血液クレンジング療法が何だか色々言われている。
似たような話はこれまでにもたくさんあったし、これからもあるだろう。
それこそ鍼灸やマッサージに関わる者は常に自戒しなければならない。
陰陽も五行も氣も、いわゆる疑似科学やニセ医療と常に隣り合わせだからだ。
もっとも、そもそも陰陽や五行や氣の理論は、言葉通りに受け取ってはいけないものなのだ。
ちょっと分野がずれるが、例えば気功や武術などの技法名には
黒虎偸心(黒々とした虎が心臓を掴む)
青龍擺尾(青い龍が尻尾を振り回す)
燕子抄水(ツバメが水面スレスレに低空飛行をする)
等々の、動物の動きを取り入れたものが多くある。
これは、あくまでも「そういうイメージで動くと上手く動ける」という意味であって、本当に虎や龍や燕になれると思っているわけではない。
こういうイメージの利用は、スポーツでもよくあるだろう。
例えばキャッチボールをする時は、「相手のグローブを突き抜けるつもりで投げる」などだ。
これは、そういうイメージで投げると制球が良くなるという意味であって、本当にグローブを突き抜けると思っているわけではない。
つまり、陰陽や五行や氣(や経絡や経穴や…)で構成された理論とは、あくまでも「患者の自己治癒力を最大限に引き出すためのイメージの集大成」なのだ。
「いや、それはちょっと違う」という方もいらっしゃるだろうが、この辺のことを言語化しようと思ったら、存外これが限界なのではなかろうか。
で、こういうことを術者と患者が、お互いにしっかり理解した上で施術が行われてこそ、健全な鍼灸やマッサージなのだと思う。
そしてそれは、単なるプラセボより高い効果が見込めるはすだ。
何故って?
プラセボとは、あくまでも薬や治療に「依存した心」の力だ。
適切なイメージで弾みをつけた「自分を信じる心」の力が、「依存心」に劣るとは考えづらいではないか。
ところが。
世の中には「虎や龍や燕になんてなれない」と分かっていながら、患者には「なれますよ」という人が洋の東西を問わず存在する。
そんな治療でも、それこそたまたまプラセボで効果があったように見えることもあるだろう。
だがそれは多くの場合、患者の正常な判断力を損ない、正当な治療を受ける機会を失わせ、徒に症状を長引かせたり、医療費を増大させたり、労働力を減退させることに繋がる。
こういったことを法的に規制するのは難しい。
法治社会とは「法律に触れなければ何をやってもいい」ものだと解釈する人は多いし、言語化されたルールには大抵抜け穴があるからだ。
だが、そんな大人げない仕事を続けていれば、いずれ李徴とは違うベクトルの虎になってしまいそうだ。