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以前このブログの「紀元前の人口ランキング」で、世界最古の都市はパレスチナ東部のイェリコ (Jericho) (とシリア北部のムレイベット (Mureybet)) と言われており、イェリコの人口はBC8000年頃に700人、BC7000年頃に2000人であったことを紹介した。
「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスに人々が住み着いたことが起源であり、イェリコの名は聖書にも多く登場する。

イェリコには、異なる時代に形成されたいくつかの町があり、古代~旧約聖書時代のテル・エッ・スルタン (Tell es-Sultan)、紀元前後のトゥルール・アブー・エル・アラーイク (Tulul Abu el-'Alayiq)、現在の町があるテル・ハリ(er-Riha)と推移しており、現在は約2万人の方々が暮らしている。また海抜がマイナス258mで、世界で最も標高の低い町としても有名だ。

現在のイェリコは以下のような町だ。




古代のイェリコには広さ約4ヘクタール・高さ約4m・厚さ約2mの石の壁である「イェリコの壁 (Walls of Jericho)」で囲まれた集落が形成された。
聖書には、「モーセの後継者ヨシュアがイェリコの街を占領しようとしたが、イェリコの人々は城門を堅く閉ざし、誰も出入りすることができなかった。しかし、主の言葉に従い、イスラエルの民が契約の箱を担いで7日間城壁の周りを廻り、角笛を吹くと、その巨大なイェリコの城壁が崩れた」 と記されている。



そして壁とともに「イェリコの塔」が建てられた。これは世界最古の建築物である。参考までに、最古のピラミッドと言われる「ジェセル王のピラミッド」の建設はBC2667~2648年と推定されており、それよりも5000年以上古いものだ。

Tower of Jericho
https://en.wikipedia.org/wiki/Tower_of_Jericho

The Tower of Jericho is an 8.5-metre-tall (28 ft) stone structure, built in the Pre-Pottery Neolithic A period around 8000 BCE. It is considered the world’s first stone building, and possibly the world's first work of monumental architecture.

The tower was constructed using undressed stones, with an internal staircase of twenty-two steps. Conical in shape, the tower is almost 9 metres (30 ft) in diameter at the base, decreasing to 7 metres (23 ft) at the top with walls approximately 1.5 metres (4.9 ft) thick. The construction of the tower is estimated to have taken 11,000 working days.


円筒形で壁が分厚い塔は、内部に塗壁の急階段がある。 8.5~9mの塔は当時としては巨大で、その後も同規模の建物はなかなか現れなかった。


イェリコの塔は洪水に対する防御や儀式にも使用されたと考えられているが、以下のような推測もある。

ナショナル ジオグラフィック日本版サイト / 最古の高層建築、恐怖心から建造か?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3930/

最新の研究成果は、夏至との関係性を示唆している。暗闇から市民を守る象徴的な存在だった可能性があるという。
当時のイェリコ市民は遊牧生活から農耕社会へ移行を始めたばかりで、生活基盤がまだ確立されていなかった。どのようにして世界初の公共巨大建築物を建造したのだろうか。

最新のコンピューター・シミュレーションによると、夏至の夕刻には近くのカランタル山の影がまずイェリコの塔にかかり、そのまま都市全体を飲み込むように拡大していくという。夏至は1年で最も昼が長く、これから夜が長くなる前触れの日でもある。「暗闇への恐怖が心底にある。身を守るには大きなモニュメントが必要だと説得され、市民は重労働に参加したのだろう」。ただし、イェリコの塔が暗闇からどうやって市民を守っていたのか、正確な方法はいまのところ不明だ。

発見当初は、敵の襲来や洪水を監視する見張り塔と考えられていた。しかし当時、イェリコ周辺には強大な敵対勢力も危険な河川も存在しなかったと判明した。テルアビブ大学の考古学者のラン・バルカイ氏は「天文現象との関係に加え、コミュニティの強さと結束を象徴する意味合いもあった」と主張する。ちょうど人類が定住生活に適応しようと苦労していた時期だ。さらに同氏は「権力者により人心操作が行われた世界初の明確な証拠」とも見ている。「為政者は日没や暗闇への恐怖心を巧みに利用し、市民を重労働にかりだしたのではないか。事実なら、人心操作は太古の昔からの常套手段らしい。感情の問題だから、考古学的には確認できないが」。
農耕社会へと移行する途中で、狩猟採集民族に見られる合議制から、定住社会の統治に適した独裁制へ移行していた可能性が高い。

このようにイェリコでは今から10000年前に、壁に囲まれた都市で集団的な生活が営まれ、また統治されていたようだ。人類の社会性発祥の地と言えるかもしれない。
テル・エッ・スルタンの古代イェリコ遺跡はぜひ訪問してみたい。


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