30代過ぎてから、写真を撮るときのピースサインが恥ずかしくなってしまい気を付けの姿勢で撮るときが多くなった。それか、子どもと一緒の時は、子どもの後ろに立って子どもの方を持つ。まるで子どもを優しく見守る母のよう…?いやいや、写真を見返すと、子どもの背中に隠れているだけのようにも感じる。
ちょっとどこかに出かけると、義父は集合写真をすぐに撮りたがる。例えば吊橋のどまんなかで。
「はい、こっちむいてー」
高そうな一眼レフカメラを構える義父。面倒くさそうに、撮られるのを待つ私たち。そして私たちの後ろに、写真を撮り終えるのを吊橋のできるだけ端っこで待っている人たち。「はやくしなさいよ、おとうさん」と義母がみんなの気持ちを代弁する。子どもだけが、変顔をしながらピースをしている。
カシャ
写真を撮り終え、人の流れが再開する。私たちの他にも、写真を撮っているグループは居たのだけど。なんだか恥ずかしくてもどかしいようなそんな気持ち。
とは言え、写真を撮られるのは別に嫌いではない。嬉しいのは、何か作業をしている時の写真。料理作っている時、運動している時、泳いでいる時…。いかにも撮られていますよ、というものよりも「えええ、いつ撮られたんだろう?」って思うくらい、自然な姿の写真が嬉しい。そういう写真を撮ってもらうのは、周りになかなか理解してもらえないのだけど。
義父の撮影したみんなが面倒くさそうな顔をしている集合写真も、いつか良い思い出になるのだろうなあ。
ちょっとどこかに出かけると、義父は集合写真をすぐに撮りたがる。例えば吊橋のどまんなかで。
「はい、こっちむいてー」
高そうな一眼レフカメラを構える義父。面倒くさそうに、撮られるのを待つ私たち。そして私たちの後ろに、写真を撮り終えるのを吊橋のできるだけ端っこで待っている人たち。「はやくしなさいよ、おとうさん」と義母がみんなの気持ちを代弁する。子どもだけが、変顔をしながらピースをしている。
カシャ
写真を撮り終え、人の流れが再開する。私たちの他にも、写真を撮っているグループは居たのだけど。なんだか恥ずかしくてもどかしいようなそんな気持ち。
とは言え、写真を撮られるのは別に嫌いではない。嬉しいのは、何か作業をしている時の写真。料理作っている時、運動している時、泳いでいる時…。いかにも撮られていますよ、というものよりも「えええ、いつ撮られたんだろう?」って思うくらい、自然な姿の写真が嬉しい。そういう写真を撮ってもらうのは、周りになかなか理解してもらえないのだけど。
義父の撮影したみんなが面倒くさそうな顔をしている集合写真も、いつか良い思い出になるのだろうなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます