地理総合の研究 付2018年センター地理AB本試・追試解説 

「地理講義」の続き。「地理総合」に「2018年センター試験地理AB本試・追試の問題と解答解説」を追加。

2018年地理B(追試)第5問解答解説 ケニア

2018-11-07 16:57:50 | 地理講義

2018年センター試験追試第5問

 

 

 

解答
【25】④
解説 モンスーン
(ア)7月。太陽は北回帰線に近く、北半球の赤道付近の貿易風は南西季節風となる。
(イ)少ない。スエズ運河を通る貨物船の行き先は、アフリカ方面が少ない。

詳細な解説
(ア)南西モンスーン
アラビア海の夏の北東貿易風は、南西モンスーンでもある。モンスーンとは季節風のことである。北半球の夏には北半球大陸側が高温になり、アラビア海からは高温多湿の南西風が吹く。
北半球の冬には北半球大陸側が低温になり、大陸側からアラビア海に乾燥低温の北東風が吹く。この北東風は北東貿易風の一部で、北東モンスーンである。

(イ)インドへの航路
ヨーロッパからインド・スリランカなどの南アジアへ向かうインドへの航路は、工業製品を中心とした重要航路である。ヨーロッパからソマリア・ケニアなどの東アフリカに向かう東アフリカの航路は貿易量が少なく、輸送量は少ない。

 

 


 

 

解答
【26】①
解説 気候区分
(カ)コロンボ。熱帯雨林気候Afである。年中多雨だが、特に5月と10月に多い。
(キ)ナイロビ。南半球で、7月の冬に乾季だから、温帯冬季乾燥気候Cw。
(ク)ロンドン。年中降水量がほぼ一定である。西岸海洋性気候Cfbである。

詳細な解説
コロンボAf
スリランカは熱帯雨林気候で年中多雨。5月に雨量の多いのはインド洋からの南西モンスーンが強くなり、海から高温多湿の風が吹き込むからである。また10月に雨量の多いのは大陸からの北東モンスーンがベンガル湾で多湿になってスリランカに吹き込むからである。
ナイロビCw
ケニアのナイロビは南緯1度である。南半球側にあるので、7月が低温の冬である。高度が1,600mの高地なので7月の気温は18℃よりも低く、熱帯ではなく、温帯である。冬には亜熱帯高圧帯におおわれて乾燥する。従ってケッペンの気候区分ではCwとなる。Awに近いCwである。
ロンドンCfb
西岸気候の典型の西岸海洋性気候である。暖流の北大西洋海流と偏西風の影響を受け、気温年較差は小さい。特に夏は22℃を越えないからbの記号が付く。降水量は年中ほぼ一定fである。年降水量は640mmであり、東京Cfaの半分以下である。

解答
【27】③
解説 スリランカとケニアの主要輸出品
①× 1976年スリランカ。茶の輸出割合が大きく、アジア特産の天然ゴムが第2位である。
②× 2013年ケニア。茶、この場合紅茶の輸出割合が大きく、花卉が第2位である。
③◯ 2013年スリランカ。衣料品の輸出が第1位。デザインが良く、しかも低賃金。
④× 1976年ケニア。コーヒーの輸出第1位。国際価格下落のため、以後、減少。

詳細な解説
スリランカの輸出品の変化
イギリス資本による茶の生産と紅茶加工業が盛んである。しかし、21世紀になると、スリランカのファッションセンスと低賃金を生かした衣料品の生産が盛んになり、輸出割合では茶を追い越した。衣料品の輸出先はアメリカ・イギリスなどである。
ケニアの輸出品の変化
ケニアは小農によるコーヒー栽培と協同組合によるコーヒー流通が中心であった。しかし、コーヒーは国際価格の変動により経営が不安定であり、多くの農家が脱落した。21世紀になると、イギリス資本による茶栽培が一層盛んになり、イギリスなどに紅茶が大量に輸出されるようになった。また、石油製品は中東からの原油をケニアで精製し、東アフリカ諸国に輸出している。ケニアでは年中高温の気候を利用した切り花栽培と輸出が増加している。ケニアのバラは国際的な評価が高く、輸出量が増加している。バラなどの切り花産業の発展は、オランダ資本によるものである。




 

解答
【28】③
解説 イギリスの茶の輸出入包装
A 緑茶。総量としては少ない。緑茶に砂糖を加えて飲む。
B 紅茶。総量としては多い。大袋で輸入し、小分けして輸出する。

詳細な解説
大量包装(業者用):イギリスでは輸入茶は60kg入りの大袋で輸入する。小売り商品ではないので、業者間で大量輸送をする。


少量包装:輸出は家庭用が100gごと、業務用は3kg以内の少量包装である。Liptonなどは少量包装(パッケージ)を単位として輸出する。




 



解答
【29】④
解説 ケニアとスリランカからの留学先
(チ)イギリス かつてイギリス植民地であったケニアからの留学生はケニアのエリートであり、宗主国のイギリスに留学した。
(ツ)インド:スリランカとインドは、タミール人の処遇をめぐって対立状態にあった。スリランカからの留学生は現在も少ない。
(タ)オーストラリア:アジアからの留学生を広く受け入れるようになり、スリランカからの留学生が激増した。ケニアからは、インド・オーストラリアに留学するメリットは少ない。

詳細な解説
スリランカでは1983年から2009年まで、インドのタミール地方からの出稼ぎ労働者との激しい衝突内戦があった。スリランカは仏教、インドはヒンドゥー教であり、同じ英連邦に属していたが、スリランカからインドに留学するメリットは少ない。スリランカの公用語はシンハラ語・タミール語だが、英語も通じる。英語圏のオーストラリアに留学するのであれば、言葉の苦労は小さいし、ワーキングホリディ制度によるアルバイトもできて経済的負担も小さい。そのため、スリランカからオーストラリアには内戦終結後、留学生が急増した。

 


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