26日㈭の晩に、チーコさんが発熱した。
私は週に6回ほど、家族と食事のタイミングが合わない時は、蒸し野菜とヨーグルトにトーストもしくはオートミールといったメニューを自分で用意して食べている。
チーコさんも、家族とは別に食べたいものを自分で用意して、好きなタイミングで食べることが多くなった。
こうなると、それぞれが使いたい食材がバラバラになりがちなので、うっかりすると冷蔵庫内の配置に困ることもある。
特に冷凍庫に関しては、買い置きの食パンとか唐揚げとか、アイスクリームとか今川焼きとか、何なら野菜の高騰を受けて冷凍モノにスイッチしているブロッコリーとか、とにかく油断すると「どうやって収納しようか」と頭を捻ることになるのだ。
まあブロッコリーなどは、私とチーコさんが別々に購入していたのを、つい先日共用にしようということで多少は省スペースが図れたのだが。
そういえばカミさんは「大きいサイズの冷蔵庫に替えようか」と悩み続けて何年目だったか。
私の方は今の冷蔵庫でも不便とまでは感じていないので、なるべく無駄な食材を買わないことを心がけている。
その辺チーコさんは目新しい食材を買い込んで、冷蔵庫に詰め込む傾向がややあるのだが、時々カミさんと山分けしたりして楽しそうなので寧ろ良い事にも思える。
この半月ぐらいか、カミさんがリングフィットアドベンチャーを熱心にプレイしている。
チーコさんも少しは遊んでいたようだが、どうやら早々に飽きてしまったらしい。
本人は「アユ君が巧いから」やる気を失くしたとか?
私はカミさんやチーコさんがプレイしているのを横で見ているだけだが、なるほど、普段運動習慣が無い人であれば、結構な運動量になりそうだ。
強い敵がいても、RPGのお約束でアイテムを買ったりレベルアップすれば「よし勝てそうだ」と気持ちを立て直して、もうひと運動出来たりするのも宜しい。
まあ今のところはオーバーワークにならない程度には理性的に遊んでるようだし。
個人的に見ていて一番楽しいのは、スクワットをするとピョーンと大ジャンプが出来るステージだ。
あれは気持ち良さそうである。
あのスクワット大ジャンプの爽快感は、PS1のデッドオアアライブでジャン・リーのエンター・ザ・ドラゴンを決めた時のゾクゾク感に通じるものがあるのだ。
先月の中頃に食べた特売品の梨は、時期がやや早めなこともあってか、少し甘さが薄めに感じられた。
ところがカミさんは知人から「今年は桃もスイカも甘くない」と聞いたとかで、カミさん自身もそうだと思うらしい。
で、その理由として「今年の夏は暑過ぎるから、果物も糖分を自分が生きるエネルギーに回してしまって、果実が甘くならない」説を唱えている。
どうだろう。
案外原因は暑さにも果実にも無くて、こちらが加齢やら老化やらで味覚が鈍感になってるだけなんじゃないかという疑惑もあるのだが。
まあそれにしたって昭和の果物と比べたら十分甘いのではなかろうか?
ちなみに今朝は2個で税抜き価格398円の豊水梨を食べたのだが、結構甘かったと思う。
我が家のスイッチは「スーパーマリオ3Dワールド」を加えて、好評稼働中である。
勿論新しいマリオに関しても、巧いのはアユ君だ。
傍からプレイスタイルを眺めているだけでもそう思う。
データ的にも、例えばアユ君は残機が100以上あるそうだ。
失敗しない上にスロットを確実に目押し出来るのだから、増える一方だろう。
ちなみにチーコさんの残機は二桁、カミさんは一桁らしい。
で。
ちょっと興味深いのは、アユ君も「残機」という言葉を使うということだ。
前世紀のスクロール型シューティングゲームを遊んでいた人なら「残機」という言葉はお馴染みだろう。
だがアユ君はその手のゲームはやっていないし、私も「残機」という言葉を教えた記憶はない。
アユ君本人に「残機という言葉をどこで覚えた」と訊いても「分からん」そうである。
ある一定の水準までゲームを嗜んでいれば、自然と耳に入ってくる言葉なのだろうか。
先月末頃だったか、カミさんが任天堂のスイッチを購入した。
久し振りにマリオを遊んでみたくなったそうだ。
で、文字通りマリオ専用機と化している。
ちなみに私はPS4もスイッチも、全くプレイしていない。
かつてPS1と2をやり込んでいた日々が嘘のようである。
ただ、カミさんとチーコさんとアユ君が、時に協力プレイをしつつマリオに興じているのを見るのはとても楽しい。
昨日はアユ君が最終ステージをクリアするのを三人で見ていた。
というか観賞していた。
なるほど、「観る側」の人間も確かにゲームのユーザーなのだな、と今更のように実感した次第である。
「春に散る」という映画のDVDをレンタルして、カミさんと観た。
カミさん曰く、主演の横浜流星君については「チャラチャラした恋愛ドラマより、しっかりアクションをしてくれる方が良い」そうなので、ボクシングのシーンがタップリのこの映画はポイントが高かったのではなかろうか。
ただ、ラスト近くで流星君が演じる黒木翔吾と窪田正孝君が演じる中西利男のタイトルマッチは、所謂日本人好みの?「ガードをかなぐり捨てて激しく打ちあう」タイプだったので、私のストライクゾーンからちょっと外れていたか。
何しろ私にとってのタイマンバトルの理想は、「ドラゴンへの道」のブルースVSノリスか、「スパルタンX」のジャッキーVSユキーデなのだ。
つまり、一時は相手のペースに呑まれてピンチに陥るが、自分のリズムを取り戻して逆転勝ち、というスタイルである。
ちなみに。
黒木翔吾の母親の和美を演じていたのが、私は大塚寧々さんだと思い込んで、ずっとそのまま観ていて、最後にスタッフロールで坂井真紀さんだと知って驚いてしまった。
カミさんも「あ、坂井真紀さんか」と言っていたが、こちらは単に「名前が思い出せなかっただけ」らしい。
私が「大塚寧々さんだと思っていた」と言ったら、「いや大塚寧々さんはもっと顔が平ぺったいでしょう」と返された。
…そうかあ?
つい先日の夕食後に、カミさんが何とはなしに「お父さんとアユ君、腕相撲が強いのはどっちだろう」という問いを発した。
前フリとして、今年の二月から、カミさんとアユ君は近所のジムでマシントレーニングを始めている。
それから約二か月で、どの程度パワーアップしたのか興味がわいたようだ。
私は自宅で自重トレ派なのだが、二十歳の男子が筋トレでどう成長しているか、そもそもアユ君と腕相撲をするのも何年か振りなので、ちょっとヤル気を出してゲームに臨んだ。
で、結果は右手も左手も私の勝ちであった。
勝ちはしたが、かなり膠着状態が長かった。
鑑みるに、私はどうも「腕を伸ばす、押し込む」意識が強過ぎるようだ。
特に腕相撲に関しては、もっと「腕を曲げる、引き付ける」意識が必要らしいと、今更気付かされてしまった。
状況に応じて効率の良い動きを選択するというのは、やはり難しいものだ。
…などという分析ゴッコで冷静&謙虚な振りをしてみたが、内心はかなり天狗状態である。
前回はこんな記事を書いた。
その翌日の晩。
また私とカミさんとチーコさんがリビングに居て、テレビから今度はドライクリスタルのCMが流れた。
このCMの吉沢亮さんは概ねクールにキメているので、チーコさんに「アイリスオーヤマのキャラと、どちらが好みだ?」と問うてみた。
で、チーコさんは「どっちでも良い。推しが一番だし」と、眠そうに返答してリビングから出ていった。
…どういう意味だろうか?
私「吉沢亮は推しだから、どっちも良いのか?」
カミさん「まあ、そうじゃないの」
私「それとも逆に、吉沢亮は推しじゃないからどっちでも良いのか?」
カミさん「ああ、そうじゃないの」
私「そもそもそんな質問に真面目に答える気は無いということか?」
カミさん「うん、そうじゃないの」
…なるほど、わからん。
先日、私とカミさんとチーコさんがリビングに居た時に、テレビからアイリスオーヤマの洗濯機のCMが流れた。
吉沢亮さん扮する要正直が、彼女から飲み物をかけられるバージョンと、彼女がゾンビになってしまうバージョンの二本が続いたのだが、これにカミさんとチーコさんがユルく反応した。
カミさん「何だか気持ち悪い」
チーコさん「でもこういう面白いイケメンは好き」
カミさん「え~そう?でもCMとしてどうよ」
チーコさん「いやイケメンが面白いからええねん」
細部は脚色しているが、大体こんな感じである。
人はそれぞれ見ている世界が違うものだが、こうも見事に論点がすれ違うものか。
お互いの認識の溝を、少しずつ言葉を擦り合せて埋めていく努力というのは、多くの人が必要だと感じていると思う。
しかし我が家でのんびりしている時に、そんな余力がある人は少数派だろう。
言葉という道具の限界を感じるのは、こういう時である。
だがひょっとしたら、問題は認識の溝があることではなくて、その溝に何が流れているかではないか、と思ったりもする。