3.熱帯の生活
※上図のインドとインドシナ半島は、熱帯モンスーン気候Amが広すぎて誤り。
熱帯気候の生活
ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候Af、サバナ気候Aw、熱帯モンスーン気候Amの3種類である。最寒月平均気温が18℃以上である。18℃は、熱帯と温帯の植生分布の違いから決められた数値である。Afは年中雨季、Awは冬乾季、Amは短い雨季が存在するのが大きな特徴である。それを区分するための数式が存在するが、おぼえる必要はない。
植民地としての熱帯
いわゆる先進国かつての帝国主義諸国が熱帯地域に注目したのは、熱帯が快適な居住地域だからではなく、軍事的・経済的に重要だからであった。
(1)オランダのインドネシア支配
オランダが軍事的には無理をしつつも、インドネシアを支配した理由は、17世紀には香辛料貿易で高い利益をあげたからである。19世紀にはジャワ島の自給作物であった米の栽培を規制し、コーヒー・サトウキビなどの商品作物を強制的に栽培させて、儲けることができたからである。
(2)スペインのフィリピン支配
16世紀、スペインは香辛料貿易を画策してフィリピンを支配したが、フィリピンでは香辛料は産出されなかった。地中海貿易の帆船ガレオンで、メキシコのアカプルコからフィリピンのマニラまでメキシコ銀を運んだ。そのメキシコ銀で、中国から絹・陶磁器を安く買い、マニラに運んだ。マニラにあるものは、メキシコ銀と中国産商品ばかりであった。スペイン人による中国産品の国際貿易が進んだ。
(3)ポルトガルのブラジル支配
1494年のトルデジリヤス条約により、ポルトガルはブラジルの合法的に支配した。金採掘に黒人奴隷を導入した。ブラジル国内には高等教育機関がなく、知識層の連携による独立運動や革命はなく、一時的な反乱がある程度であり、植民地の維持費用は安かった。
ブラジルの熱帯雨林保護
1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロに180国が参加し、国連環境開発会議が開催された。1990年の国連総会で先進国首脳の出席を議決したことから、地球サミットともいわれた。
「持続可能な開発」は1987年にブルントラント委員会(国連の「環境と開発に関する世界委員会」)のスローガンである。開発と環境保護の両立を訴えたものであり、1992年の地球サミットで再確認された。
1992年の地球サミットがブラジルで開催され、「持続可能な開発」がテーマであったのは、当時、アマゾン流域の熱帯雨林地域(セルバ)の開発が急速んでいたからである。熱帯雨林の減少が地球全体の温暖化を加速させる危機意識が世界の常識であった。
ブラジルでは熱帯雨林の保護意識が低く、セルバに牧場・農地・鉱山開発・工場建設など、大規模開発計画が進んだ。しかし、アマゾンには道路・鉄道などの産業基盤整備が遅れ、開発への投資が遅れた。セルバへの投資効果がないということが、熱帯雨林の保護につながった。
ブラジル高原のサバナ気候の地域がセラードだが、内陸高地にあるため、降水量が少ない。
20万平方キロメートルの荒れ地に、灌木類が深くまで根を張って耕作が困難であった。
土壌は酸性やせ地で鉄・アルミ含有量の多いラトソルであり、農業には不適当であった。
ブラジルは国際的批判の強い熱帯雨林地域の開発計画を棚上げにした。
1979年に「日本ブラジル農業開発事業」でセラードの開発計画が始まっていたが、アマゾン開発批判の国際的批判が高まってから、セラード開発計画が本格化し、2001年に700戸分の農地開発が終了した。
ブラジル高原セラードの灌漑農業。センターピボット農法を導入
日本が[遺伝子組み換え大豆]の輸入を禁止しているため、ブラジルでは日本市場向けに[遺伝子非組み換え大豆]の栽培が多かった。日本はアメリカが[遺伝子組み換え大豆]への転換を進めたため、ブラジルの[遺伝子非組み換え大豆]の増産と輸出に期待した。
日本がセラードの農業開発に700億円も投じたのは、ブラジルが日本市場向けの[遺伝子非組み換え大豆]の栽培に期待したからであった。
しかし、アメリカの穀物メジャーモンサント社などがブラジル政府に[遺伝子組み換え大豆]の栽培を働きかけ、2004年にセラードの大半の農家が、大規模灌漑農業適する[遺伝子組み換え大豆]の栽培に転換した。
セラードでは[遺伝子組み換え大豆]は安価に大量生産され、安価に輸出された。ブラジルから中国への[遺伝子組み換え大豆]の輸入が急増している。
日本は、ブラジルとアメリカから[遺伝子非組み換え大豆]を輸入しているが、両国の農家は利益の少ない[遺伝子非組み換え大豆]の栽培をやめ、[遺伝子組み換え大豆]の栽培に転換を進めている。日本の輸入する[遺伝子非組み換え大豆]の栽培は減り、輸入価格は値上がりしている。
ブラジルは地球サミットにおける熱帯雨林の保護の約束を果たした。その代わりの農業開発として、世界の注目しないセラードでで達成した。大豆だけではなく、とうもろこし・コーヒー・米の生産も、セラードの荒地開発によって増産できた。ブラジルは新たな農業輸出国として脚光を浴びるようになった。
セラードの開発資金と技術は、日本の援助によるものである。しかし、新たな農業地帯セラードで栽培される農作物は、アメリカの開発した[遺伝子組み換え大豆]であり、日本は日本政府の意向で、輸入できないものである。
日本の援助で、ブラジルはセラードの農業開発に成功し、アマゾンの熱帯雨林を守ることはできた。
しかし、日本からの700億円の援助は、ブラジルの800戸の開拓入植農家と、アメリカの穀物メジャーとを潤す結果になった。
さらに、中国が安価な輸入大豆を飼料として肉牛・豚を飼育して、農家の所得を向上させることが可能になった。
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ブラジルはアマゾンの熱帯雨林開発の批判を受け入れ、国際的に注目されていない荒地セラードを、日本の経済・技術援助で開発した。
セラードの開拓地では、アメリカ穀物メジャーが研究開発した[遺伝子組み換え作物]の栽培がほとんど全部である。農薬・肥料が少ないし、栽培期間も短い。作物は、大豆だけではなく、とうもろこし、米、小麦、綿花など、あらゆる商品作物に及んでいる。
日本では、[遺伝子組み換え作物]のは安全性を根拠に、ほとんど輸入していない。旧来の、生産コストの高い[遺伝子非組み換え作物]を輸入している。日本の飼料作物としての大豆・とうもろこしの輸入高価であるために、日本の畜産物は国際的に高価格である。一部は食品にも使用するので、日本の食品も高価格である。
※上図のインドとインドシナ半島は、熱帯モンスーン気候Amが広すぎて誤り。
熱帯気候の生活
ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候Af、サバナ気候Aw、熱帯モンスーン気候Amの3種類である。最寒月平均気温が18℃以上である。18℃は、熱帯と温帯の植生分布の違いから決められた数値である。Afは年中雨季、Awは冬乾季、Amは短い雨季が存在するのが大きな特徴である。それを区分するための数式が存在するが、おぼえる必要はない。
植民地としての熱帯
いわゆる先進国かつての帝国主義諸国が熱帯地域に注目したのは、熱帯が快適な居住地域だからではなく、軍事的・経済的に重要だからであった。
(1)オランダのインドネシア支配
オランダが軍事的には無理をしつつも、インドネシアを支配した理由は、17世紀には香辛料貿易で高い利益をあげたからである。19世紀にはジャワ島の自給作物であった米の栽培を規制し、コーヒー・サトウキビなどの商品作物を強制的に栽培させて、儲けることができたからである。
(2)スペインのフィリピン支配
16世紀、スペインは香辛料貿易を画策してフィリピンを支配したが、フィリピンでは香辛料は産出されなかった。地中海貿易の帆船ガレオンで、メキシコのアカプルコからフィリピンのマニラまでメキシコ銀を運んだ。そのメキシコ銀で、中国から絹・陶磁器を安く買い、マニラに運んだ。マニラにあるものは、メキシコ銀と中国産商品ばかりであった。スペイン人による中国産品の国際貿易が進んだ。
(3)ポルトガルのブラジル支配
1494年のトルデジリヤス条約により、ポルトガルはブラジルの合法的に支配した。金採掘に黒人奴隷を導入した。ブラジル国内には高等教育機関がなく、知識層の連携による独立運動や革命はなく、一時的な反乱がある程度であり、植民地の維持費用は安かった。
ブラジルの熱帯雨林保護
1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロに180国が参加し、国連環境開発会議が開催された。1990年の国連総会で先進国首脳の出席を議決したことから、地球サミットともいわれた。
「持続可能な開発」は1987年にブルントラント委員会(国連の「環境と開発に関する世界委員会」)のスローガンである。開発と環境保護の両立を訴えたものであり、1992年の地球サミットで再確認された。
1992年の地球サミットがブラジルで開催され、「持続可能な開発」がテーマであったのは、当時、アマゾン流域の熱帯雨林地域(セルバ)の開発が急速んでいたからである。熱帯雨林の減少が地球全体の温暖化を加速させる危機意識が世界の常識であった。
ブラジルでは熱帯雨林の保護意識が低く、セルバに牧場・農地・鉱山開発・工場建設など、大規模開発計画が進んだ。しかし、アマゾンには道路・鉄道などの産業基盤整備が遅れ、開発への投資が遅れた。セルバへの投資効果がないということが、熱帯雨林の保護につながった。
ブラジル高原のサバナ気候の地域がセラードだが、内陸高地にあるため、降水量が少ない。
20万平方キロメートルの荒れ地に、灌木類が深くまで根を張って耕作が困難であった。
土壌は酸性やせ地で鉄・アルミ含有量の多いラトソルであり、農業には不適当であった。
ブラジルは国際的批判の強い熱帯雨林地域の開発計画を棚上げにした。
1979年に「日本ブラジル農業開発事業」でセラードの開発計画が始まっていたが、アマゾン開発批判の国際的批判が高まってから、セラード開発計画が本格化し、2001年に700戸分の農地開発が終了した。
ブラジル高原セラードの灌漑農業。センターピボット農法を導入
日本が[遺伝子組み換え大豆]の輸入を禁止しているため、ブラジルでは日本市場向けに[遺伝子非組み換え大豆]の栽培が多かった。日本はアメリカが[遺伝子組み換え大豆]への転換を進めたため、ブラジルの[遺伝子非組み換え大豆]の増産と輸出に期待した。
日本がセラードの農業開発に700億円も投じたのは、ブラジルが日本市場向けの[遺伝子非組み換え大豆]の栽培に期待したからであった。
しかし、アメリカの穀物メジャーモンサント社などがブラジル政府に[遺伝子組み換え大豆]の栽培を働きかけ、2004年にセラードの大半の農家が、大規模灌漑農業適する[遺伝子組み換え大豆]の栽培に転換した。
セラードでは[遺伝子組み換え大豆]は安価に大量生産され、安価に輸出された。ブラジルから中国への[遺伝子組み換え大豆]の輸入が急増している。
日本は、ブラジルとアメリカから[遺伝子非組み換え大豆]を輸入しているが、両国の農家は利益の少ない[遺伝子非組み換え大豆]の栽培をやめ、[遺伝子組み換え大豆]の栽培に転換を進めている。日本の輸入する[遺伝子非組み換え大豆]の栽培は減り、輸入価格は値上がりしている。
ブラジルは地球サミットにおける熱帯雨林の保護の約束を果たした。その代わりの農業開発として、世界の注目しないセラードでで達成した。大豆だけではなく、とうもろこし・コーヒー・米の生産も、セラードの荒地開発によって増産できた。ブラジルは新たな農業輸出国として脚光を浴びるようになった。
セラードの開発資金と技術は、日本の援助によるものである。しかし、新たな農業地帯セラードで栽培される農作物は、アメリカの開発した[遺伝子組み換え大豆]であり、日本は日本政府の意向で、輸入できないものである。
日本の援助で、ブラジルはセラードの農業開発に成功し、アマゾンの熱帯雨林を守ることはできた。
しかし、日本からの700億円の援助は、ブラジルの800戸の開拓入植農家と、アメリカの穀物メジャーとを潤す結果になった。
さらに、中国が安価な輸入大豆を飼料として肉牛・豚を飼育して、農家の所得を向上させることが可能になった。
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ブラジルはアマゾンの熱帯雨林開発の批判を受け入れ、国際的に注目されていない荒地セラードを、日本の経済・技術援助で開発した。
セラードの開拓地では、アメリカ穀物メジャーが研究開発した[遺伝子組み換え作物]の栽培がほとんど全部である。農薬・肥料が少ないし、栽培期間も短い。作物は、大豆だけではなく、とうもろこし、米、小麦、綿花など、あらゆる商品作物に及んでいる。
日本では、[遺伝子組み換え作物]のは安全性を根拠に、ほとんど輸入していない。旧来の、生産コストの高い[遺伝子非組み換え作物]を輸入している。日本の飼料作物としての大豆・とうもろこしの輸入高価であるために、日本の畜産物は国際的に高価格である。一部は食品にも使用するので、日本の食品も高価格である。