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5月1日がきらいです。

2021-05-29 08:47:34 | 母との記憶
 あまりにも新しい記事を書くのに手間取ってしまっているので、以前別の場所で違う名前で書いた、母との記憶を辿ったエッセイを転載します。
 普段と全く書き方が違いますが、読んでいただけたら幸いです🙇‍♀️💦



 5月1日。
 あなたにとっては何の日だろうか。

 私にとっては、『母の誕生日』だ。

 私は19歳の4月中旬に家を出た。家出ではない。親に選択を迫られて、家を出た。
 20歳の春は死んだように生きていた。選択を誤ったとは思わないが、自分の人生なんて何処にいたって変わらないことを知る。私は何者にもなれないし、私は誰にも大切にもされないし必要ともされない、と。
 21歳の3月には、現夫くん、当時泥沼三角関係真っ只中の彼に「彼女の要望で家から出て言ってほしい」と言われ、東京の街を彷徨いながら、風俗店に勤務し生計を立てていた。1日に何人の相手をしたか。何人の男に触れたか、触れられたか。それによって手首に線を引いた。汚い。汚い。汚い。
 そしてすぐ彼から連絡が来る。
「やっぱり寂しい。戻ってきて」
 風俗店の店長は言った。
「そんな男、ろくでもないよ」
 私は答えた。
「だから捨てられないんです、捨てられたくないんです」
 私は店を辞めて、泥沼に戻った。何の為に私を呼び戻したんだって、くらい、彼は何一つ変わらなかったけど、もうそんなことには慣れっこだった。ただ手首の傷が増えて、何故か根性焼きが手の甲にできて、時々記憶を失う程度のことだ。相も変わらず上手く息ができなかった。
 22歳の春には、妊娠も後期。初めての出産への不安、そして、妊娠初期に母から言われた言葉が何度も蘇る。
『あんたなんかに子供を育てられる訳がない』
『妊娠したから産みます? 犬猫以下か』
『あんたも、あんたの夫も子供もみんな不幸になる』
『孫とか認めない』
『そんなこと言ったらママが心配して飛んでくるとでも思った? 残念でした!』
『お前は死んだ。さようなら』
 23歳の春も、25歳の春も、27歳の春も、妊娠していた。
 そして29の春、私はてんてこ舞いだった。新生活に追われ、考えなければいけないこと、やらなければならないことが毎日毎日増え続け、頭を可笑しくしている訳にもいかない状態にも関わらず、私は春になると、変になる。

 情緒不安定。その言葉が良く似合う。

 絶望的に楽しいことを楽しむ一方で、壊滅的に自分はズタボロであることに気付かない。若しくは気付かないふりをしている。いや、きっと気付いていないんだろう。気付いてしまったら、意識してしまったら、囚われる。

 春は、3月から5月1日が終わるまでは、私は、ただの小娘に戻される。
 何もできなかった、周りに流されるまま、死んだように生きていたあの頃に、引きずり戻される。

 でも、思う。あの頃の私に、なにができた?

 愛情の欠片さえ見当たらないまま、縋れるものに縋っただけだ。そうして心身を削っただけだ。これでもかと男の欲に塗れて、これでもかと肉親からの憎悪を受けた。20代前半の人達はみな、輝いて見えた。今でもそうだ。なのに自分を見れば、ただただ薄汚れて、醜い捨て猫のよう、いや、猫に失礼だ、ボロ雑巾のようだった。

 昔、母に言われた。
「ママの誕生日にプレゼント一つ用意しないなんて薄情者」

 だから高校生の私は、寄り道すると怒られる環境の中、前もって部活だからと母に嘘を告げ、田舎道を自転車で駆け抜け、わざわざ大きなショッピングモールへと走り、なけなしのお小遣いから母の好きそうな青色で可愛らしい芳香剤を選んで買った。大急ぎで戻って帰宅。弟と妹に寄せ書きも手伝ってもらった。渡した時の母は見たこともないくらい、大層喜んでいて、私は、とてもホッとしたことを覚えている。
 が、それは長く続かず、その日は些細なことから夫婦喧嘩が始まり、警察沙汰になるほどに発展した。
 私の贈り物も姉弟妹の寄せ書きも、隅っこに追いやられた。

 それ以来、5月1日が、嫌いです。

 ただでさえ嫌いだった。5月1日は。
 母が自分の誕生日だと浮かれる日に、何かしてしまったら、それこそ自殺したくなるほど責められ二週間は放置される。ご飯も与えてもらえない、風呂にも入れない、布団もない、酷い時はずっと外。その地獄の二週間が終わっても、母の機嫌が治るまでは口も聞いてもらえない。自分が存在しているかも分からないくらいの徹底的な無視。
 まぁそれもいつものことだった。過剰な過保護、過剰な過干渉、そして、気分次第のネグレクト。外面のいい両親の本当の姿。誰も知らなかったと思う。酷い罵声は聞こえていたかもしれないが、それすら田舎だから、噂にこそなったとしても、誰も心配などしてこない。
 これで私が痣だらけだったら何かは違ったのだろうが、残念ながら体の丈夫さだけが取り柄だと、母に笑われた私だ、傷など残らない。母もわかっていて、顔や見える場所は蹴ったり殴ったり物で叩いたりしない。せいぜい髪の毛を掴んで壁にぶつけたり、髪を引っ張って引き摺り倒してそのまま玄関の土間に蹴り落とす程度だ。

 5月1日は、嫌いです。
 5月1日は、嫌いです。

 でも、本当は。

 だいすきで、いたかった。

 おめでとう、ママ。

 そう言って、笑い合って、みたかった。

 プレゼントなんて、なくてもいいのよ、と言って欲しかった。

 優しいママがいれば、それでよかった。

 けれど、それはもう、叶わない。
 私に母は、いない。いないも同然。だから、五月一日を嫌う理由なんて、ない。それでも、思う。

 5月1日なんて、だいきらいだ。

 自分が母親になって、子供たちから「ママ、お誕生日おめでとう」と言われることの喜びを知る度に、私はきっと、あの年の『5月1日』を、憎み続けるのだろうと思う。頑張って、蔑ろにされた、5月1日を。

(以前noteに記載したものを転載しました。)


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