山ぶろぐ

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中山道(鴻巣~熊谷)

2011年04月03日 | 旅行
とき:2007年5月3日
歩いたきょり:16km

 

GWに、中山道・鴻巣宿~本庄宿を歩いた。初めての泊りがけの中山道歩きだ。宿泊先は、今回の道に近いくまさんの実家。一度自宅まで帰らなくていいので、夕方近くまで歩いて、次の日も早くから歩き出せる。二日間たっぷり歩き、今までで一番がんばった。

 

イメージ 1鴻巣神社あたりでは、道の両側に旧家や商家が今も数件残されている。」(国土交通省大宮国道事務所・中山道ウォーキングマップより) 箕田観音堂箕田氷川八幡神社といった武蔵武士の旧跡を見ることもできる。
箕田の追分で、忍行田道と分かれる。左が中山道。一里塚跡の標識が左手に立っている。ここからは、富士山も眺められたそうだ。道は、吹上へと進む。吹上には茶屋本陣があった。このあたりから、熊谷堤に出るまでの道の電柱には、手作りの案内表示がそこここに貼ってあった。歩道がせまくなるので注意とか、トイレの位置を教えてくれていたりとか、歩いている者に親切な表示だ。。イメージ 2 中山道を歩いている人が作ったのかとはじめは思ったが、このあたりを過ぎると、この表示はない。きっと吹上に住んでいる方が書いてくださったのだろう。ありがたい。と同時に、中山道を歩いている人が結構いてニーズがあるということにもなる。実際、今回、4組の夫婦と自転車で走っている男性に会った。「勅使河原さん」の歩いた中山道。ブーム?

 

イメージ 4
10時に鴻巣駅を出発して、吹上駅入り口に12時。お昼を食べられるような店が見当たらなかったので、くまさん(夫)が少し道から離れたセブンイレブンまで行っておにぎりとビールをゲット。熊谷堤まで行って休憩することにした。コンビ二に行っているくまさん(夫)をくまさん(妻)が待っていた待っていた場所は、いつも、実家に帰るときに車で通る道の下。中山道の表示もある。ちっとも知らずに、何度も上を通過していたわけだ。
のどかな風景をながめながら、堤でお昼。こんなにでかい堤をよくぞ当時作ったものだ。こんなにでかいのに、昼食を終えて歩き出してしばらく行った所に「決壊の碑」があった。川の水がここを越えた!自然の力はものすごい。

 

イメージ 3 一度堤を降り、久下神社を過ぎ、もう一度堤に上がって降りてすぐの所にみかりや跡茶屋があったそうだ。今は、普通の家だが、敷地内に看板を立っていて、地元の子どもたちが作ったらしい句の看板も立っている。他にもこのような看板を敷地内に立てることに協力している家を何件も見た。地元の史跡をみんなで大事にしていると感じた。

 

熊谷は都会だけれど、ところどころに昔風の家もあるにはある。本陣跡を過ぎ、道は、なんと八木橋デパートの中を通る。それをいいことにコーヒーブレイク。気温が上がってきていたので、デパートの冷房が体温を下げてくれるようでほっとする。

 

イメージ 5 予定では、熊谷が今日の目的地だったのだが、せっかく宿をとっている(?)ので、籠原駅まで行くことにする。忍領石碑を過ぎると、何があると言うわけでもない道が続く。蛇行した細い道で、旧道らしい道だが、意外と交通量もあり歩道も狭く、のんびりというわけにはいかない。
熊谷から約2時間。足がくたくたになって、籠原駅に着いた。4時45分。泊まりできたけれど、あした歩けなかったりして、と思うぐらいくたびれた。


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