GW1日目。
岩手の宮古から東京へ避難してきているおばさん(おばあちゃんの妹)に会いに行ってきました。
地震2日前、おばさんの高校時代のお友達に道でばったり会ったという話。
「その白髪まじりのカツラ、とっても素敵じゃない」っておばさんが褒めると、そのお友達は「通販というもので買ったのよ!」という普通に会話を交わして・・・
そして地震の後に、そのお友達の遺体がみつかったと新聞で読んでおばさんはしばらく寝込んでいたと教えてくれた。
私がいつか高校ガールズとそんな最後の会話をする時がきたらなんて想像するだけで本当に悲しくなる。
「津波が来るぞ~!」の声で急いで山の上に駆け登ったおばさん82歳。
(この右下の丸印は、そのまま崩さず残しておいてくださいというサインだそうだ。他のガレキはどうぞ掃除くださいということ)
車が1列に流されていくところ、海水が一気に引いて一気にこちらへ戻ってきたところを見て本当に呆然としたと泣いていた。「あー、家に水が・・・」と一部始終を高台から見ていたと話してくれた。
ちなみに、遠くに写っている白い建物は建物ではなく船なんだそうです。
自分が育ったじいちゃんばあちゃんの家がこんなふうに変わってしまっていることに私はただ悲しいです。
おばさんがこう言った「なんとかこの震災から生かしてもらえたのであれば、せめて高台の温かい布団の中で死にたいと思う」って。
とってもとっても考えさせられました。
おばさん、今は歩くのもやっとで衰弱してしまいました。
でも私をつよーーーく抱きしめて「生きてて本当によかった」って。
私もおばさんにまた会えて本当にうれしかった。
なんかね、今日は「命」について、当たり前に会えていたこんな関係について改めて沢山考えさせられました。
おばさんに2年前に岩手で会った時に冗談で「あと10年は生きれたら」なんてみんなで笑っていたんですが、地震の後おばさんの無事が分かるまではずーーーっとあの何でもない冗談が私の頭の中で思い出しては涙が止まらなかったから。本当によかった。
私の両親が離婚した後に父ちゃんが3姉妹をあえてばあちゃんちではなく宮古の海沿いの民宿に連れていってくれた夏があった。父ちゃんに聞いたらあの民宿ももうなくなっちゃったよと。とっても悲しい気持ちになりました。あの当時はなんでもない思い出だったのだけどね。浴衣きたまま防波堤まで散歩して父ちゃんと釣り人と話をしたり、どうでもない思い出ばかりが甦ります。
今夜はそんなこんなで夕飯を作る気持ちになれなかったのでお庭で肉を焼いてディナーにしました。
Tが、そんな今日の話を聞いてくれて、なんだか自分の人生て幸せだなって感じました。
毎日毎日、後悔のない愛情で人に接して、自分自身も幸せだと思える日々を過ごしていかなければと心から思います。
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