緑の円盤
サウジアラビア王国は、砂漠が80%を占める。膨大な原油輸出収入を食糧の安全保障に振り向けた。アメリカの灌漑農業技術を直輸入し、砂漠地下から強力モーターで地下水を汲み上げ、半径400mの巨大なスプリンクラーで散水する。地下水は第四紀の湿潤な時期に貯えられた地下水である。ほとんど補給のない化石水である。
1980年以降、サウジ国営農業銀行が農業希望者に、農業機械、センターピボット、種子、肥料、農薬などの購入代金の50%を補助金とした。小麦、じゃがいも、酪農などの生産が急激にのびた。20世紀末には生産過剰となった小麦を周辺諸国に輸出するほどであった。
航空機からリヤド付近の砂漠を見下ろすと、緑の円盤が整然と並んでいるのが見える。一つ一つがセンターピボット農法の農地である。
センターピボット農法
砂漠の地下水層から汲み上げられた水に、農薬・化学肥料などを加え、大型スプリンクラーで大量に散布する。大型牽引車を使って1日に2~3周する。
散水量が不足すると、地下から毛細管現象で上がった塩分が土壌表面に積もり、砂漠土はさらにアルカリ性を強め、さらに不毛の地になる。
大量に散水すると、地下水の枯渇が早まるし、肥料分の多い土壌が流出してしまう。
サウジアラビアでは地下水の8割を使い果たし、現在の地下水使用量のままでは、2020年までに地下水が枯渇する。サウジアラビア政府は、2016年までにセンターピボット農法を廃止する予定である。
これに対し、エチオピアかスーダンからナイル川の水を買う構想がある。ナイル川流域のエチオピアあるいはスーダンに石油パイプラインで石油を送り、並行に設置する送水管では、ナイル川の水をサウジアラビアに供給する計画である。理屈の上では簡単だが、長距離の送油管・送水管は建設よりも、その後のメインテナンスにカネがかかるし、しばしば反政府主義者に破壊されたりする。また、二国間関係がうまくいっているうちは供給も円滑だが、外交・軍事問題で対立があると、すぐ元栓を閉めて、政治的圧力を強めることがある。
なお、センターピボット農法は、ロッキー山脈に降る雨雪が大量の地下水を涵養するアメリカの灌漑農業形式である。砂漠地下の限られた量の化石水を使う灌漑農業としては不適当である。サウジアラビアの潤沢なオイルマネーに目をつけた、アメリカのアグリビジネスが、サウジアラビアの資産家に売り込んだのであろう。
アラブの春
サウジアラビアでは2011年には小麦120万トン、ばれいしょ51万トン、牛乳170万トンが得られた。
アメリカ合衆国型のセンターピボット農法では、地下水の過剰揚水による枯渇の問題が生じる。ポンプや牽引車の購入費用・燃料費用をサウジアラビア政府が負担しているが、原油価格の変動が大きく、農民の満足するような経済援助ができない場合もある。かつては小麦を輸出するほど生産できたが、水を大量に使う小麦栽培から、高価な花・果実・野菜などの園芸作物に転換が進んでいる。
サウジアラビアの遊牧民は都市に定着し、21世紀には遊牧民は5%以下である。砂漠における穀物栽培も園芸農業も、ハイテク農業である。遊牧民からの転身者も多い。しかし、農作業は基本的には単調な肉体労働であり、外国からの出稼ぎ労働者の仕事である。
サウジアラビア国民は農業などの肉体労働を嫌い、低賃金の外国人出稼ぎ労働者にまかせる傾向が強い。サウジアラビアの若者は第3次産業をめざすが失業率は30~40%である。サウジアラビアの失業者は、政府によって手厚く保護されるので、低賃金の仕事をしない。農業・土木・建築などは、低賃金の外国人労働者の仕事と思ってきた。
しかし、石油よりも安価なシェールガスが世界的に利用され、原油価格は下落傾向にある。サウジアラビアの若者を働かせるためと、出稼ぎ労働者への社会福祉費用を減らすため、外国人労働者を積極的に追い出す政策を強めている。サウジアラビアの若者は賃金が高いが、サウジアラビアの将来のために農業・土木・建築などの仕事をさせる傾向が強まっている。
水資源の枯渇の恐れのない節水型農業の研究開発を進めている。また、原油以後に備えて、工業特にハイテク産業を国内で盛んにするため、学業優秀な若者の海外留学を奨励している。
サウジアラビアの人口2,000万人のうち、外国人労働者が500万人である。サウジアラビアの20代の若者に限れば40%が失業者である。政府は、毎年100万人ずつ外国人出稼ぎ労働者を減らし、国内の若者の失業者を減らすことを急いでいる。失業した若者を放置すれば、仕事のない若者が、リビア・チュニジア・シリア・エジプトのように「アラブの春」としての反政府運動を起こしたり、国内のイスラム過激派に加わる恐れがある。国内政治の安定のために、失業者を手厚く保護してきた。将来も、働かない若者を手厚く保護することは難しい。外国人労働者を帰国させ、その代わりに、失業中のサウジアラビア国民を働かせることになる。
将来は、サウジアラビアの中核を担うエリート層と、単純労働に明け暮れる勤労者との、所得格差は不可避と見られている。また、女性にどこまで社会活動を許容するかが、宗教的・政治的に大きな問題になっている。
サウジアラビアにアラブの春には、2つの春がある。イスラム原理主義立場の春は、王制の石油利権やイスラム女性の社会進出が大問題になり、反アメリカの復古的なイスラム教国家になる。
政経分離を進めることがサウジアラビアの春であれば、女性の社会進出が進み、イスラム教と無関係な政治が実現されてアメリカ型・西ヨーロッパ型の国家になる。しかし、国王の独裁専制政治が崩れ、無秩序の国家になる恐れもある。