輪廻の沼 3

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命とは・・・

2005年05月10日 16時22分03秒 | Weblog
久しぶりに重いタイトルを書いてみた。
よく見れば、桜が満開となった季節、
夏になればこれが緑一色へと変わる。
夏、緑一色で和了れる人が羨ましくもなったりw。

昔、テレビでお墓作りの職人さんが
「人間の死亡率は皆100%、死を暗く捕らえず
前向きに捕らえないと・・・。」
と論述していた。その言葉が今でも耳へと刻まれ、
俺の中では哲学化しているのかもしれない。

俺自身、死をこの手で感じた事がほとんど無い。
ただ愛するものを失った時の気持ちは覚えている。
自分の身体の一部が失われるような感じだった。

多分、命っていうのは1年、1年に咲く桜のようなもの
ポツポツ小さく咲いた後、パーッと満開になり、
そして気が付くと青々と衣をまとい、秋には紅に染まり、
そして冬に原点に戻る。

人間は天才もそうじゃない人間もいるんだろうけど。
命あるものという事には変わらない。

つまりそういう事じゃないか・・・。理屈じゃない。
そう理論でもなく、仕組みでもない、
自分の心に咲かせるものそして自然と舞い散ってゆくもの
時という風に運ばれて・・・。

そういうものなんだって、神戸やイラク、はたまた新聞には載らない
たくさんに散りゆく命、そして生まれ来る命。
皆、花のようにこの世に生を受け、そうして散り行くのだ。

地球はなぜ動いているのかは分からない、時はなぜ止まらないのか分からない。
過去があるから今があるのではなく、実は未来があるから過去があるのかもしれない。
誰かが宇宙を傍観しているのかもしれない。
僕らは宇宙という闇の液体の中にある泡の一部の中で生きているだけなのかもしれない。

闇と闇がぶつかり合う事で光が生まれ、物質ができ、
そして僕らはただその中で生きているだけなのかもしれない。
俺は何者でもなく、世界に生きる一人の人間だ。

もし私がイラクで拘束されたり北朝鮮に拉致されたらこの事を
イラク語やら朝鮮語で訴え、そして散ってゆきたい。
ようやく完成しそうなんだけど、自分の中にあるソースが・・・
でもそれが出来ないようになっているのがまた人間なわけで。。。

テレビでたかが50,60年生きて偉そうに人生論を述べても
50億年以上あり続けるこの大地の記憶には勝てやしない。

まー花の歌とか色々あるんだろうけど
世界に一つだけの花とかス●ップみたいなカッコイイ歌詞やら
美しいメロディで装飾する事じゃなくて

詩(ウタ)ってのは言葉やメロディではなく、自分のなかに伝わるものなんだ。
そうじゃなければまるで無駄。本当の意味での役立たず、
人々の感性を利用した芸術家、作曲家ならぬただ商売人だ。

これを分かって死ぬ方がまだマシなのかもね、
人間ってそのくらいしか生きれないからさ。

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