チャールズ・ヘンリー・ダウ(Charles Henry Dow, 1851年11月6日 - 1902年12月4日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト・証券アナリスト。
ハイスクールを中退後、新聞記者になる。主にニューヨーク証券取引所での相場に関する記事を執筆し、その取材の経験から「株価は全ての事象を織り込む」というダウ理論を提唱。テクニカル分析の先駆者の一人となる。
1882年にはエドワード・ジョーンズやチャールズ・バーグストレッサーと共にダウ・ジョーンズを設立、当初は手書きの経済ニュースレターをウォール街の経済関係者に配布し始める。このニューズレターがやがて発展し1889年7月に『ウォールストリート・ジャーナル』となる。1896年にはニューヨーク証券取引所の株価動向を示す指標として同紙にダウ・ジョーンズ工業平均株価を掲載し、これは今日に至るまで証券関係者に幅広く活用されるようになった。
ダウ・ジョーンズ社による株価指数は、すでに1884年以降Dow Jones Averageの名称で公表されていたが、当時のアメリカの産業構造を反映し、鉄道事業者が中心の構成でり、19世紀末の経済発展を受け、従来のダウ平均 (輸送株中心) と分離する形で、1896年に農業、鉱工業などの12銘柄により、Dow Jones Industrial Averageの算出が新たにスタートものである。1896年以前を含めた初期の数値標について以下の記載がある。
When it was first published in the mid-1880s, the index stood at a level of 62.76. It reached a peak of 78.38 during the summer of 1890, but ended up hitting its all-time low of 28.48 in the summer of 1896 during the Panic of 1896. Many of the biggest percentage price moves in the Dow occurred early in its history, as the nascent industrial economy matured. In the 1900s, the Dow halted its momentum as it worked its way through two financial crises: the Panic of 1901 and the Panic of 1907. The Dow remained stuck in a range between 53 and 103 points until late 1914. The negativity surrounding the 1906 San Francisco earthquake did little to improve the economic climate; the index broke 100 for the first time in 1906.
そしてダウ平均は当初は以下の12の銘柄から構成された。(1928年から30銘柄となった)
1. American Cotton Oil Company 現在のUnileverの一部
2. American Sugar Refining Company 現在のDomino Foods (Domino Sugar)
3. American Tobacco Company 1911年の独占禁止法訴訟で解散
4. Chicago Gas Company 1897年にPeoplesGas Lightに買収された
5. Distilling & Cattle Feeding Company 現在のMillennium Chemicals
6. General Electric ゼネラル・エレクトリック
7. Laclede Gas Company 現在のSpire Inc
8. National Lead Company 現在のNL Industries
9. North American Company 1946年に米国証券取引委員会によって解散された電力会社持株会社
10. Tennessee Coal, Iron and Railroad Company 現在のU.S. Steel
11. United States Leather Company 1952年に解散
12. United States Rubber Company 1990年にミシュランがタイヤ事業を買収