地理講義   

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33.インドの農業  食料不足と人口増加

2011年02月18日 | 地理講義
インドの食料不足の問題
インドの人口増加と米生産増加を比較すると、1960年・1970年代には人口増加が米の食料供給を上回り、米不足が起こった。インドの女性首相インディラ=ガンディーは国民に、「ネズミを食べよう」と呼びかけた。これはネズミがインドの保存米の20%を食べてしまうので、ネズミを絶滅しようという演説が誤って伝えられた。インディラ=ガンディーの政敵によって故意に真意をねじ曲げたものである。



1971年の総選挙で、インディラ=ガンディー首相は、貧困追放]の一つとして緑の革命を推進した。これは10年前にインド国民会議派が推進した新戦略農業政策を引き継ぐものであり、すでに富農(大地主層)に多収量品種(奇跡の米)、化学肥料、農業機械、農薬などが導入されて、米の生産量は増加傾向にあった。しかし、カネのかかる農業であり、富農が多く、自然条件に恵まれたパンジャブ州とハリヤーナ州に限定された政策であった。
インディラ=ガンディー首相は、緑の革命を全土に拡大した。富農は緑の革命を受け入れる経済的能力があったが、小作農は農地を失って土地無し農民に転落し、貧困の追放にはならなかったが、緑の革命が拡大したことに加え天候にも恵まれ、1970年代にインドの食料不足は緩和されていった。




強制断種政策
米の増産分を人口増加が食いつぶすことが、インド最大の食料問題・人口問題であった。
インディラ=ガンディーは、中国の一人っ子政策を真似た、インドの二人っ子政策では、人口と食料生産が調和するまで、半永久的な時間が必要であるとの危機感があった。
1975年6月、インディラ=ガンディー政権は反政府運動を弾圧するために、非常事態を宣言した。次男のサンジャイ=ガンディーが新生活運動を提唱し、政治の表舞台に登場した。農村花嫁の持参金廃止と、子どもは二人までとする呼びかけがなされた。背景には、インド農村の貧困と、インドの食料増産が人口増加に追いつかない危機感があった。
インディラ=ガンディー母子政権は、インド北部の貧困解消と食料不足解消のために、低層カースト男子を対象に、強制断種政策を始めた。
1976年4月の開始時点の断種目標は430万人であった。各村の村長と警察署長には厳しいノルマが課せられ、貧しい農民が断種の対象となった。警察官が断種の対象者を病院に集めたが、不衛生、医療機械の不備、医学的知識の無知のたに、1割は死亡したと見られる。1977年1月に中止されるまで、断種は780万に強制されたと推定されている。
強制断種政策が中止されたのは、1977年5月の総選挙が近づくにつれ、強制断種政策がインド全土で実施される噂が広がり、インディラ=ガンディー率いる国民会議派の有力支持者が多数離反したからである。事実、1977年5月の総選挙では与党であった国民会議派は、全国542議席中152議席を得ただけであった。
ジャナタ党が与党になり、1977年8月にガンディー首相は非常事態宣言を解除したが、選挙違反を理由に逮捕投獄された。インディラ=ガンディーにはインド国民からの同情が寄せられて釈放された。
1980年の総選挙で国民会議派はジャタナ党を破り、インディラ=ガンディーは首相に返り咲いた。しかし、農業の発展したパンジャブ州でシーク教徒が独立運動を強めたため、軍事弾圧をしたが、逆にシーク教徒警備兵に暗殺された(1984年10月31日)。

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