地理講義   

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18.日本の米   生産者米価の上昇(1946年~1984年)

2011年01月03日 | 地理講義
米は60kgが単位
 
米俵1俵の玄米は、重量60kg、4斗である。米価については60kgを単位とするのは、かつて、俵で米を運搬したからである。下図は山形県酒田市の最上川河口にある山居倉庫。庄内米が60kgの俵に保管され、出荷の時を待った。
戦後の政府買入米の最高価格は18,516円である(1984年)。2010年の政府買入米は140,000円にまで下落した。
なお、現在は俵を使わずに30kg入りの紙袋を使い、俵を使わない。しかし、米価は60kgを単位とする。








農家の収入に占める米の地位は低下



日本の農業総生産額では、米作の経済的地位が低下傾向にある。2006年統計では、畜産28%、野菜25%、米22%の割合である。米作は農家の収入では第3位である。しかし、米作農家には日本人の主食を生産している意地と誇りがある。

畜産は、乳牛・鶏・豚・肉牛飼育など、多様である。1961年の農業基本法にもとづく農業政策(農基法農政)として、畜産・野菜・果樹が奨励された。農基法農政は、一貫して、米の生産過剰対策つまり米からの転作(減反政策)を進めた。畜産は、飼料作物栽培と一体化した農業であり、米の生産過剰対策として積極的に進められた。
畜産には政府の価格統制はなかった。逆に、畜産農家には、政府からは営農資金の融資や、肉類の輸入規制で畜産を保護した。冷凍肉の加工・流通網整備など、肉類の消費増加に対応した政策も進んだ。畜産農家は家畜の多頭飼育により、利益をあげ、さらに、アメリカなどから安価な飼料を輸入して、さらに利益をあげた。

野菜栽培も肉類同様、生産・流通に政府の手厚い保護があり、消費が急増した。野菜農家は野菜の不作・豊作で収入に大きな変化があったが、不作の場合には農業共済からの損失補てんがあった。野菜産地と消費地とで契約栽培をしたり、大規模栽培を進めてコストダウンを図ったりし、野菜栽培も、畜産同様、大きな利益を得た。


米価の引き上げ

パリティ指数による米価決定(1946年~1960年)
戦争直後から1960年まで、米作に必要な肥料・農薬・梱包資材などが上昇した。パリティ指数としてその物価変動分を示した。米価審議会ではパリティ指数を基本に、生産者米価を引き上げた。米価の引き上げは、日本のインフレと同程度であり、米作農家の生活だけが向上したのではない。
戦時立法の食糧管理法が戦後も存続し、政府が農家から米を買い、その米を政府が米穀店に売り渡していた。米作農家の収入は、政府の米買上価格次第であったが、政府の強力な保護を受け、水田面積の増加、米の反収の増加、多収量品種の開発などにより、米の増産が続いた。
政府の買入価格は、他の物価上昇を勘案したパリティ指数で計算された。パリティ指数は、戦後の一時期日本を占領したアメリカによって提案されたものである。1960年までの米価は、米作農家の生活水準は考慮されず、食糧管理法会計が財政バランスを崩さないように決められた。
1960年までは、政府買入価格と売渡価格とが一致していた。米価審議会が、米作農家の所得より、国家の財政の安定を重視した。




所得補償方式の導入(1960年~1984年)
日本では1960年には米の生産過剰が問題になり、その対策としての農業基本法が施行された(1961)。しかし、米作農家は、値上がりを続ける米の栽培を減らさず、政府買入米の膨張と古米処分が大問題になった。食糧管理制度が破綻寸前であったが、それでも生産者米価が終戦の1945年から1985年まで、一貫して上がり続けた。特に1960年から、値上がり率が著しい。その理由として、次のことがあげられる。

(1)生産者米価(農家が政府に売る価格)が、米価審議会で政治的に高価格に設定された。
米価審議会は1949年に非公式に発足、1951年に法制化された。生産者代表・消費者代表・学識経験者・国会議員の25名によって構成された。委員の人選は米価値上げの賛同者によって構成された。国会議員代表はコメ議員であり、米価審議会においては米価の引き上げを強く要求した。また、米価審議会委員も、米価引き上げに同調するような人選がなされた。

(2)終戦直後からのパリティ指数では、生産者米価の8割が資材費とされて、農家の収入は2割であった。1960年からの米価算定基準を、パリティ方式から所得補償方式に転換した。米作農民が都市労働者と同程度の収入を得られた。生産者米価は年、大幅に引き上げられた。生産者米価の上昇と政府の全量買入により、米の栽培面積が拡大した。
逆に、都市の消費者保護のため、政府売渡価格を安くした。この価格の逆転現象が、逆ザヤといわれ、1963年から1987年まで続いた。
逆ザヤと政府米管理費用の増大のため、食糧管理会計は毎年1000億円の赤字になった。

(3)与野党の政治的対立。与党が米価を引き上げて農民を保守化させた。野党が国会で多数を占める可能性は消えた。政府与党にとって食管会計の赤字は、日本の安全保障費用であった。日米安全保障条約によって、日本の体制存続が可能になった。

(4)米作農家が経済的裕福になると、農機具・電気製品・自動車などの工業製品が飛ぶように売れ、内需は拡大した。日本の工業発展つまり高度経済成長を下支えをした。また、米作の機械化が進んで労働日数が減ると、農村の中心的労働者は大都市への出稼ぎで現金収入をえた。米作は老人夫婦(じいちゃん、ばあちゃん)と嫁(かあちゃん)の3人でできるので、「3ちゃん農業」が流行語になった。農村からの出稼ぎ労働者は大都市の低賃金労働者となり、大都市の経済発展に大きな役割を果たした。

(5)米作農家は、機械化と出稼ぎが調和し、大都市のサラリーマン並みの収入になった。農林族と米作農家の蜜月時代が続いた。日本の米価は国際的に高価であっても、安価な輸入米は政治的に締め出すことができた。政府売渡米が米穀店から一般消費者に売られたが、味は悪かった。味のよいヤミ米は、ブローカー・飲食店間で高値で取引された。流通量は1980年推計では政府米が1000万トンの時、ヤミ米300万トンといわれた。政府は政府買入米の削減になるので、ヤミ米の増加を黙認した。



大石武一農林大臣落選の衝撃


衆議院議員大石武一は自民党には珍しく、裏表のない実直な政治家であった。尾瀬は、日本では珍しい手付かずの高層湿原である。尾瀬は田中角栄の縄張り。尾瀬から流れる只見川(阿賀野川)にダムを建設し、電力販売会社(日本電源開発)をつくった。田中角栄はさらに尾瀬をすべての国民に見せる名目で、尾瀬にケーブルカー建設を計画した。東京~尾瀬~新潟の高速道路建設構想もあった。大石武一は環境庁長官として、これらの自然改造計画を、田中角栄の反対を押し切って中止させ、尾瀬を守った。大石武一は、環境保護に関わる者にとって、最も尊敬すべき政治家であった。
 


大石武一(1909~2003年)は内科医だが、宮城県北の米作地帯を選挙地盤とする自民党国会議員であった。1971年第3次佐藤栄作内閣では環境庁初代長官に就任した。四日市ぜんそく、尾瀬の観光開発、水俣病患者救済に活躍した。政党・政治家の利害を越えた環境保護政策は、国民多数から支持された。

1976年の三木内閣では、農林水産大臣として2度目の入閣となった。
当時、米は豊作が続き、生産過剰であった。大石武一は、全農(農協の全国組織)の反対を押し切って、政府の買入価格を引き下げる強い決意で、1976年の第34回衆議院議員総選挙に立候補したが、地元若柳農協は米産地であり、大石武一を落選させる運動を展開した。大石武一は現職大臣として落選した。
大石武一の落選に自民党の国会議員は驚き、恐れた。
次の選挙を考えれば、政治家は政府買入米価の引き下げを語ることはできなかった。選挙公約は、みな、政府買入米価の大幅な引き上げばかりであった。事実、1976年から10年間、政府買入米価は大幅に上がり、消費者米価との逆ざや状態に陥った。
大石武一は1977年に参議院議員として国会に戻った。世界の環境保護と平和運動に貢献し、多くの国民に感銘を与えた。しかし、若柳農協と選挙密約があって、米価については口を閉じてしまった。


政治加算

政府米の逆ざや状態、米の在庫管理費用が年1兆円、米の国際相場の10倍以上の異常高値、ニセ銘柄米の横行など、米についての悪いニュースだけが都市消費者に伝わった。
1070年、米価審議会では消費者代表・中立的学識経験者から、政府買入米価の引き下げの意見が出ていた。生産者代表の要求を押し切って、生産者米価の引き下げを決定したこともあった。しかし、米価審議会は食料庁の諮問機関であり、米価決定は国会のに過ぎなかった。
米価の最終価格決定は実質的に閣議にあった。米価審議会の米価引き下げ決定は、閣議で簡単にくつがえされ、生産者米価の引き上げは当然のように決められた(政治加算)。
特に現職農林大臣大石武一の落選は、与野党国会議員に恐怖感を与え、米価審議会でどのような決定がなされようが、自分の政治生命を守るため、生産者米価を引き上げた。特に、農林族(コメ族)国会議員が、米の生産削減に減反補助金をつけた上に、政府買入米価の引き上げに熱心であったことは、大都市消費者に厳しく批判された。
それでも政治加算は続けられ、1984年、生産者米価は60kg当たり18,668円の異常高値になった。








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