ちょっと不思議な話でもあるのだけど、自分が「これは宇宙的だな」と思うようなことが時々ある。宇宙は、イメージとしては色々と共有されている共通のイメージがあるけど、何かを宇宙的だな、と思う時って、あまりその根拠がわからない。宇宙と関連していそうな知識を私がもっているわけでもない。宇宙と関連してそうな知識と言えば、自分のイメージでは物理学とか、重力とか、時間と空間とか、相対性理論とか、真空とか・・・。ただ、わからないけど、私が宇宙的だと思ったことは例えば、猫の話がある。
これは以前にも何度もSNSに書いていることだけど、何かを失った代わりに家に猫が来たのでは、と思ったことがある。家で飼っていた猫が初めて家にきたとき、喪失感でいっぱいだったときだったので、自分の中にすとんと代わりに与えられた、みたいな感覚があった。何かを失って、代わりに何かを与えられた、というのはなんとなく宇宙っぽい。普段から猫が飼いたいな、と思っていたわけでもない。もともと家には猫がいたのだけど、その猫との出会いが自分にとってなにか運命的なものと感じられた時、その出会いは宇宙が与えてくれたもののように思えた。
それと似た感覚で、郵便物に宇宙的なものを感じることがある。これは実際には、その郵便物が来るきっかけてになったものって、過去に自分がつくったものだったりする。何かを申し込んだとか、何かを買ったとか、どこかに登録したとか、そういうきっかけがだいぶ後になってから抜群のタイミングで自分にチャンスをくれたりすることがある。ハガキならそのハガキが、自分の意識と繋がっていて、ある日いきなり目の前にあらわれたとき、なぜかそのハガキがどこかからワープしてきたみたいに感じることがある。それはいつもタイミングに驚かされるからなのだけど、それは星の動きみたいなのと繋がっているような感じもするし、引き寄せのように感じたりもする。たまたまなのかもしれないけど、今ここに生きていて別の空間からたよりがやってくるとき、自分の知らないところで知らない間に動いている別の世界を感じることでもあると思う。
フィギュアスケートを観てるとき、このプログラムは宇宙的だな、と感じることがある。曲のもつイメージとか世界観とか、スケーターが氷上に描く大きなカーブとか、天に伸びる手とか天上を見上げる仕草とか、ペアスピンとか、あんまりそれがなぜ宇宙か、というのはわからない。ただ、自分には理解しえない何かの仕組みが働いていると思う時、その大きさや太刀打ちの出来なさやゆだねるしかないものを感じるとき、それを宇宙的だと思っているのかもしれない。
宇宙的なものは、また、サインだったりする。何かを焦っているとき、自分を見失っているとき、自分がつかまるべき今ここを教えてくれるものだったりする。それはリズムの源流だ。
SNSを見ているとき、距離感がわからなくなるのは、文字を見ていて、この別の空間があることを忘れているからだと思う。
Twitter(X)でスペースという機能があるのも、同じような意味があるのかな、と思った。