事務局長通信

沖縄・平和の学びと辺野古支援ツアー2日目

沖縄2日目
今日の行動
①辺野古、座り込み行動
②嘉手納基地
③嘉数高公園(普天間基地)
④不屈館訪問

沖縄平和ネットワークの下地さんが、現地ガイドとしてバスに同乗していただきました。

※辺野古までの間、基地問題に関する基本的な話し
・現在の米軍基地、もともとは日本軍の基地から作られた(誰もいない、みんな逃げていた時に勝手に作った)。朝鮮戦争時が始まった時に、基地の拡張が方針となり「銃剣とブルドーザー」によって、土地を強制徴収して広げたもの。よって朝鮮戦争終了後に増えたが、本土は減っていった。
・目線の違いがある。政府では尖閣問題で中国の脅威が強調されるが、地元民は双方に、仲良く操業できるルールが欲しいのである。
・基地は殺しあいの訓練をする場所である。そういう場所として学ばないと、目前のことに惑わされてしまう。
・今は、都市型市街戦が主流。キャンプハンセンには、都市型訓練施設=モスクをかたどったものもある
・基地依存が減るとの報道には、注意が必要。自衛隊との共同使用になれば米軍専用で無くなるので、それだけで割合が減る。

①辺野古
※台風の影響で座り込みはできず。キャンプシュワブ前フェンスで横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる
・座り込みはおじい・おばあが多く、今は県外からもたくさんの支援がある。
・地元の若者は仕事がある。わたしが闘う、海に恩返しすると高齢者。血判書まで作った
・排除しようとする機動隊や海上保安庁職員への対応で、直接的には彼らでなく、ほんとうのほんとうの敵はどこかを共有できる働きかけもしている。
・座り込みを19年間続けている。いつまで?、効果ある?と思うときもあるが、そこでのおばあの一言、「私たちは勝つよ。相手より1日だけ諦めるのを遅くしたらいいから」
・鈍角で闘う、僕らが楽しむこと。また明日も頑張ろうねと声をかけあう。
・国はしきりに、県と市(名護市)承認されたという。稲嶺知事時代、軍民共用にすること、15年で返すこと等。しかし、それは国自身がチャラにし生きた約束ではなく、都合の良いところのつまみ食いしている。
・ホワイトビーチの基地にある運用方法、米軍から見れば動きの無駄が多い。それを今回の計画で、辺野古に集約しようとしている。
・埋め立て用の土、沖縄だけ確保は無理。西日本の7ヶ所から。その場所から持ち出させない共同の闘いをしている。(1700万立方メートル。10トントラック、280万台分)。
・ジュゴンが生息している。ここが北限の地域であり、貴重な場所。加えて、新種等がたくさん見つかっている。豊かな土地であり、埋め立てられたらすべてを闇に葬ることになる
・餌場をつくるなどと防衛省はいうが、ありえない
※ヘリ基地反対協 山城さん
・翁長知事の誕生、大同団結した結果。総選挙も沖縄4区全てで勝った。辺野古ノーが民意。しかし政府は圧力をかけてきた。特別法もちらつかせながら、しかし闘ってきている。
・工期はのびのび、国は調査も終わらないのに本体工事を強行しようとしている。
・知事は、埋立承認取り消しを様々な権限を使って闘うし、私たちも一緒に闘う。しかし沖縄だけの闘いだけでは無理で、闘いを支える辺野古基金を呼びかけたところ、4億円のお金が集まった。
・民意を聞かない自民党政権をみんなの力でつぶさないといけない。大同団結、イデオロギー対決ではない。観光業界もバックアップ、基地がじゃまになっていると主張している。
・若者を戦場に送らない、反原発、民主主義を守る等、様々な闘いが集まれば必ずできる。
・名護市で基地容認している区に直接国が補助金を出すとの動きがある。しかし、容認している人達の思いも複雑であり、制度的にも難しい。分断には屈しない。
・海上ブイ、作る法的根拠はない。反対協カヌー隊の排除、暴力的な対応が行われている。
・民主党鳩山さんに対する評価、初めて県外と言った。これは県民の意識を変えた、諦めていたところから変わった。
・本土に基地はいらない、そして沖縄にも入らないと言って欲しい

②嘉手納基地
・もともと、嘉手納町はなかった。北谷町の一部で、基地が真ん中に作られ仕方なしに設置された。
・嘉手納町の83%が基地、残り17%に住民が住んでいる。
・返還される見通しは今はない、だから返還後の街のビジョンも作られていない。
・地上だけに基地がある訳でなく、使える上空の空域が軍を優先に決まっている。那覇空港への民間機の離発着、パイロットが一番緊張する空港となっている。
・ベトナム戦争時(B52が100機)など、この基地から多くの米軍機が飛び立っている。基地で働く人たち、順法闘争で闘った(機体整備等に時間をかける等)
・飛行機格納庫は、日本の思いやり予算で作っている
・米兵居住区にある住宅、将校用で234㎡(通常の県営住宅は79㎡)。基地外住宅には、住宅手当で20万円近くが出ている。住むところには困らないぜいたくな中身、それも思いやり予算、私たちの税金から。
・嘉手納基地爆音訴訟、①身体的障害等が発生していることへの保障②夜間飛行はやめてくれと主張。判決では、因果関係が証明されたら保障(しかし住民の分断内容も)、夜間は却下された。国内的、国際的条項がないからと。第3次訴訟を準備、2万人の原告、空前の規模で。
・ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤と同じドラム缶があった。様々な有害物質も検出された。土壌汚染がどれだけすすんでいるか、わからない。

※普天間基地(嘉数高公園から)
・オスプレイが駐機しているのが、肉眼でもはっきり見える。異様な形をしている。
・日本の航空法では、滑走路前後にクリアゾーンが必置で、それは空港内にあるとされているが、普天間基地にはそれがない。密約によって航空法が適用されず、そのためクリアゾーンの中にある小学校がある。世界でも異様な状態になっている。
・オスプレイ、騒音90デシベル。事前の約束は無視され、環境破壊が進んでいる。
・沖縄国際大のヘリ墜落事故、米軍は、学長や当時の伊波市長も立ち入りを認めなかった。
・米軍が起こした瞬間、その地域が日本でなくなる。
・「沖縄は日本なのか」と市民集会で号外が出される、この事故の意味が問われる。
・自らの闘いで基地撤去を勝ち取る、安倍政権打唐ェ重要。
・(普天間基地とは逆方向)前田幸地。日本軍と米軍の最大の激戦地。魔の高地、血塗られた場所と言われていた。至近距離で撃ちあった。米軍には、兵士に発生する精神状態に対応するチームがあり対応していた。南部に戦線がさがる中、それも効かなくなった。
・米軍から投降のよびかけがあったのが6月10日(日本の記録では16日)、それを23日まで引き延ばし、牛島司令官は自決。戦争を終わらせることができず多くの住民が殺され、9月7日まで沖縄戦が続いた。

※不屈館
瀬長亀次郎さんの娘さんからの話し
・戦後史を学ぶ資料館があまりない。篤志家の好意で場所を借りている。公的なお金は入れず、民衆の資料は民衆で守ろうとの立場であり、徐々に知られるようになった。
・今は第2次島ぐるみ闘争、ここでは第一次の闘争を主に展示している。
・瀬長亀次郎、ハーグ陸戦条約を根拠に抗議を続けた。当時の状況で、アメリカに抗議するのは勇気がいること。
・アメリカは、朝鮮戦争で基地拡張の必要が高まる。反対闘争が行われるのに対処するため、亀次郎を不当に逮捕した(人民党弾圧事件)
・アメリカは、「亀次郎に関する手紙はすべて報告しろ」との方針で、当時の私の手紙も英訳されてアメリカ本国に送られた。
・当時の中学生とかもみんな闘いに参加し、亀次郎を知っていた。
・今までも様々な闘いがあった。島ぐるみ闘争、一坪たりとも渡さない、それらがあっての今の闘い。翁長知事が言っているのは、そのことがあったから。私たちはこれからも闘う。


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