富士塚を行く

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足を延ばして見て歩いた記録

✖ 和楽備神社の富士塚

2021年05月16日 16時49分24秒 | 富士塚

 再び蕨市内に富士塚!?って話しを聞いたので、早速、出掛けきた。
以前は線路の向こう側(=京浜東北線の東側)の塚越だったが、今度はこっち側だ。和楽備神社は、年末になるとおかめ市が開かれたりする、この界隈では大きな神社だ。そこに、富士塚が有るなんて今まで聞いたことがなかったし、塚状の小高くなったものも見た記憶が無い。きっと、違うんだろうなぁと思いつつ、でも、有ったらいいなぁとちょっと期待も持ちながらの捜索だ。
 この神社も境内は狭いながらも、そこには様々な石碑やら記念物が置かれている。神社の通路部分に境内の案内地図が有ったので、其れを参考に探してみると、、、富士塚の表示はなし。矢張り、無いのかなぁ。聞いたことなかったもん。
 しかし、「浅間社」の表示が!と、此れを目指して向かってみると、、、、小さな石製の祠があるのみだった。特段、塚状でもなく、富士山を思わせるものも周囲には無く、他の石碑に混じって、ひと並べにされた石碑の内の一つに過ぎない。

▲浅間神社は、この小さな石の祠があるのみ

▲他の石碑と一緒にならんでいるだけ
 その他、気になるものとしては、「御嶽神社」の大きな石碑だ。
御嶽山と並んで、八海山、三笠山の文字が見える。どうやら、こちらは御嶽講の様だ。幸いこの石碑の横に説明板があり、木曾とつながっている中仙道の宿場町だった蕨には御嶽講があり、八海山、三笠山と共に信仰されていたとのこと。
そうかぁ、この前行った志木にも御嶽神社があった。久々に、そのページを開き、撮った写真を見たら、「!」、、、何と、そこも御嶽山と八海山、三笠山の組み合わせだった。埼玉県南部のこの辺りは、富士山と並んで、そう言う御嶽山信仰もあったんだね。

▲高さ2m位はある大きな石碑だ。信仰の大きさの現れ?

▲その右横に置かれた小さな簡易な説明板
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 埼玉県蕨市中央四丁目20 和楽備神社内
 2021年(令和3年)5月11日・ 火曜日・16時頃・薄曇り

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 と、以上で終わるはずだったが、この記事をまとめるにあたり、添付の写真を改めてよく見たところ、御嶽神社の石碑の上の部分に見える印が気になり、再度、和楽備神社へ見に行ってみた。先日撮った写真では、注連縄がその印の上に掛かってしまい、はっきり確認出来ない。
 その、気になる印と謂うのは、志木の御嶽神社の鳥居の扁額に記されていたのと同じに見えたからだ。あの「山型に、丸に三」だ。あちらは、実明講、こちら蕨は蕨一山講。講が違えば、その印は異なるのではと思ったのだが、、、殆ど同じ。
 和楽備神社に着き、早速、注連縄の蔭に見え隠れするその印を確認してみたところ、矢張り、「山型に、丸に三」だった。もう、殆ど同じだ!もしかすると、この印って、御嶽山の講は、みんな同じなのではないか。御嶽講の印ではないのかと言う気がしてきた。過去に撮影した写真を再度見返してみたが、残念乍ら、駆け出しの頃の写真なので、富士山に関係無さそうなのは撮影していなかった様だ。

▲御嶽講の石碑の上部:矢張り、「山型に、丸に三」だった!

▲御嶽神社の石碑の裏面:注連縄の垂れ下がった後ろに「蕨一山同行」の文字が薄っすら見える
 また、ネットでこの印を検索してみると、御嶽神社の神紋だとか、「山三丸」とか「御嶽に丸に三つ引き」だと幾つも書かれていた。矢張り、御嶽山の印だった様だね。
今回も富士塚には廻り逢えなかった。しかし今後は、富士塚、富士講と平行して、御嶽山、御嶽講にも気にしてみようかな。

▲浅間神社の祠(右)と御嶽神社の石碑(左)を裏から見る

浅間神社の祠の中:紙垂の間に「浅間」の文字が何とか見えた

▲浅間神社の隣に建つ御嶽神社の石碑:こちらは「御岳」と簡易な字体になっている。そして、石碑上部の印は、矢張り、「山型に、丸に三」だ!

▲蕨神社の案内図(一部分)
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 埼玉県蕨市中央四丁目20 和楽備神社内
 2021年(令和3年)5月15日・土曜日・16時頃・曇り時々晴れ


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