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おそのの自分らしく生きていきたい!

幼少期の記憶その2

子供の頃の記憶。


小学校の2年生の頃だったかな?


担任の先生は、今では考えられないくらいの、


体罰教師だった。


忘れ物をしたらげんこつ。


なんか悪いことしたら、頭はたく。


めっちゃ悪いことしたら、


飛び蹴りする。


そんな先生(女性)だった。


その先生は、僕たちが3年生になったときに、急に優しくなった。。


恐らく、体罰が社会問題化したときだ。


保護者ともめたんだろうな。。


でも、その時はもう僕たちの担任ではなくなってた。


そんな先生にも、感謝したい出来事があった。



小学校2年生の時、

図工の時間。


【ひまわりの絵】

と、

【バッタの絵】

を描くという課題があった。



どちらか上手く描けた方を、コンクールに提出するらしい。



みんな、すらすらと描いていく。


僕は、すごく時間がかかっていた。



ひまわりって、あの、


種の部分。


めちゃめちゃ細かいやん。


周りの子は、めっちゃ適当に描いてた。


かいて、


種の部分は、


#?みたいなの描いて、


んで、しゃーっと色塗って、


5分か、10分か、


それくらいで、描き終わってた子もいた。


僕はそうはしたくなかった。


だって、あの、



種の部分、、



もっと細かいやん。



何回も下書きした。


種の部分は、細かく、細かく、


それだけで授業時間の大半を使っていた。




そして下書きが終わり、


いよいよ絵の具で色を塗っていく作業。



そこでまた、ひまわりの、



種の部分。



あれ、


何色なんだ???


茶色でもない。黒でもない。



とりあえず絵の具を混ぜてみよう。


茶色と黄色と黄土色と、、

緑も少し混ぜてみようかな、、、、、


うーん。。

得いかない。


なかなか、納得のいく色がでない。




そして、ようやく、


これだという色が出た!



いよいよ塗っていく作業だ。


一つ一つ、ちょんちょんと、色を着けていった。



細かい。。



周りの子が、

しゃーっと色を塗ってるのをみて、


なぜだか、あれはしたくないと思った。


そうこうしているうちに、

授業時間が終わってしまった。




「いつまで描いてんねん!」



周りの子からそんなことを言われた。



先生から、

残って最後までやりなさい。と言われた。




次の時間は、、、、



給食だ!


みんな机を移動させて、給食の準備を始めた。



僕はまだ、種に色を塗ってた。。




あれだ、、、


嫌いな給食のおかずがあって、

全部食べないといけなくて、掃除の時間になっても、昼休みの時間になっても、食べれなくて、


泣きながら、無理やり食べさせられた。



あれと同じパターンのやつやと、



そう思った。



でも適当にはできなかった。


先生が恐かったから。



先生が恐いのと、

しゃーっと適当に描くのは、納得いかなかったからだ。。。



みんなが給食を食べてる間、


まだ、種の部分に色を塗ってた。




そこで問題が起きた。。



やっと納得のいく色が出た、種の部分を塗ってた絵の具を、、



使いきってしまったのだ。



もう一度、パレットの上に絵の具を出していく。



配合なんか覚えてない。



茶色と、黄色と、黄土色と、

たしか、緑も少々いれたかなぁ。。



しかし、いくら混ぜても、



さっきと同じ色にならない!




納得がいかない。

悔しい!


悔しいが、このままだと、



給食も終わってしまう。

給食の次は、



掃除の時間だ!



「まだ描いてんの!?」


誰かに言われた。



うるさい。



でも気にしなかった。


それよか、


種の部分の色が、微妙に変わってしまったのが、


納得いかなかった。


やむなく、少し違ってしまった色で、続きの種の部分に色を塗っていった。。



結局、給食の時間が終わり、


掃除が始まった。



そこでまた問題が起きた。。



ひまわりの絵の、空を描いていた部分に、


筆を洗うバケツの水をこぼしてしまったのだ。。


青く塗った空の一部が、

少しグレーっぽくにじんでしまった。。



終わった。。


納得いかんわ。。



そう思いながら、なんとか、ひまわりの絵を完成させた。。


しかし、僕の中では、完全な


失敗作だった。




んで、そこから描いたのが、


バッタの絵。



バッタの絵はすぐにできた。


そして、納得いく作品になった。


後ろ足の折れてる部分が、


うまく描けたのだ!


その頃には、

除の時間も終わって、

お昼休みになっちゃってた。。



僕は、自信満々で、


【バッタの絵】


を、先生に持っていった。



僕はこんな時間まで絵を描いてたことを怒られるのではないかと、恐れていた。



先生は怒ってはなかった。

でも、先生が言った。



先生「なんでバッタの絵にしたん?」



僕「脚のところが上手く描けたから……」



先生「ひまわりの絵を出しなさい」



先生は怒ってなかった。


どちらかというと、諭すような感じで、ひまわりの絵を提出するようにと言ってきた。



んであんな失敗作を出せと言うんやろか。


種の部分の色は、微妙に変わってしまったし、


空の部分はグレーになったし、




納得いかんねんけどなぁ。



そう思いながらも、素直にひまわりの絵を提出した。



だって、




先生が恐かったから。



そして、数ヵ月がたったある日、


あの、


【ひまわりの絵】


が、なんか賞を取ったと

聞かされた。。



1番いい賞ではなかったけど、

佳作でもなかった。



はっきりと覚えてないけど、、、



朝の全校集会で、

前に出て表彰されたのは覚えてる。。


前に出て来て、表彰されているとき、


ふと、担任の先生を見ると、


普段、めちゃめちゃ恐い先生が、

めちゃめちゃ優しい表情で、僕に微笑みかけてくれた。




僕は、先生に向かって、

ピースサインをした。。。







後日、母親から聞いた話によると、

担任の先生は、あの子、遅い時間まで一生懸命頑張って描いてたんですよ!でもね、なぜかバッタの絵をだしたから、ひまわりの方にしなさいって説得したんです。。



ってめちゃめちゃ褒めて?くれてたそうです。



後日、

造幣局の近くのどっかに展示されて、、親と見に行ったのを覚えてる。。



母親が言ってた。。



「あのひまわりの絵、種のところが上手く描けてて、色が微妙に変わってるのが、本物みたいで、それで、空のところも、雲のようにネズミ色でグラデーションになってて、あんた絵の才能あるな!」


って、、、、、




そう、僕が納得言ってなかった部分。。。。



その部分が評価されたのだった。。。



お母さん、僕は、絵の才能はありません。。


だって、あの、ひまわりの絵は



まぐれにまぐれが重なってできたものだから。




大人になってから、何度か、絵を描こうとしたけど、



やっぱりダメでしたもん。。



母が、「あの絵、返してほしかったなぁ」って言ってた。。。



でもね、もし、返してくれてたとしても、




数年後、ごみ屋敷になったんだから、ゴミになってすてられてたと思うよ。。。



それはまた、別のお話。。。。





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