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『のび太の日本誕生』における「土地の所有」の問題

『のび太の日本誕生』の映画を見た人は神隠しの説明や土偶の怖さがtraumaになったとかいう感想を持っているようだが、それは表面だけにとらわれた浅い見方だ。
この作品を見た後のまともな感想は「土地の所有は是か非か」「道具の進歩は何をもたらすか」である。
空き地が建築工事の材料置き場となり、のび太は遊び場がないと嘆いてドラえもんに頼んで建物の模型を作り、自宅の庭に「ノビタランド」を作った。しかし、のび太のママが排除した。庭に物置を建ててもらうため(小四74年7月号)。
のび太の家の庭は親の所有物である。

次にドラえもんは無人島を作った。のび太は今度こそ「のび太ランド」が出来ると期待したが、不動産関係者が既に来ており、無人島は国の土地となった(小四75年8月号)。
そうなると空中に土地を作るしかない。

ドラえもんは海水浴場の砂や水を宇宙に吸い出す機械を作り、小惑星(衛星)を作った。
トカイトカイ星でものび太たちは自由に遊ぼうとしたし、ねじ巻き都市冒険記は小惑星上にユートピアを作る話であった。

『のび太の日本誕生』は私有でも国有でも人間が土地を持っていることに変わりはなく、それは是か非かというテーマを投げかけている。

のび太にとって、空き地が私有地であるのも、新しい無人島が国有地になったのも、結果として同じ事で、子供にとって自由に使える土地ではないという点では同じだった。

その意味で資本主義か社会主義かという二者擇一では結論の出ない問題になる。
東西冷戦への皮肉だったか。

のび太はボールを顔にぶつけられると「危ないじゃないか、道路でサッカーをするなんて」と怒ったが、ノビタランドの時は路上でスケートができず、嘆いていた。

のび太が遊び空き地には所有者がいた。のび太にとっては唯一の遊び場を所有されて迷惑だろうが、あの所有者があの空地をどこにも渡さず、抑えているから、のび太たちはあそこで遊べるのだ。

そもそも空き地は子供の遊び場のためにあるのではない。

遊びたかったら学校の校庭か公園に行けばいい。校庭や公園がボール遊び禁止なら、区の行政に頼んで、少年野球や少年サッカーのための球場を用意してもらえばいい。

一方、あの空地の周りの大人がもし区の行政に頼ったら、あの空地は立入禁止になっていたであろう。あの神成さんが子供たちを叱るだけで、空き地を報知しているから、のび太たちは空き地で遊べるのだ。

参照
Y!Blog>『ドラえもん』の「石器時代の王さまに」で考える文明論
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