GW中、宮城と岩手に派遣していたチームは、昨日帰ってきました。
宮城チームは、6時過ぎに支援センターを出発、順調に走って、16時過ぎにはセンターに戻ってきました。Tさんと少し話ししまししたが、期間中は支援者が多く、寝るのに困ったことやたくさんの人を動かすことの難しさ、事前の準備の必要性などを感想として話してくれました。
岩手チームは、朝8時に盛岡を出て、21時頃センターに着きました。「支援に行ったつもりが、いろいろな人との出会いと、様々な体感を通して、逆に多くのことを学ばせていただきました」と感想を話してくれました。
2組ともしっかりと役割を果たし、いい仕事をしてくれました。
2チームの活動を一部紹介します。
◆宮城レ?/span>
名取市での個別訪問(我々は仙台空港辺り)では被害にあわれた地区とそうでない地区の差が大きくわかれます
空港周辺では一階部分が流された家が多く高齢者や障害をもった方は家族がいたからなんとか避難(二階や近くの学校)できたという方や依然として行方不明の方もおられます。そんな中、仙台市内のグループホームを利用されている方(知的障害四十歳)ホームが壊れ自宅に戻ってきている家庭を訪問した際「今回は命は助かったが、家族と離れたところで生活施設があるのではなく、やはり地域に小さな入所施設があるべきなのでは」と話されました。今は余震があるたび不安を感じながら電車で通所されているそうです。
また身体の方で震災以降、食欲も低下し体調の悪い状態が続けているそうで保健師さんとの調整が必要な方もおられます。(写真は自分たちでまとめた名簿)
◆岩手レ?/span>
5日の動きは、午前中、大槌町の避難所2ヶ所と、町長をはじめ町役場の職員の4分の1が津波の犠牲になった大槌町の役場の福祉課を訪問しました。
まず、身障の作業所が津波で流され、残った精神の作業所では、利用者全員が自宅などに戻られていて、現在は中年~高齢者中心に25人の方が避難所生活をされていました。保健師とドクターが交互に来られ、薬も行き渡るようになり、最近は大きく体調を崩された方もおられないということでした。
大槌町には1000人ほどの障害者がおられ、約100人が療育手帳を持っているようですが、600~700人の安否は確認されているが、約300人はタイムラグがあり確認がされていないようです。また物資は集まっているものの届ける体制がない…義援金の配分を福祉課が担当しているらしく、本来の業務が行えない状況で、その方によると「福祉課だけを見ていても、行政を助ける行政マンの応援が必要だ」と言われていました。大きな建物が少ない地区の方が被害が大きかったため、福祉施設をはじめ大きな建物が避難所に使われるので、日中活動したくても場所がないですよ」と言われていました。
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