富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

松原のお冨士さん

2021年05月05日 18時39分55秒 | 富士塚

 都内23区、、、どちらかと言うと東側の方が富士塚が多く残っている感じだ。そんな中、世田谷にも富士塚があると言うので、早速、出掛けて見る。
世田谷と言っても、杉並区との境に近いところで、電車なら京王線の明大前の近くだ。
 明大前駅から見ると、その南東方向にある。周囲は、住宅地。でも、京王線の高架化工事のためか、あちこち用地買収され空き地が目立つ、そんな地域だ。


▲境内に入ろうとすると、右手奥に黒い塊が目に入る⇒富士塚だ!

 境内の入口には大きな鳥居が立つ。この鳥居、束額が「冨士山」だ!そして、その両脇の石柱にも「冨士山」の文字。
いきなり富士山の主張に見舞われる。此れは期待出来るぞ。早速、鳥居を潜ろうと境内を何気なく見渡すと、その右奥に石の積み上げられたものが目に飛び込んでくる。富士塚だ。
それも、なかなか急角度で屹立した立派な富士塚だ。色も黒っぽくはっきり見える。 
 早速、拝殿でお参りを済ませ、目指す富士山へ。
 山体は、全体を黒い溶岩、、、いや溶岩なんだろうけど、あの黒ボク岩とはちょっと感じの違う岩に覆われている。
山裾は、カイヅカだかヒバだか、まぁ、そんな種類の針葉樹の低木に覆われている。
そして、その前庭部分は、何と枯山水を思わせる白砂が敷かれている。こんな立派な富士塚は滅多に無いんぢゃないかな。凄く管理が行き届いている。
歴史の遺物としての富士塚ばかり見て来たけど、ここは現役の富士塚なのかも知れない。そう考えると、此れまで見て来た富士塚も江戸時代や明治時代の富士山信仰が盛ん名頃は、もっともっと美しい姿の富士塚だったんだろうなと、この冨士塚を見て、考えさせられた。


▲前庭の白砂との対比が美しい

▲裏手には階段

 富士塚を見ると、つい登ってみたくなる。と言う訳で、ここでも登山道を探す。正面にはそれらしい道や石段は見当たらない。ところが、正面から塚の左側へ回り込むと、何と今まで見て来た黒い岩の山容とは打って変わり、灰色のコンクリートの階段が設けられている。
この部分、ちょっと此れまでの雰囲気と違うが、山頂の祠の管理用の階段と思えば、足元のしっかりした階段設置も頷けるかな。。。
 それと、この富士塚の大きな特徴は、「胎内」があることだろう。それも開口しており、中が覗ける。凄く綺麗にされていて、此れも現役なんじゃないかと思える。
 いやいやいや、分からない事ばかりで勝手に想像しちゃったけど、、、説明板は?実は、あったらしいのだが、つい富士塚に夢中になり、説明板は目に入らなかった様だ。一緒に行った者に聞いたら、「空襲で本段が焼け、富士塚も※÷/*й、、もっと高かった*%$/#、、」と。
説明板を見なかったのが悔やまれる。


▲開口している胎内、中に何か四角いものが見えるが、よく分からない

▲塚の並びには講碑などが並べられている

▲こっちにも石碑が整列されている
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 東京都世田谷区松原一丁目7 神道扶桑教大祠内
 2021年(令和3年)5月3日・ 月曜日・14時頃・晴れ


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