vitamin bass "B3"

ベース、時々釣り・メタル

2021年1月27日(水)270日を振り返り、家を探す

2021-01-27 18:08:00 | 日記
不思議な言葉だ。家を探す。
自分が家を見失ったかのような文字面ではあるがそうではない。転居先を探すということだ。

前回の現宅への転居の際、親が連帯保証を土壇場で拒否するという事態により退去日差し迫る中次の家を探す、というトラブルがあった。世間的には転居先が急遽変わったのはCovid-19影響で建材が入らず入居予定物件の引き渡しが間に合わなくなった、ということにしているが実際は親の謀反だ。3週間で全て済ませられる先を探した結果いまの貸家にいる。

いま10ヶ月目。この約270日を振り返ってみよう。
フルリノベーション済み、という触れ込みのこの家に入居した最初の日に異常な寒さを感じ、この家に断熱材が入っていないことに気付いた。リノベって内装をやりかえただけかよ…と絶望したわけだ。
地獄の真夏は屋根からの熱を100%取り込む2階では眠れず1階リビングにキャンプ用のマットを敷き1ヶ月背中が痛い…と嘆きながら過ごした。

晩秋には季節外れの寒さがあり早々に釣竿を納めたが、その寒さでこの先に起こる危機を予見した。今年早々年明けに水道管凍結という耳を疑う事態となった。朝起きて水が出ない。夜風呂に入ろうとするとお湯が出ない。


さてまもなく一年を迎える。
この家は一年以内の退去の際にフリーレント分を違約として支払う契約になっている。まあ4月まではいるだろう。

だが
…夏までいると思うか?
…次の冬もここで過ごすと思うか?


答えはノンである。


家探しは1年前と同じエリアを見ている。
ここは都市開発が90年代から始まる以前はほぼ農耕地。学術的に都市計画されており非の打ち所がない。
正直穴場だ。

…ところがだ。
Covid-19の緊急事態宣言が一気に押し進めたテレワークは賃貸市場に歪な特需を作った。
これまで過小評価された2畳や3畳の小部屋が人気急騰した。一般的に使いにくいとされていたこの小部屋を私は防音改造して自宅スタジオやテレワーク部屋にしていた。6畳未満だと人気がない、という世間のニーズと真逆を甘受していた私にとって希望の部屋が一斉に消えた。

また緊急事態宣言下で新しくペットを飼う人が増えたと度々取り出さたれるが私の狙うエリアのペット可物件も一気に数が減った。ハッキリ言っていい迷惑以外のなんでもない。


1年前は5件から選べた。
しかし今年は条件を100%満たす物件は一つもない


誠憎たらしい。
元を辿れば発生してしまったウィルスよりも今後はテレワークね。で、会社の雇用維持がやばい、給与も維持できないと言い出し転居を考えさせた会社にあるし、それでも予定の物件に転居出来ていれば特段何事もなかったわけで恨むべきは親にもある。

普通に眠れて普通に風呂に入れて、普通に買い物に行けた日々が懐かしい。

そろそろ転居慌ただしくなります。


covid-19下での転職や給与、年俸制への転職の注意点など

2021-01-03 10:19:00 | 日記
日本はお金の教育がなってない、という指摘が一時期話題になったよね。私は激しく同意する。

個人資産の作り方、投資とは、収入と可処分所得の違い…。こういうことを理解してないと人生大いに苦しむ。

資産や投資は終身雇用と退職金/企業年金制度が当たり前だった時代の名残で丸投げ/学ばない人が多い。私の前勤めていた会社の退職金は課長未満は3万円×勤続月数、課長以上は5万円×勤続月数という年金制度だった。年間36〜60万円しかプールされないわけでそれなら年俸制で100万円高い方に行くのと何は変わらないし150万円アップで雇用契約締結して自分で回す方が多分将来的に多い資産形成ができる。

転職時の賃金交渉などもこういったお金の知識無しでやると大損こくわけだ。いまの手取りより20%アップだからこっちに行く!みたいな感じだとマイナスになることは多々ある。
前の私だと住宅手当(社宅借上)年間120万円と退職金の積み立てが年間60万円。この合算180万円に税金の分をかけると年俸制の場合額面で源泉徴収票に書いてある金額プラス300万円がミニマムだったわけ。

そんな条件でも私が欲しい?と採用面接の際に話をし、会社は私が欲しいというので私は勤めた某世界一企業を辞めて今の会社にいる。

確かに高級取りの一人だったけど私が賃金交渉で引かないのはこういう計算をしていたから。逆にいうと給与交渉力の無い人に高級取りだ!と揶揄されると貢献に見合わなければ申し訳は立たないし、他方お前が交渉力無いだけだろ?と冷ややかに見てしまうこともある。


生産性を測るのに利益÷人件費(個人)という方法もある。私は現在旧来の業務+小売部門の業務。小売部門の従業員の平均値を下回らないようには気をつけている。これであれば追加業務もあるので高級取りと揶揄される心配はない。



現職の給与について。
試用期間中は要求の92%で手を打った。
正社員登用後は満額+アルファを求めたけど他の事業部の不採算とCOVID-19による業績悪化により人件費を軽くするため▲20%。休業明けに追加で▲10%…と結果的に▲30%まで貶められた。

訴えれば勝てる範囲なんだけど振る袖がない会社に飛んでみろ、と言ったところで出ますまい。会社存続・従業員の雇用を一人でも守る方に使ってくれ、としか言いようがない。

私個人としては会社が業績を理由に賃金を下げる、役職手当を無効にするというのは会社が従業員に約束したものを反古するわけで従業員とその家族から毎月借りている、という意識を持ってほしいとは思う。私がbottom driver workの代表の頃はそういう意識ちゃんと持ってたもの。



話は脱線したが給与▲30%を貯蓄積み立てを止めることと家賃の引き下げでこのダメージを吸収しようとさせたわけだ。それが今回の貸家への都落転居だった。

これが可処分所得で言うと45%ダウンになるのね。家賃は固定費なので振込から家賃を引いて残った差額を比較すると…って計算だわ。
安易に30%下げた時「従業員の給与を30%下げてしまった」と考えているようでは凡愚も凡愚。「どれくらいの家賃の家に住んでいるのは確実な額は知らないが家計の使えるお金をいままでの半分にしてしまった」と思う計算力は欲しい。

これが扶養家族1名だとこの可処分所得を2人で割る。その額を見て私に対して「ファッキン高級取り」と言える奴がいるなら出てこい、論破した上でボコボコに殴り倒してやる、くらいに思うこともある。

全ての前提は会社はその人材をこの金額で引き抜こうと決断しており給与格差の恨みは採用担当と経営に向けな、となる。


資本主義社会で生きるなら金銭感覚というのは常に養い高めなければ将来ろくな目に遭わない。
そんな感覚の人間が会社の金を動かすと会社は大きく傾いてしまう。いまは若造でも10年もすれば大きな責任あるポジションにつく。その時に10年間でそういったスキルを全く身につけていなければその人が会社を滅ぼす人になりかねない。




新春

2021-01-03 09:36:00 | 日記
新年あけましておめでとうございます。
恥辱のボロ貸家暮らしも9ヶ月。X dayとなる4月25日まであと4ヶ月。12ヶ月未満の退去は違約金1ヶ月とのことなので実質3月退去と4月退去の自己負担額は同じ。ならば1日も早い方がいい。

昨年緊急事態宣言による休業が大陸のように長期化すると踏んで家賃を下げなければジリ貧焦げ付く…と踏んで家賃を3万円下げる計画を立てた。まさかうちの親が口頭で了承を得ていた保証人署名を断るとは想定外で退去日カウントダウンの中で別の家を緊急探すことになるとは思わなかった。そんな事態でなければこんな家には住まない。

結果として家賃は約6万円下がったが転居で支出した金額の補填と再転居の予算をプールするためただ苦しんだ一年になっただけだ。


1年間ちゃんと楽器が弾けず筋肉は衰えたし発声練習も出来てないのでちゃんと歌えなくなってると思う。毎朝室温が2度を下回る。家での筋トレや家の近隣で縄跳びということもできないので高い家賃で消耗戦をするのと健康面で消耗戦どちらを取るべきだったの?的な感じになっている。

そもそも会社代表が「ワーストシナリオ」として3/4の従業員を解雇する可能性なんて言い出したあたりで判断力はおかしくなっていたと思う。

今回の騒動で転居費用や部屋に収まらず買い換えた家財、次回転居のためのプールとして100万円近くのロスを作った。思うことは尽きない。

こっちのblogは匿名性を活かして思ったこと容赦なく書く方なのでちょっと書いておこうかな。

2020/12/03 最後の闇

2020-12-03 23:40:00 | 日記
2020年12月3日(木)天気曇

この家に引っ越して早7ヶ月。年末を迎えてしまった。契約上一年以内の退去は1ヶ月分の家賃相当額を払わなければいけない。4月の違約金なし退去と3月の1ヶ月違約金退去は支出額は同じ.と考えており後3ヶ月強の忍耐だと考えている。

ソファやホットカーペットの導入で外気温と室温の差を表す「ぼうぎょりょく」は3から4.5に上がった。しかし前住んでいた家の年中18〜22℃(※空調未使用)に比べれば雲泥の差だ。窓の外の雪を眺めながら18℃の室内で半袖でいた。

なぜ防御力が4.5なのか。
20代の頃建築建材の販売や設計をやっていた人間として流石にこの違和感は感じている。腐っても石膏ボードにモルタルタイルの外壁。シラフの状態で熱感流率を計算してもぼくぎょりょく4.5は低い。

家はボロながらアルミサッシに単板ガラス。熱貫流率は5程度。石膏ボードより脆弱なのは窓。窓の防御力が低いとしても気密が取れていたらぼうぎょりょく4.5はあり得ない。
日々疑いながら考えないことにしていた。


…さっき気付いてしまった


台所と脱衣所・風呂を隔てる建具に5ミリ強の隙間。風呂は自然換気のための穴が空いており事実上外気ダダながら、外に風呂があるのとなんら変わりがない。
そことの隔てに5ミリもの隙間があった.
半年気付かぬとは元・建具ガラス工としては失態にも程がある。確かに気温が下がっても室内の湿度が60%ということに違和感はあった。常に風呂から外気と湿度が流れ込んでいたという事だ。


ビバホームに駆け込み6mmのモヘアを買ってきた。漢は黙って槌屋のモヘア。隙間に対してモヘアを取り付けた。
取り付けた途端洗面台付近のサッシは結露。これはやっと洗面から居室への流入が止まり気密が取れたということか。


暖房を使って今の気温は16.9度。
明日の朝この効果が判明する。


私は勝利したのだろうか?


いずれにせよ春には転居してやる。


memento mori 時間泥棒には死を

2020-11-10 21:01:00 | 日記
ご無沙汰です。
最近もう家の改修をする気が失せてgoo blogもほったらかしだったわ。

今後はDIYより私の個人的な長文呟きを書きながら続けていくわ。


memento mori
私を代表する言葉の「三大」の一つよね。
plumb the depth
virtuous betroyal
memento mori

昔からこの3つが私の座右の銘よね。
絶望、裏切り、死ということを常に刻み込んでいる。

特に最近はmemento moriかしら。


私は22歳の時に肺疾患で心肺停止までいった。25歳の時にギランバレー症候群で右上半身以外が麻痺してまた死にかけた。
親族以外の身近な人の死も幾度と経験した。

生死感はしっかりしてる自覚はある。
死にかけると自分の余命はあと何日か、何時間か、何回寝て、何回起きて、何回食事をして…と微分し続ける。あと何回「おはよう」と言えるのか?と考えたことはあるだろうか?
多分私が多くの人と価値観の違いで相容れないのはこの点だ。

明日がまた来るということをあまり当たり前に考えていたくはない。人はいつか死ぬし突然死ぬことも多々ある。それを忘れた人たちとは何かうまくいかない。

その根底にあるのが時間の感覚だと思う。
82歳まで生きたとして人生は30,000日しかない。朝食は3万回。玄関で靴紐を縛るのも3万回。寝るために電灯を切るのも3万回しかない。
これを多いと感じる人は多分私とは合わない。少ないと感じる必要はないがこの話を聞いて何か思う人でないと私は一緒にはやれない。


タイムマネジメントを徹底してプライベートの時間を最大化することを長年心がけてきた。結婚を境に自分の30,000日という考え方から妻と過ごす17,000日という考え方に変わった。仕事から帰って3時間しか起きてないとすると(休みの日は別として)24時間でそれを割ると2120日分しか共にできないことに気付く。睡眠時間を除いて16時間としても3180日だ。

その間にお互いに老いていく。出来る事は徐々にできなくなる。同じ今日は2度と来ない。そう言った意識を持てばプライベートの時間の最大化の価値が分かるだろ?(分からないやつはすまんが多分相入れんわ)


時間というのを有限の最も尊いものだと考える人間にとって人の時間を無駄に蝕むものは最大の敵な訳だ。労働契約時間を超過する無駄な残業、無駄な会議。それを何よりも強く憎む。


私が最も幸せなのは在宅で仕事をする事にある。それを認めてくれた会社であったから超大手の前職を辞めたんだが、現状は一体なんだ?

会社存続のために大幅な組織変更をして私も小売部門に組み込まれている。毎日2時間かけて出勤して毎日当たり前のように30分残業。毎日私の家族の時間を4時間半奪っている。毎週22時間奪われている。

私は今をそう捉えている。

在宅テレワークだから仕事の効率を高めようと郊外に転居したのに毎日中央区まで通えとはこの仕打ちはなんだ?という忿怒は日々抑えているがたまに収まらないこともある。


家族との10分のために毎日370円の特急料金を払う。私はそういう価値観の人間だ。価値のあることに時間を費やすことは喜びだ。価値のない時間は言葉の通り価値がない。
実際の物に例えよう。価値がないものに対価を払うのか?

価値のない時間に支払う時間は1分たりともない。そんなこと誰も理解してくるない。


だからいつも思う。
当たり前に生きてるな。
当たり前に生きてるから毎日を大切に生きる人の大切なものを害することを何とも思わない。


私は感情が高まるとこういう。


死ね、と。


死んでくれというより一度死と時間についてちゃんと考えてくれ、という意味合いだ。
分からないなら前述の通り死にかけてみればいい、と思ってる。私も昔はいまほどのレベルでは考えてなかったのは事実だ。死にかけたから分かる。

死にかけてわかったから死にかけなくても多くの人にわかってほしいと思っている。でも理解しないなら、理解せず人の時間を奪うなら

お前は死ね

と私はいうと思う。


ここまで来ると
いいから一度死ね。死ねば分かる、なんていう暴言を吐くと思う。でもそれくらい理解して欲しい。


ちゃんと分かるように書かなきゃダメ?