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葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

カップヌードルは食べないけど。

2018-01-01 12:12:20 | 雑感
 ここしばらく、カップヌードルのCMが流れると、つい目を向けてしまう。
 アオハルとかいうシリーズで、名作アニメのキャラの青春を描くというアレだ。
 もう第三弾のサザエさんまで続いているのだから、中々好評なのではなかろうか。

 ここまでくると、「次はどのアニメが素材になるのか?」とか、「このアニメを素材にしてほしい」なんて話題もありそうだ。
 で、実はちょっとリクエストしたいアニメがある。
 「フランダースの犬」だ。
 確かにあれは物語として完成しているのだろう。
 それは分かる。
 分かっちゃいるけど、何だかモヤッとするし納得いかないのだ。

 私はどうもそういうタイプらしい。
 例えば「ごんぎつね」なら、その後の兵十の気持ちを考えるといたたまれなくなる。
 「泣いた赤鬼」など、大事な友鬼の青鬼さんと離れ離れになってしまって、それで本当に人間と楽しく付き合っていけるのか、そもそも人間にそれほどの値打ちがあるのかと考えると気持ちが沈んでくる。

 だからといって、話を変えろというのではないい。
 ただ、ドラゴンボールの人造人間編で未来のブルマがトランクスに言った台詞じゃないが、「人造人間をやっつけて平和になった未来があってもいいじゃない」みたいなノリで、「フランダースの犬のイフストーリーで、ハッピーエンドがあってもええやん」と思うのだ。
 このCMのシリーズは、そういう細やかなチートにはうってつけではなかろうか。

 例えば。
 女子高生になったアロアの高校生活が、アロア自身のナレーションと共に描写される。
 庶民的な男女共学の学校だ。

 で、彼女は美術部に所属していて、絵を描いている。
 作業に区切りがついたので、帰り支度をしながら、少し離れた場所で夢中になって絵を描いている少年に「そろそろ帰ろうか」と声をかける。

 その声でハッと我にかえったように振り向いたのは、勿論ネロだ。
 ここでアロアとネロの二人のナレーションで「この日常は、あの夜の奇跡から始まった」
 で、カップヌードルの画像の後に、ネロとアロアを出迎えるパトラッシュとその奥さんと、仔犬が2〜3匹ぐらいか。

 つまり。
 ネロとパトラッシュが一命をとりとめて、平凡な日常を送っているシナリオだ。
 まあ現実には、命が助かったら助かったで辛い日々が待っているかもしれない訳だが、そこは曲げてもらおう。

 いや、こういうCMが流れたら、久し振りにカップヌードルを食べてもいい。

 さて、このブログにお越しの皆樣方におきましては、イフではなくリアルに良い年になりますように。
 Happy New Year!
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