11月22日(土)に森銀社員5人で東京浅草の鷲神社で行われている「酉の市」に行ってきました。
鷲神社は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした神社です。
現在は「おとりさま」として一般にも親しまれ崇敬を集めており、また十一月の例祭も現在は「酉の市(とりのいち)」として広く知られています。
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。
天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。
後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。
十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われます。十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれます。
以前は、酉の祭(とりのまち)と呼ばれていましたが、次第に市の文字があてられてきました。祭に市が立ったのです。酉の市(酉の祭)は、鷲神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。社号も昔は鷲大明神社と称していました。元来鷲大明神社の「大」は敬意、「明神」は神を奉る号です。「東都歳時記」には、酉の日・酉の祭、下谷田甫鷲大明神社当社の賑へることは、今天保壬辰(1832)より凡そ六十余年以前よりの事、とあり、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていたことがわかります。
上記は、ヤフーで調べてコピペしただけです・・。当日は天気が良く、お祭り日和でした。ただ、凄い人!人!人!でした。田舎者の私は歩くペースに惑わされ、何度も足が縺れ転びそうになり、そのくせ団体行動が苦手なため、他のメンバーからはぐれ迷子になり・・・と、夕方はヘトヘトでしたが、本日のメイン行事、「かき小屋」の牡蠣・ホタテ・酒!を目の前にしたら昼間の疲れなんてぶっ飛びました!