歌人の血

故郷の実家代々の伝承=短歌と共に、時代を生き抜いてきた証として…生活コラム+市民生活論…徒然なるままに…よろしければ

あぁらよ!!男一丁(((^_^;)

2024-03-20 15:43:39 | 日記
「まちがったっていいじゃないか」を 糧に持ち ぼくらは白い帆を張ったっけ……

三十路まで~~正夢のつづき~~を見てた ピント外れの 雨男だった

ゆとり術 さとり術などと同期して スキルgetとクリーンアップ

四十路にて 独り歩むことの狂おしさ噛みしめた…コレ、、、!!生涯2度目

中枢の産業革命に捲れざりっっ これぞ若き日のリベンジにあり、、、、、…~~か




今日 春分の日!

大空見上げりゃあ、曇りがちなものの、

なんとかやかんとかも彼岸まで!


去年の暮れ=師走の初日=12月1日から

この 春彼岸までの


およそ 3か月半超の間


名付けて、こころと生活の…棚卸し期間なりき~~!!


いやいや


棚卸しが済むまで


期限を設定しないで、、、


踏みしめた


3か月半超……


ちなみに


棚卸し期間の最終の週に当てはまる


先週一週間(11日~17日の間)の日程を公表すると


月曜 馴れないどさ回り

火曜 いつもと違う庶務

水曜 実作業(はじめての分担を担当し)

木曜~金曜にかけて 大掃除(のラストスパート)

土曜 カラオケ(はじめて歌う曲ばかり…十八番の新規更新…)


そして!日曜っっっ、、、ドドドドーン!!なんと!!



ひねもす爆睡の1日でしたっっっ



備忘録的に書かせていただきましたが……


まあ!それでいいんです!!



まちがったっていいじゃないか忘れずに

夢を見たっていいじゃないかも忘れずに



お し ま い
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サイドストーリー「『上京アフロ田中』のごとき日々を回想」への付記

2024-02-23 13:25:45 | 日記
バイタリティー築き上げたのが あの10代 のちに所在は二転三転

弱き身の余裕とかけて なんと解く?…机に野ばら飾って暮らす

黄金期 それなりにあり… それなりに、、、ツケを被り 「いま ここ」に在る

それなりに幸せ掴み それなりに=苦労もしたなと 振り返り思う



田中は、宣言を撤回できないままに 歩み続けるよりほかはなかった。


「ボクは

まるで!パソコンかクルマのような


生産的機構となることを誓います!!生活上の悪循環も、卒業します!」


アラサーを手前にして

田中の心の中は、二つの側面と共にあったわけで……


心理的側面A→→ってゆーか T〇K MA〇〇〇M〇T〇みたいだぜ~~オレよお~~!限界を感じていました…とかさ。で、イナバく~んヨロシクってなっっ アラサーらしき このオレだぜ!

心理的側面B→→っゆーか、ホントに 宣言した未来のオレ 実現するわけかよ!逃れられない 虎の穴みたいなトンネルに 通じているのかも、、これからの道は……!トンネルの向こうは 雪国だ?!……トンネルの向こうは……で トンネルの中のオレ どうする??!!



大学を出てから

田中の社会的所在は 二転三転

社会的所在が二転三転していく展開と同期した……

田中なりの(ちょっとした)黄金期であり

そのことと同時に

田中は、拙き、そして『幼い』をも意味する余分な愛着や甘えや依存から卒業していく=脱皮していく(((働き者と呼ばれたい!…内心…)))


そんな田中の 道程だった。


(宣言とは 就活支援のプロセスに於いて、彼自身が 学修し研修したうえでの 彼なりの答えだったはずなのだが。)


ここで言うところの、主人公田中とは


このブログの管理人のこと。


そして……主人公(以下「彼」)が

こういう展開の上で


もっとも苦しみ もがき そして葛藤にさいなまれたのは


実家の母が


突然の病に見回れ

そして いみじくもそれから一年経ち、治療もむなしく急逝し、、、


それからの

彼の道のりそのものだったのだ。


・たとえ彼なりのことであったとしても「黄金期のツケ」

同時進行的に

・母のスネかじりだったことによるツケ


限界に達しそうになっていた彼に

手を差しのべてくれたのが


以前から参加していた


サポーター団体の上司だった。。。


弱き身の仲間を援助するところの

サポーターとして


サポーター同士の集いに於いて


彼の乾ききっていた こころは 潤いを取り戻し!!


段々と

回復して行きながら

そして、さらに!生活支援所の職員さんとの出会いがあり!

彼は 職員さんとの交流を深めていきながらも……


時に憤ったりわがままを言ったり甘えたりする彼を


職員さんは、あたたかい眼差しで見守りながらも


彼に回ってきたツケを解消するお手伝いをしてくださって……


……………………この物語は フィクションならぬ ブログの管理人である私のリアルストーリーである。。。…………… 田中なる仮名を借りた 私の!………


で!で!


目標としていた

パソコンのようなクルマのような、ジブンという生産的機構については


当然ながら パソコンのようなクルマのようなものには及ばす


一軒の小さな雑貨店だったり

一機の、アプリ付きの 何らかの小型ハードウェアだったりの。。。



そんな実現でしかなかった。



この!……いみじくも汚らわしく はかなくも美しい 僕らが生きる人の世は、、、



けっして 虚しからず哉。


彼はそう呟いて 執っていた万年筆を しずかに置いた。


繰り返すようだが


彼とは

ここに記したリアルストーリーの主人公であり このブログの管理人でありライターである張本人に

限りなく近い

言い方を借りれば イコール(=)であるところの


この私です。



お し ま い!!
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この町に生きる。

2024-02-17 05:17:43 | 日常コラム
この船が たとえば座礁しかけても万々歳でもせわしいときも……

セコいとかアタマわりぃとか言い合える、、、仲間だからこそ!そう言い合える

絆って、愛を通じて出来上がる……自信のなさに愛をください



弱さを隠すようにして生きる人もいる。

出来上がったジブンに申し訳ないからだ。

若さに甘え過ぎて、友だち減らしたやつもいる。

手遅れと言われても、口笛で答えるような……

上手くように見えて上手く行かないから 誰かに当たりたくて でも当たれなくて、余計な節介焼きそうになって でも経験が邪魔をする。。。じゃあどうすればいいのかと ある人は途方に暮れてしまっていた。。。

けどそれは 負のスパイラルまでは及ばないことだったという。


みんなホントウは

愛が欲しいのだ。


たとえば「ジブンを愛しなさい。」


その一言だけでも、救いになるものだ。


でね。この町に生きてきて、


悪くはなかったな、と思う。


なぜって、


本音を言い合えるからだ。


本音でぶつかり合って、たとえ手探りにでも……なんとかして愛の手綱を手繰り寄せることができるからだ。


ボクらは


みんな 愛を必要として

同じ船に乗って……



そして!これからも、この町で。
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明日がある(ホントウの自由の意味)

2024-02-03 06:45:29 | 日常コラム
砂混じり この家の人も波も消え今年でいくつ?これからですよ!

ギター弾きや もの書きなどを しています 2月の風が 吹きつけるとしても

ポイ活を 始めてみようたとえばね、、、愛し合うことを 1ポイントとして

自転車が移動手段の免許持ち 曖昧な曖昧なアパート暮らし

こんな時代 社会にジブンを晒そうよ もったいなくないアイデンティティを

日曜日 多様な生き方を思うとき 「誰かいますか~~?」ぼた餅三つ




このブログで前にもほんの少し挟んだ、「わかばマーク」の頃には 現実的ではなかったところの

『日々暮らしを営んでいく上で拒んではならない缶詰式』なるリアル やら 『将来へのビジョンがあるからこその 時に無条件にキツい思いを伴う なんでもなくはない抑制や節制』やら……


大人になればなるほど…不条理な現実を突きつけられても

黙って受け入れなければならないとき(or‐‐ならない事)がある。



そんなとき

明日への希望を

忘れてはダメだ。


ただ「明日がある」、それでいい!!のだ。

明日があるからこそ夢も叶えたい目標もあるのだ…生きている限り、、、つまづくことがあっても……夢を忘れちゃダメだ!毎朝見かける、あのカワイコちゃんとデートしたいなあ……そんな夢だっていい!!


夢に 復権を!!そして アクションを起こすことだ!!


生きている限り

明日があるのだから……。
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『 「上京アフロ田中」のごとき日々を回想』

2024-01-25 16:37:24 | 日記
彷徨えし蒼き弾丸ボクはボクは…堕天使たちが 御手こまねいて

盟友に電話かけたら留守電で 元カノは、「貸したお金を返さなきゃムリ」

戻ろうよ、青き若葉の季節にさっ!わかばマークの 知らないボクらへ




田中は 働きはじめてすぐの頃 都内へと飛ばされた。それは上司の独断であった。

上司の独断のみでなく、会社の営利のために、というのは 当然。

田中は生まれてはじめて、男女交際の痛みを知り…働くいて固定収入を得るということの深い意味合いを悟り得た。
田舎の三流大卒後、金もとれない音楽活動や演劇活動に夢中になっては…純文学の世界にのめり込み、明日は明日の風が吹く~~と言っちゃあ、社会的な現実から逃げていた田中が、重い腰をようやくあげてから、、、のことだったのだ。

………そうして、、、

拙くて仕方なかった、同期して、無為自然な児童のようだった、「ごく日常的なコミュニケーション性」と

高校生未満にしか値しなかった「生活年齢のあらゆる点」

すでに田中にのし掛かっていたはずの、この二大テーマは

28歳からのこの十年間で本来の大卒程度となった。


「ハイ、田中くんは東京残留組だよ~~」と そういうことに成ってしまってからは


田中のうちで


現実のハードさは

幾重にも増してしまっていた……



お陰で


田中は


休職願いを出して


それが受理されてから



必死になって(半分血眼になって……)


「吾は吾なり彼は彼なり」と意思を固くして、田中は田中なりに…コミュニケーショントレーニングと

生活年齢向上のためにいそしんだ。。。


ある種の


潜在能力開発であった……思えば


28歳の折の上京を期に、掌編小説と詩を書き連ねなくなってから……(辛いとき 寂しいときのための処方箋だったことを しなくなってから…)


「いいんだよ。母さん。書いているとなおさら寂しくなってしまうから。。。オレ、大人になる!」


上京の際

心配そうにしながら見送りに立ち尽くした母に

田中が言った言葉だった。。。


つまるところ


28の上京こそは


田中の出発点だった。。。



それまでは

自他もろともに認めるところの名付けて「大卒わかばマーク、ついでに 泣き虫、淋しがり屋、スネ夫系 三拍子揃った 実はサブサブお坊っちゃま」

そんな田中に


不安はなかったのか?!


若さゆえの 根拠のない自信が


田中を支えていたのだった。


田中が一番嫌だったのは

その!根拠のない自信そのものを 突っつかれることだった。。。


田中が暮らしはじめた都内にある会社の寮の親分のことが


否定的に思われて仕方なかったことが


二度ほどあった。


寮に暮らして 現場で働き出してからと

東京残留組と相成ってからの


二度だったのだが……


つまり

そこを突くか~~~!!オヤジ~~!!


だったのだ。






もがきながらの10年が経って。



ボクは

田中ではないのだが


オヤジの仲間入りをして


このブログのBloggerなのである。。。



ちなみに

コミュニケーション性と生活年齢は

誰の手によって向上し

そして 大人としてのものになったのか?!


先程記した 寮の親分によって…(大人と)せしめられるまでに及んだ…のでは?!


若さゆえの 根拠のない自信など


そんなことである。


そうして


10年し


オヤジの仲間入りができたかできないか……の 田中は 筆を置いた。


お し ま い
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