わしがなぜ、長崎の遊女の話をしたか、わかりますか
マンガ「トーマの心臓」で、寄宿校の優等生のユーリは、過去の間違い (悪魔主義者の上級生に強要されて、背教したこと) に苦しみ、悩む
彼は己れの間違いを許せず、表向きは冷静で優秀な委員長を演じているが、その心は人への愛や信頼を否定し、神への罪悪感に満ち、死んでいる……
そのような、自らを救いのない牢獄に入れた人を、私は長崎の遊女に例えてみたのです……
しかし、この江戸時代の長崎の遊女達は特別で、出島にいるオランダ人などとの貿易により、長崎の町はにぎわうし、日本にとって貴重な情報も入ってくるしで、遊女達もおそらく、重宝されていたのでしょう
地元では、ここの遊女達は憧れの存在で、年季が明けると実家に帰れて結婚までできるという、他の地域の遊女達とはまた違った、立場にあったようです…
だから、苦海に身を沈めていても、まっとうな人間としての再起のチャンスが与えられた…
その事と同じように、ユリスモール(=ユーリ)も考えさえ変えれば、いくらでも自己を全面認容して、再起のチャンスはあったのです
…だが、前回私が言ったように、人間の心(=幽体)は気のもやでできていて、波動が固定化しやすい
ですから、いったん強く思い込むと、その考え(=波動) からなかなか抜け出せない……
ユーリも自己否定の低い波動から、なかなか抜け出られなかったのです……
「出んでらりゅうば…出ん出られんけん、…来られられんけん、来ーん来ん、」の長崎の小唄のようにね……
それで彼はもがき苦しむのですが、いつか本当に、心から納得して自分を許すと、 (=思いきりよく悪い考えを捨てて、良い考えに改めると、) 心の波動が根底から切り替わり、晴れ晴れとするのです…
(心=幽体=気のもやとして考えると、人の幽体を作っている気の微粒子群は、欲にまみれたり強く不安な時は、自転軸が傾いてグラグラし、所々密集し、そこだけ光を通さず暗く重く感じる
また、低波動である
反対に、心が無私博愛に近い時は、各微粒子は直立自転してお互いに等間隔の密度に近く拡散し、光を通して、軽やかに感じられる
そして、高波動である)
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