
写真はカインズの屋上からです。(わかる人しか、わからない~)
たんぽぽ舎より以下抜粋しました。
★5.そうだ、デモに行こう!
デモは主権者である国民にとっての権利です
デモ以外にも手段があります。そもそも選挙がある
しかし、デモがなければそれらは機能しません
※「9・11原発やめろデモ」でのスピーチより。
タイトルは編集部によります。
柄谷 行人
私は四月から反原発のデモに参加しています。この新宿駅前の集会にも、
6・11のデモで来ています。
私はデモに行くようになってから、デモに関していろいろ質問を受けるよう
になりました。それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「デモをして
社会を変えられるのか」というような質問です。それに対して、私はこのよう
に答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。な
ぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わ
るからです。
考えてみてください。今年の三月まで、日本には沖縄をのぞいて、ほとんど
デモがなかった。それが現在、日本中でデモが行われるようになっています。
その意味で、日本の社会は、少しは変わったわけです。たとえば、福島原発事
故のようなことがドイツやイタリアで起こればどうなるか、あるいは、韓国で
起こればどうなるか。巨大なデモが国中に起こるでしょう。それに比べれば、
日本のデモは異様なほど小さい。しかし、それでも、デモが起こったというこ
とは救いです。
デモは主権者である国民にとっての権利です。デモができないなら、国民は
主権者ではない、といってもいい。たとえば、韓国では二〇年前までデモがで
きなかった。軍事政権があったからです。しかし、それを倒して、国民主権を
実現した。デモで倒したのです。そのような人たちがデモを手放すはずがあり
ません。
では、日本にはデモが少ないのか。なぜ、それが変なことだと思われている
のか。それは、国民主権を、自分の力で、闘争によって獲得したのではないか
らです。日本人は戦後、国民主権を得ました。しかし、それは敗戦によるもの
であり、事実上、占領軍によるものです。自分で得たのではなく、他人に与え
られたものです。では、これを自分自身のものにするためにどうすればよいの
か。デモをすること、です。
私が受けるもう一つの質問は、デモ以外にも手段があるのではないか、とい
うものです。確かに、デモ以外にも手段があります。そもそも選挙がある。そ
の他、さまざまな手段がある。しかし、デモが根本的です。デモがあるかぎ
り、その他の方法も有効である。デモがなければ、それらは機能しません。今
までと同じことになる。
さらに、私は、このままデモは下火になっていくのではないか、という質問
を受けます。戦後日本には全国的規模のデモが幾度かありました。しかし、そ
れは短期間しか続かず、敗北に終った。今回のデモもそうなるのではないか、
というのです。
確かにその恐れはあります。マスメディアでは、すでに福島の事故は片づい
た、ただちに経済復興に取り組むべきだ、という意見が強まっています。むろ
ん、そんなことはない。福島では、何も片づいていない。しかし、当局やメデ
ィアは、片づいたかのようにいっている。最初からそうでした。彼らは最初か
ら、事実を隠し、たいしたことがなかったかのように装ったのです。ある意味
で、それは成功しています。多くの人たちがそれを信じている。そう信じたい
からです。としたら、今後に、反原発のデモが下火になっていくことは避けら
れない。――と、いうふうに見えます。
しかし、違います。福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づ
かない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島
の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れよ
うとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまで
も続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく
政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は
物理的に終り、です。
だから、私はこう信じています。第一に、反原発運動は長く続くというこ
と、です。第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力
となるだろう、ということです。
皆さん、ねばり強く戦いを続けましょう。
───────────────────────────────
貧困も広がって来ていますね。
交通費のかからない近場に参加しましょう。

たんぽぽ舎より以下抜粋しました。
★5.そうだ、デモに行こう!
デモは主権者である国民にとっての権利です
デモ以外にも手段があります。そもそも選挙がある
しかし、デモがなければそれらは機能しません
※「9・11原発やめろデモ」でのスピーチより。
タイトルは編集部によります。
柄谷 行人
私は四月から反原発のデモに参加しています。この新宿駅前の集会にも、
6・11のデモで来ています。
私はデモに行くようになってから、デモに関していろいろ質問を受けるよう
になりました。それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「デモをして
社会を変えられるのか」というような質問です。それに対して、私はこのよう
に答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。な
ぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わ
るからです。
考えてみてください。今年の三月まで、日本には沖縄をのぞいて、ほとんど
デモがなかった。それが現在、日本中でデモが行われるようになっています。
その意味で、日本の社会は、少しは変わったわけです。たとえば、福島原発事
故のようなことがドイツやイタリアで起こればどうなるか、あるいは、韓国で
起こればどうなるか。巨大なデモが国中に起こるでしょう。それに比べれば、
日本のデモは異様なほど小さい。しかし、それでも、デモが起こったというこ
とは救いです。
デモは主権者である国民にとっての権利です。デモができないなら、国民は
主権者ではない、といってもいい。たとえば、韓国では二〇年前までデモがで
きなかった。軍事政権があったからです。しかし、それを倒して、国民主権を
実現した。デモで倒したのです。そのような人たちがデモを手放すはずがあり
ません。
では、日本にはデモが少ないのか。なぜ、それが変なことだと思われている
のか。それは、国民主権を、自分の力で、闘争によって獲得したのではないか
らです。日本人は戦後、国民主権を得ました。しかし、それは敗戦によるもの
であり、事実上、占領軍によるものです。自分で得たのではなく、他人に与え
られたものです。では、これを自分自身のものにするためにどうすればよいの
か。デモをすること、です。
私が受けるもう一つの質問は、デモ以外にも手段があるのではないか、とい
うものです。確かに、デモ以外にも手段があります。そもそも選挙がある。そ
の他、さまざまな手段がある。しかし、デモが根本的です。デモがあるかぎ
り、その他の方法も有効である。デモがなければ、それらは機能しません。今
までと同じことになる。
さらに、私は、このままデモは下火になっていくのではないか、という質問
を受けます。戦後日本には全国的規模のデモが幾度かありました。しかし、そ
れは短期間しか続かず、敗北に終った。今回のデモもそうなるのではないか、
というのです。
確かにその恐れはあります。マスメディアでは、すでに福島の事故は片づい
た、ただちに経済復興に取り組むべきだ、という意見が強まっています。むろ
ん、そんなことはない。福島では、何も片づいていない。しかし、当局やメデ
ィアは、片づいたかのようにいっている。最初からそうでした。彼らは最初か
ら、事実を隠し、たいしたことがなかったかのように装ったのです。ある意味
で、それは成功しています。多くの人たちがそれを信じている。そう信じたい
からです。としたら、今後に、反原発のデモが下火になっていくことは避けら
れない。――と、いうふうに見えます。
しかし、違います。福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づ
かない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島
の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れよ
うとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまで
も続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく
政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は
物理的に終り、です。
だから、私はこう信じています。第一に、反原発運動は長く続くというこ
と、です。第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力
となるだろう、ということです。
皆さん、ねばり強く戦いを続けましょう。
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貧困も広がって来ていますね。
交通費のかからない近場に参加しましょう。
