ようやく思い出した。
今日は6月13日。
37年前の昭和58年、ワタシの父親が他界した命日だ。
自分の肉親なのに!(# ゚Д゚)
と不思議に思う方やご立腹の方もいらっしゃるかもしれない。
でも、かなり以前にも少し触れたがワタシの父親は飲んだくれの肝硬変で、それこそワタシが小学校低学年の頃から入退院を繰り返し、
年に数日、退院して自宅に居ても仕事もせずやっぱり飲んでてよく救急搬送もされていた。
酒癖も悪くてね。
お酒は好きだが弱くて、それでも酔って気が大きくなるんだろうな。
狭い家の中では夫婦ゲンカもしょっちゅうだった。
明らかに周囲より貧しい生活で、たまに救急車が来て人だかりが出来て翌日学校では『昨日、MUUの家のオヤジがさあ…』なんてコトを
言われる。
辛かったし憎かった記憶しか無い。
しかし今、ワタシが父親の享年を超え、お酒は大好きだが乱れる事も無く日々を送っているのはそういった反面教師を見ていたかもしれない(+_+)
今となっては理由を知ろうとも思わないが、やはりお酒がらみの浮気かなんかが原因で今の実家がある母親の地元に引っ越したのが
小学3年生の時。
田舎だから周りは転校生の子供たちと救急搬送される父親に興味津々。
もっとも、それでイジメにあうような事は無くむしろ学校に居る時間の方が落ちつけたな(^_^;)
そんな父親だから当然、普通(普通ってなんだ?)の親子の会話とか家族団らんとかは無く、ワタシは中学生の頃から何とか家を離れようと強く意識していたと記憶している。
(その頃は既にそんな父親を切れない母親に対しても、何の感情も無くなっていたと思う)
工業高校を卒業と同時に就職で上京したのだが、入社後すぐの6月頭には母方の祖父が他界し3日ほど帰郷。
それから10日もしない内に父親が他界し1週間の帰郷と、新人なのに休んでばっかりだった時期もあった。
あれから37年。
世間の父親は息子が成人し、一緒に飲める様になると嬉しいなんてハナシをよく聞くが、ワタシはもうどちらの立場でも経験する事は無いだろう。
だからワタシにしてみれば忘れていても仕方ないのかもしれない。
でも、こうしてモヤモヤが晴れただけでも良しとしよう(-。-)y-゜゜゜
乾杯🥂