スマイリー渡辺 ぶろぐ(すまいる a )

私の音楽活動と趣味生活を皆さんと分け合って楽しみたい!(出来事も!!!)

再会 第7話

2006年06月17日 23時02分03秒 | Weblog
 その後私たちは行き詰まっていました。何せ母を預かってくれる所が探せるのか、どうやったら良いのか、まったく先が見えない状況になっていましたから。退院の日が刻々迫っては来るし、打開策はまったくでしたし、このまま自宅で介護をするとなると私が仕事を辞めなくてはならないのは目に見えてましたから。そうなると、収入は母と父の年金のみでした。幸い両親とも厚生年金にシッカリ入っていましたので、それなりの収入にはなりました。でも医療費も馬鹿になりません。
 そんな時に声をかけてくれたのが母の妹の叔母でした。叔母の長男である、(私の従兄にあたりますが)勤めている会社の系列で特別養護老人ホームがあったんです。(私立ですが)そこに話をしてくれて、
「3ヶ月だけですが、調整してみます。」との返事がもらえたのでした。
私達は 「それでも良いので、お願いします。」と、頼みました。
ただ、3ヶ月後には施設を出なくてはいけない。だけど3ヶ月の間にどこかに空きが出るかもしれない。何か対策は打てるかも。と、昼時間や、平日兄と休みを取って色々探しました。もちろん父の入院している病院にも相談に行きました。
しかし病院は
「国立療養所病院は、特別な病気の人(筋肉の病気などの難病を抱えた人)のための病院なので入院させる事は出来ません。」と、言われました。
色々話を聞くと、どうやら母は病名が脳梗塞なので、『国から補助金がほとんど出ない』そのため、当時の病院長は、
「正直こんな話はしたくなかったのですが、病院も一企業なのです。補助金の出ない患者を入院させても、儲からないのです。
今それでなくても、この病院の存続が怪ぶまれています。ある程度の利益が上がらないと、国からの補助金も打ち切りになるんです。入院させて上げたいのですが、それが現状なんですよ。」・・・・
 何か私たちは、力が抜けたと言うか、話す言葉が無くなってしまったと言うか、怒る気力も失せていました。
病院の裏事情を垣間みてしまった気がしました。何も返す言葉も無く、帰って来たのは言うまでもありません。