@伊江島に渡る前の話し
*伊江島、沖縄の縮図と言われている
*沖縄戦では、4人に1人がなくなる。強制的に収容され、2年後戻ってきたら、島は基地になっていた。空いている土地で畑を耕し暮らし始めるが、1953年から立ち退きを迫られる。
*現在の伊江島、オスプレイとF35の訓練、駐機場をつくる拡張工事が進んでいる
*土地強制収容、事前に知らされず。説明を求め、今も反対運動をしている。
@伊江島
*沖縄戦、3連隊が上陸。3日間で包囲網をつくられた。千人ガマ、最初だけ。米軍上陸時は、もっと島の内陸ガマに逃げていたのでは。
*アメリカの基地の名前。一部、地名を使っているところもあるが、基本的には、戦争に功績があった人物の名前をつけている
*従軍慰安婦、事実としての存在感はあるが言葉として適切か。慰安も従軍も、本人の意志で行われたわけではない。
#千人ガマ(ニィヤティヤガマ)
*ガマは神様がいるところ。みんな名前が付いている。
*子宝の神様。石を持ち上げて、軽いと思えば女の子、重いと思えば男の子を授かると言われている。
*住民、日本兵が、10・10空襲の時にガマを使っていた。米軍上陸時は空いた状態、住民などはもっと島の内部に移動していた。
*伊江島飛行場、東洋一と言われていたが、米軍上陸前には迎え撃つ飛行機はない状態であった。
#対馬丸
*7月に沖縄に10万人の兵力が集められる。食糧難にもなり、学童疎開を実施することに。それが対馬丸の事件へ。米軍に18番目に沈没(8月)させられた船だが、その前(17隻)の情報は知らされていなかった。
*沈没の事実はすぐには知らされず、親たちは不安となるが、すぐに10・10空襲となってしまい対応できなかった。
#米軍沖縄上陸前の事実
1944年10月10日、空爆
1945年1月3日、空爆
1945年3月23日、艦砲射撃。
これ以降は地上戦になる流れの中で、24日以降住民たちはガマに入る。次第に人数も増え、ガマにも入れない人たちも出てきた。
#伊江島、米軍基地。
*オスプレイ、ハリヤー等の訓練が実施されている。
*基地の滑走路は、強襲揚陸艦の甲板と同じような設定。自動車の車庫入れの練習と同じように、繰り返されている。今後、次期主力戦闘機と言われるF35も入るのではないか。
*金網のあるところとないところがあり、基地の境目がわからない。
#伊江島団結小屋(土地闘争)
*伊江島の米軍基地は、米軍が勝手に私有地を不法占拠した状況。
*米軍高等弁務官は1952年、契約権と言う考えを持ち出し、それを解消しようとした。一坪、一円80銭。使用年数20年。地主は、あまりにも悪い条件で、ほとんど契約しなかった。
*次に、土地収用令(1953年)。収容告知後、30日以内に立ち退きを強要した。同じ手法が各地域で取られた。
*不法占拠として、逮捕、投獄。ガソリンを巻いて、住民が居住していた場所も焼き払う
*収入が絶たれてしまい真謝地区では、乞食になることを総意で決定(乞食にまでおとしめたられた。強いられた、1955年)。行進をしながら訴えた。
*団結小屋ができたのは1970年。阿波根昌鴻を中心に、独自の陳情規定を作りながら闘い、今でも闘いは続いている。
*復帰前、瀬長亀次郎さんが1回だけパスメ[トが下りて、原水禁世界大会で伊江島含め沖縄の状況を訴えた。その後は、パスメ[トが許可されなかった。
*沖縄の戦後史を知ることのできる資料館は3つ。
①不屈館(瀬長亀次郎)
②わびあいの里(ヌチドゥタカラの家、阿波根昌鴻)
③南風原の資料館
#阿波根昌鴻さん
*デンマーク式農場を目指し、そのためにも息子さんに教師になってほしいと願う。しかし沖縄戦で亡くなってしまう。
*偉いのは農民、生産する。軍人は壊すだけ。
*人間は挨拶する、相手の話をよく聞くことが大事。話しをするとき、上からみて喋らない、手は閉じて話すなど、道理に基づいて話しするとして陳情規定を作り、米軍と交渉した。
#わびあいの里(ヌチドゥタカラの家)資料館の説明
*出来て31年。五感を使って戦争を知らない世代に感じられるように作られた。
*手に抱かれたままで殺された赤ちゃんの肌着など、様々なものを展示している。
*伊江島は沖縄戦の縮図。戦中は、皇民化教育が徹底され、住民の多くが手伝わされた。
*集団自決でなく、集団強制死として表現している。軍によって死ぬことを強要されたから。
*ガマの遺骨収集、30年くらい経ってから行われたが、その時の写真。
*米軍による土地接収、使用した模擬爆弾など。
*不発弾処理をしている時に亡くなった住民の写真もある。辛い写真だか、歴史からなくしてはいけないと阿波根さんはカメラを向けた。3000コマほど残っている。
#謝花悦子さんの話し。
・一番大事なこと、福祉のことだと思う。
・借金があるから消費税?国民のための借金ならわかるけど、そうではない。軍備のための借金。
・平和のための武器は学習、学習しないと殺される
・阿波根さん、非暴力、道理で闘った。
・総全滅になった島、数千人が殺された。もうそういう世代はいなくなる中で、伝えていくことへの焦りもある
・阿波根さんも皇民化教育を受けて、初めは信じていた。教育の強さ、浮ウを考えないといけない。
・戦争に対する恐浮ヘあまり感じていなかった。それは、新聞は勝っていることばかり載せていたから。
・殺しつくされた状況を見て、もう許せない。戦争は人災である。
・戦争に対する行動は徹底してやった。二度やらせてはいけない。これは人間にはできる。
・伊江島の人、なかなか返されなかった。
・人間も家もない。猛毒のある蘇鉄、ウジムシがわいてから食べた。腐ったら大丈夫、美味しかった。
・お金のない人はもっと増える
・今度の選挙で勝利、予想通り。本土の結果はショック。
・騙された国民がいる。国の政策をきちんと知らないといけない。騙され、殺される。
・平和憲法守らないと。戦場を作らすわけにはいけない。大人の責任。
・最近の流れ、本当に恐ろしい、いじめ、殺人等、簡単に起こっている。
・みんなが反対すれば戦争はやめさせられる。個人として闘う、この歳になって感じることも出てきた。
・瀬長亀次郎のような人はなかなか生まれない。
・記録はとても大事なこと。正しいことを探し抜いて、学んでいくことが重要
・資本主義社会の中で平等のルールが必要。
・年中無休、平和の闘い。良心、愛情、理解、暖かさが大切。
・日本を変える方向、何ヶ月という闘いではない。長い闘い。
伊江島、20年振りの訪問でした。当時のことなど、いろいろ振り返りました。戦争は絶対にしてはなりません。そのことを伝えていきたいと思います。
最新の画像もっと見る
最近の「日記・日常」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事