が満たされたりもする。想像だけでもいける。よっぽど飢餓状態だったが故に身についた技なのか疑問だ。夕方の住宅街を歩いて、各家庭の晩御飯を想像しては満腹になったりする。でも実際には食べてないので、しばらくして、信じられない時間にお腹が空いたりする。不便なんだか便利なんだか分からない。
ご飯に関する話はこんなものだろうか。
余談だけど、私は今もセルフで過食拒食みたいなことをしてしまう。食べても食べても足りない周期と、白米を一切受け付けない周期がくる。最近は食べても食べても足りない周期が長く続いてて、更に太ってしまいそうで怖い。でも食べるのを辞められない。食事なんて大して楽しくも嬉しくもないのに。早く痩せたい。というか食べずに済む体が欲しいです。