地理講義   

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19.日本の米    生産者米価引き下げ(1987年~)

2011年01月09日 | 地理講義
政府買入米の引き下げ(1987年)

1987年(昭和62年)、日本政府は農業団体の反対を押し切り、政府が農家から買い入れる生産者米価を5.95%下げ、1俵17,557円と閣議決定した。
日本国内で米が余り、政府指定倉庫からは政府買入米がはみ出していた。また、古米の保管処理費用が年1兆円を越えた。政府が農家から買い入れた米が、売れずに余る原因は、

1.生産技術が向上したこと(化学肥料・農薬・品種改良・農業機械)
2.政府米価格を上げたこと(米作農家への価格補償)
3.米消費量が減少したこと(年間1人平均900kgから600kgに減少、食生活の洋風化)
4.国内外から米市場開放要求(安価な外国産米の輸入自由化と国内米価引下)
5.農業基本法農政の失敗したこと(中核農家への水田集約化と経営規模拡大に失敗)
6.農家人口が減らないこと(跡継ぎは兼業農家。農村からの人口流出は2・3男)

などがあげられる。農業基本法(1961)も減反政策(1970~)も、農業の現実を知らない農林水産省の机上プランの失敗であった。1991年、日本のオレンジ・牛肉の輸入自由化が決定された。日本の農林族国会議員には、コメの輸入自由化の恐れが強まった。国際価格水準の10倍にもなる日本米は、安価な輸入米に大打撃を受ける恐れが現実のものになった。

貿易摩擦の問題

1980年代、日本からアメリカに小型乗用自動車・VTRなどが大量に輸出された。日本とアメリカの貿易では、日本側の大幅黒字であった。
日本の貿易についての考えは、日本からの輸出が自由貿易を建前とした「善」であった。一方、輸入は外貨を減らす「悪」であり、日本にとって輸入制限は当然であった。日本は、第1次石油危機以降、GATT体制のフリーライダーとして貿易黒字を貯めこみ、世界中から厳しく非難された。
日本の食糧管理制度が外国米に排他的であり、自由貿易を厳しく否定した。日本とアメリカの貿易額を比較すると、日本側の貿易黒字であった。アメリカは日本のコメ市場開放を強く要求した。
日本の国会議員は、選挙地盤としての農村を守るため、アメリカからのコメ市場開放要求を拒否した。これには当然、大石武一落選の悪夢があった。日本の農業政策の根幹は、はコメの輸入を拒否しつつ、他の農畜産物の輸入では妥協することであった。

日米繊維製品摩擦
(1) 日米綿製品協定(1957):アメリカ繊維業界が日本からの安価な綿製品輸入(例:1ドル=ブラウス)を規制しようとした。アメリカ政府の要求により、日本は5年間の綿製品輸出を自主規制した。
(2)日米繊維問題の政府間協定の覚書(1971):1968年から、日本の輸出する毛織物・化学繊維がアメリカの業界に被害を与えた。アメリカ側が沖縄返還交渉と日本の輸出自主規制を関連づけて交渉するため、交渉は長引いた。田中角栄通産大臣はアメリカ側要求を全部受け入れて貿易交渉は決着した。日本政府は、日本国内の関連繊維業界に3000億円の救済融資がなされた。日本国内では、繊維を売って沖縄を買った、と言われた。

日米自動車摩擦
1973年の第1次石油危機で原油価格が4倍に上昇した。1975年成立したエネルギー節約法で、1978年から1985年までに、アメリカ産自動車は燃費効率の引き上げを義務づけられた。ビッグスリーは、大型車のサイズダウンをや小型車の導入をはかったが、大型車の売れ行きが好調であり、小型車への転換が遅れた。
1979年の第2次オイルショックでは、事態は一変した。アメリカ産大型車が売れず、燃費にすぐれた日本産小型車が売れた。大型車の生産が主力のビッグスリーは凋落した。デトロイト不況といわれ、アメリカ自動車産業は、大量の失業者を生んでしまった。
日本の政府・通産省は、アメリカの自動車業界救済のため、「対米自動車輸出自主規制」(1981~94年)を決断した。アメリカへの乗用車輸出を年間168万台に自主規制し、日本の自動車メーカーに輸出台数を割り振った。日本国内では、アメリカ市場の占有率を上げるための国内競争が不要になり、日本メーカーにとって、対米輸出自主規制は好都合であった。
一方、日本の政治家の票田としては魅力の少ないオレンジ・牛肉農家を切り捨て、オレンジ・牛肉の輸入が自由化された(1991)。


農産物12品目問題(1986年)

ウルグアイラウンド中で、アメリカが日米貿易交渉が難航したしたため、1986年7月に日本の農産物輸入制限12品目に対し、輸入自由化を求めてGATTに提訴した農産物である。
1.粉乳・錬乳
2.プロセスチーズ
3.牛肉調整品
4.フルーツピューレ・ペースト
5.フルーツパルプ・パイナップルかんづめ
6.非かんづめ果汁
7.トマト・ソースケチャップ
8.でんぷん
9.ブドウ糖
10.雑豆
11.落花生
12.その他調整食料品

12品目のうちには米が含まれていない。
米の貿易に関しては、ウルグアイラウンドにはミニマムアクセスに関しての規定がない。最低限の輸入をするしないか、は、日本政府の判断によるものである。
日本が財政的に耐えられる最低限度量として70万~77万トンの米を輸入したが、しかし、日本のミニマムアクセス77万トンが、日本の輸入義務ではない。ウルグアイラウンドには、日本のミニマムアクセスの規定はない。
日本には最低限の米輸入義務が存在するかのような世論形成をしたのは、1994年の羽田内閣である。そのねらいには、日本の米価のさらなる引き下げがあった。

アメリカは、日本の米市場の早期開放は困難と察知すると、日本に牛肉・オレンジの輸入自由化を認めさせた(1991年)。アメリカは、牛肉・オレンジの自由化以後に、米の市場開放をねらっていたのである。
日本政府は戦時配給制のための食糧管理法は、ヤミ米の横行で耐用年数が過ぎたことを承知して、ヤミ米を合法化する食料法への移行を検討していた(食糧法は1995年実施)。








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