

今回は屈折放水塔車の活動の様子を紹介する。
先に、名古屋市消防局において屈折放水塔車という名称は消滅している。平成27年頃から大型化学高所放水車という名称に変更され、略称は「大化高」や「化高車」としているようだ。
今回はあくまでも活動の様子を取り上げ、屈折放水塔車と大型化学高所放水車の違いや細かい部分は記事にしていない。実は防災支援車の記事を作成していたが、情報が少なく進捗が悪いので、今回のエントリーと至った。
写真は名古屋港で実施された送水訓練の様子。消防船舶のポンプから送水し、高所から放水する訓練。奥が港消防署の大型化学高所放水車、手前が南消防署大同出張所の大型化学高所放水車。
写真はかつて港消防署東築地出張所に配置されていた屈折放水塔車。産業廃棄物が積まれた場所での火災に高所から放水をする様子である。この車両はブームの作動範囲が広く、下ブーム(一塔目)の起立角度は105°まで可能である。MOS-16は興味深い車両であった。
このMOS-16は「スクアート車」とも呼ばれ、塔体基部にはスクアートのロゴが示されていた。よく見れば「S」の先端はノズルを模しており、海外のユーモアが象徴される部分であると感じた。
以上。
先日、文化財防火デーに係わる消防訓練が実施されました。いくつかの候補があるなかで、「3軸のはしご車」が見たいという浮ついた理由で東区の訓練現場へと出向きました。
結果的に「3軸のはしご車」は参加しませんでしたが、東消防署は昔から車両を表面に待機させる習慣がありますし、車両自体がまだ新しいので今後、撮影する機会はいくらでもあることでしょう。それよりも思いがけない出来事がありましたので結果的に撮影に出向いてよかったと思います。また情報提供をしてくれたBさん、ありがとうございます。次回は春の火災予防運動に係わる消防訓練です。よろしくお願いします!
参加車両は東指揮車、広報車(指揮官車)、査察車、東タンク車、矢田タンク車の5台。参加人員が約310名とありましたが園児たちが見学を兼ねて参加していたのでその数字だったようです。ちなみに消防マニアは1名でした(笑)
園児たちのカラフルな帽子がお花畑のようにも思えました。
消防車(タンク車)がサイレンを鳴らし、境内に進入してくるとみんな興味津々。幼き頃の純粋な心でみた場面というのはいつまでも新鮮に残るものです。サイレンに怖がった子はいなかったかな?私だったら怖がっていたと思います(笑)
一斉放水が始まると園児たちからは歓喜の声が。それと陽のあたる場所は暖かかったけど、日影は寒くないのかな?と少し心配になりました。
東消防署長。
昔の記憶というものは突如、湧き出てくるもの。私と署長、お互い「あのとき、あの場所で会っていた人ではないかと」時々顔を見合わせ、その背格好や歩き方から20年前の記憶といまを一致させようとしている。
挨拶もろくにせず、お互いの第一声「あれ?」から始り、しばしお話させていただいた。ダンディな声質も当時のまま。一方で私への印象は「顔は丸くなったが、笑顔が当時と変わらない」と言われ、嬉しくなりました。講評時に署長の素敵な姿を撮影させていただきました。この趣味を続けていてよかったと思える特別な日でした。
市原隼人似の笑顔がとっても素敵な消防士さん。その素敵な笑顔ゆえ、画像処理をためらいました。様々な意見があれど、こんなに素敵な笑顔の消防士さんがいたんだよっていう気持ちをわたしは共感してほしいだけなんです。
園児たちの消防車見学が続きます。放水体形時と車両の配置が異なるのは水溜りを避けているから。かわいい園児たちへの心遣いです。
こちらもかわいいので撮ってしまったよ。興味を趣味へと変化させるのは個人の意思だけにあらず。周囲の人間の理解があって成り立つものかもしれない。消防車の見学があると行事予定等で知った親御さんが用意した日よけのハンドタオル。子供の興味を理解してくれるやさしい親御さんなんでしょうね。
意外な結果を得ることのできた「第63回文化財防火デー」でした。
消防という趣味、そして写真という趣味が融合した気持ちの良い一日となりました。これなら「3軸のはしご車」が撮れなくても満足するってもんよ。
明日は文化財防火デーの消防訓練ですが、天気もよさそうですし、午前中は都合がつきそうなので訓練撮影でもしましょうか。
希望としては「3軸車のはしご車」を撮影したいので、あちらの行政区となりそうです。しかし、実際に「3軸のはしご車」が参加するのかは不明(一応、参加車両5両とある)ですし、なにより訓練現場が狭くて撮影はどうなることやら。場合によっては「4軸のはしご車(実際に参加するか微妙)」に転戦するかもしれんですね。
そのうち春の火災予防運動もあることですし、散歩がてら撮影に出向きましょう。
久しぶりに「名古屋市消防局」のカテゴリにて投稿します。
今回取り上げる内容は名古屋市消防局の水槽付消防ポンプ自動車I-B型です。この消防自動車は名古屋市消防局においては普通車として分類され、また現場等ではタンク車として運用されていることから、当記事においては水槽付消防ポンプ自動車とは表記せず、タンク車として呼称統一します。
今回ご紹介するタンク車は昭和63年度に導入された車両で、当時のタンク車は現在主流となる箱型構体とは異なり、ポンプ操作部や吸管等が露出する形となっていました。当年度では森田ポンプ(当時)1台、GMいちはら工業2台、日本機械工業1台、合計4台のタンク車が導入され、どれも試作的要素の高いタンク車となっておりましたが、その中でも日本機械工業で製造されたタンク車には帝国繊維製の「筒先自動制御システム」が搭載されていました。
※下記内容に関する資料を探したところ見つからないため、掲載内容は当時の記憶のみとなります。よって記載内容に本来と異なる点があるかもしれないことをご承知置き下さい。
個人的に筒先自動制御システムの導入搭載は名古屋市消防局発行の消防史で内容を知り、それを元に調査に出向いたところ、既に機器の運用はなされていませんでした。この筒先自動制御システムは本来、車両側で機関員が流量を調整するところを筒先員(ノズル)で制御しようとするシステムであり、また有線を配した特殊な消防ホースであったため、車両側に位置する機関員とホース先端側に位置する筒先員同士で通話(会話)も可能となっていたようです。有線入り消防ホースはシステムの運用廃止と共に廃棄されていたようです。
一方で車両の方も新製配置先の中消防署ではなく、北消防署飯田出張所の予備車となっていたため撮影の機会も無く、難しかったことを思い出します。
当時はいつも車庫にひっそりと佇み、いつ表に出るか分からない車両だからこそ、どうしたら最高の条件で撮影できるかを考えて行動しており、車庫から出される機会の少ない予備車を撮影するには毎年5月の下旬頃に市内各区で実施される「水防訓練(別名予備車フェス)」が絶好の機会でした。紹介する一部の写真も北区で実施された水防訓練で撮影されたものです。
余談ですが私自身の消防車両撮影における方針は新車でもなく、食い付きの良い珍しいといわれる車両でもありません。また一私感として「車庫から出して下さい」「赤色灯や前照灯を点けてください」というお願いは『私の行動範囲内における撮影において』は論外だと考えております。
ベースとなる車両は日産ディーゼルコンドル。車台はP-CL80Eで機関はEF6型。ポンプ型式は日機R3型(A-2級)。赤色警光灯も当年度からスピーカーが内蔵された三連続灯式となりました。
水槽容量は1,500L。所属を記した緑色の標識灯が「名消らしさ」を出しています。いまやこの緑色の標識灯もはしご車のみとなりました。ちなみに点滅と点灯の切替ができます。
こちらは北消防署飯田出張所で撮影させてもらった写真です。車両左側中央部の蓋を開けると筒先自動制御システムの操作盤が現れます。
筒先自動制御システムの操作盤です。
電源入切
マイク音量及びAUX切替調整
手元操作、遠距離操作の切替
機関回転速度の調整
各放口(吐水口)弁の開閉及び通話切替(1・3放口が車両右側 2・4放口が車両左側)
150L/450L/600Lの各流量切替
車両左側の放口(吐水口)、中継口及び給水口の配置です。
放口弁には2と4の数字が表示されています。
車両運転席右側には携帯無線機格納器が備わり、無線呼出名称板には新製配置先であった中消防署の表示がされている。
学生時代、そして社会人デビューしたてであった当時、もちろん好き好んで必死においかけた名古屋市消防局の消防車両を久しぶりに観察してみました。今思えば警光灯類に現在のような高輝度LEDなんてものはなく、ハロゲン球を光源に赤色カバー内に設置された反射鏡をクルクル回転させて光を拡散する赤色散光灯が主流だった時代だったのですね。
当時の情報源といえば図書館、そして現物。その現物という実際目に入ってきたものに興味を示し、様々なことを教えてくれる先生はすべて消防職員でした。このように記事にできたことも含め、感謝しております。
現在の撮影主軸は防災航空隊(防災ヘリ)へと移り変わりましたが、それは消防車両を撮影していた土台(過去)があったからこそ。防災ヘリ撮影を通じて新しい仲間も増えましたが、消防車で繋がった仲間はその時代と変わりません。
このウェブログのタイトルである「nagoya-fe」とは名古屋の消防車(fire engine)という意味で名付けました。久しぶりに名古屋の消防車に関する記事が投稿できてよかったかな。
Exifデータから以下の内容が判明したので記載しておく。
※使用機材
富士フイルムFinePix2700
オリンパスC-700UZ
※撮影情報
全体写真2003年5月
車庫内写真2002年5月
操作盤写真2000年4月