写真は2016年、4月4日、韓国の済州島(テジュド)にて。4・3事件のメモリアル。
以下たんぽぽ舎から転載します。
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┗■2.韓国大法院の判決を受けて 戦後補償 解決への道 (上)
| 求められる慎みと節度−歴史問題の解決について
| 加害者の不可欠なこと 花岡、西松、三菱マテリアルの和解に学ぶ
└────内田雅敏さん(たんぽぽ舎アドバイザー 東京弁護士会所属)
内田雅敏さん (花岡事件、西松建設、三菱マテリアルの各戦後補償裁判
和解に中国人側代理人として関与した。東京弁護士会所属)
〇戦時中、日本製鉄(現新日鉄住金)で強制労働させられた元徴用工が同社
に損害賠償を求めた裁判で、韓国大法院(最高裁)は同社に賠償を命じる確
定判決を出した。
判決に対する日本社会の反応はおおむね批判的だ。1965年の日韓請求権
協定で決着済みであり、判決は国家間の合意に反するとの声がしきりである。
だが国家の請求権と個人の請求権は別、放棄されたのは外交保護権であ
り、日韓請求権協定は個人の請求権には及ばないとする法論理もあるし、
それが日本政府の見解であったはずだ。
「国家間の合意」には無条件で従わなくてはならないのか。
沖縄・辺野古の米軍新基地建設反対も、日米間でなされた普天間基地移
設に関する国家間の合意に反するから許されないか。
辺野古新基地建設反対運動に多くの人々が共感するのは、普天間基地移
設と辺野古新基地建設という「国家間の合意」が沖縄県民の意思を無視し
てなされたからだ。
韓国大法院の判決についても同様だ。日本の植民地下での強制労働の実
態およびそれに対する謝罪と補償の欠如−日韓請求権協定当時の椎名悦三
郎外務大臣は、協定による有償・無償5億ドルについて無償の3億ドルは
賠償ではなく「独立祝い金」だと国会で答弁した−を直視すれば、「国家
間の合意」による解決済み論とはまた別な論も導き出される。
歴史問題の解決には被害者の寛容が必要だが、そのためには加害者の慎
みと節度が不可欠だ。
〇深化する和解内容−花岡事件の和解、西松建設の和解、
三菱マテリアル和解
強制労働問題は韓国人だけでなく中国人についてもあった。アジア・太
平洋戦争の長期化の中で、1942年、東条英機内閣は中国大陸から中国人を
日本国内に連行し、鉱山、ダム建設現場などで労働させることを企て、
「華人労務者移入に関する件」を閣議決定した。
これに基づき1944年8月から翌1945年5月までに3万8935人の中国人を
日本に強制連行し、135の事業場で強制労働させた。過酷な労働により、日
本の敗戦に至るまでの間に6830人が亡くなった。
戦後もこれらの受難者・遺族に対する日本国家・使役企業からの謝罪、
賠償はなされなかった。
1972年の日中共同声明で中国側の賠償請求権は放棄されており、日韓請
求権協定と同様、「国家間の合意」により解決済みと強弁されてきたのだ。
中国人強制連行・強制労働問題に関しては中国側受難者・遺族およびそ
れを支える日本側支援者の裁判闘争を含む長年にわたる闘いの結果、2000
年の花岡事件(鹿島建設)和解、2009年の西松建設和解(新潟県内の事業所分
は翌年和解)、2016年の三菱マテリアル和解などが成立した。
花岡和解があったから西松和解が成立した。三菱マテリアル和解は前2
つの和解があったからこそ成立した。前の和解を教訓とし、不十分さを克
服し、より良いものとしてきたのである。
花岡和解に際しては、故土井たか子氏、故後藤田正晴氏らの剛腕という
陰の助力があった。西松裁判では2004年7月、広島高裁(鈴木敏之裁判長)
が高裁レベルで初めて中国人受難者・遺族を勝訴させた。
最高裁第二小法廷は2007年4月に高裁判決を破棄したが、被害の重大性
を考えるとき当事者間の自発的解決が望ましい−と判決で付言した。西松
の近藤晴貞新社長はこの付言を受けて和解を決断した。 (下)に続く
(出典:「秋田さきがけ」2018.11.14)
※《事故情報編集部》より
2月24日(日)たんぽぽ舎第31回総会の記念講演において、内田雅敏弁護
士より 『3・1独立運動を建国の礎とする韓国とどう向き合うか』の
テーマでお話しいただく予定です。
こちらにもぜひご参加をお願いいたします。
以下たんぽぽ舎から転載します。
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┗■2.韓国大法院の判決を受けて 戦後補償 解決への道 (上)
| 求められる慎みと節度−歴史問題の解決について
| 加害者の不可欠なこと 花岡、西松、三菱マテリアルの和解に学ぶ
└────内田雅敏さん(たんぽぽ舎アドバイザー 東京弁護士会所属)
内田雅敏さん (花岡事件、西松建設、三菱マテリアルの各戦後補償裁判
和解に中国人側代理人として関与した。東京弁護士会所属)
〇戦時中、日本製鉄(現新日鉄住金)で強制労働させられた元徴用工が同社
に損害賠償を求めた裁判で、韓国大法院(最高裁)は同社に賠償を命じる確
定判決を出した。
判決に対する日本社会の反応はおおむね批判的だ。1965年の日韓請求権
協定で決着済みであり、判決は国家間の合意に反するとの声がしきりである。
だが国家の請求権と個人の請求権は別、放棄されたのは外交保護権であ
り、日韓請求権協定は個人の請求権には及ばないとする法論理もあるし、
それが日本政府の見解であったはずだ。
「国家間の合意」には無条件で従わなくてはならないのか。
沖縄・辺野古の米軍新基地建設反対も、日米間でなされた普天間基地移
設に関する国家間の合意に反するから許されないか。
辺野古新基地建設反対運動に多くの人々が共感するのは、普天間基地移
設と辺野古新基地建設という「国家間の合意」が沖縄県民の意思を無視し
てなされたからだ。
韓国大法院の判決についても同様だ。日本の植民地下での強制労働の実
態およびそれに対する謝罪と補償の欠如−日韓請求権協定当時の椎名悦三
郎外務大臣は、協定による有償・無償5億ドルについて無償の3億ドルは
賠償ではなく「独立祝い金」だと国会で答弁した−を直視すれば、「国家
間の合意」による解決済み論とはまた別な論も導き出される。
歴史問題の解決には被害者の寛容が必要だが、そのためには加害者の慎
みと節度が不可欠だ。
〇深化する和解内容−花岡事件の和解、西松建設の和解、
三菱マテリアル和解
強制労働問題は韓国人だけでなく中国人についてもあった。アジア・太
平洋戦争の長期化の中で、1942年、東条英機内閣は中国大陸から中国人を
日本国内に連行し、鉱山、ダム建設現場などで労働させることを企て、
「華人労務者移入に関する件」を閣議決定した。
これに基づき1944年8月から翌1945年5月までに3万8935人の中国人を
日本に強制連行し、135の事業場で強制労働させた。過酷な労働により、日
本の敗戦に至るまでの間に6830人が亡くなった。
戦後もこれらの受難者・遺族に対する日本国家・使役企業からの謝罪、
賠償はなされなかった。
1972年の日中共同声明で中国側の賠償請求権は放棄されており、日韓請
求権協定と同様、「国家間の合意」により解決済みと強弁されてきたのだ。
中国人強制連行・強制労働問題に関しては中国側受難者・遺族およびそ
れを支える日本側支援者の裁判闘争を含む長年にわたる闘いの結果、2000
年の花岡事件(鹿島建設)和解、2009年の西松建設和解(新潟県内の事業所分
は翌年和解)、2016年の三菱マテリアル和解などが成立した。
花岡和解があったから西松和解が成立した。三菱マテリアル和解は前2
つの和解があったからこそ成立した。前の和解を教訓とし、不十分さを克
服し、より良いものとしてきたのである。
花岡和解に際しては、故土井たか子氏、故後藤田正晴氏らの剛腕という
陰の助力があった。西松裁判では2004年7月、広島高裁(鈴木敏之裁判長)
が高裁レベルで初めて中国人受難者・遺族を勝訴させた。
最高裁第二小法廷は2007年4月に高裁判決を破棄したが、被害の重大性
を考えるとき当事者間の自発的解決が望ましい−と判決で付言した。西松
の近藤晴貞新社長はこの付言を受けて和解を決断した。 (下)に続く
(出典:「秋田さきがけ」2018.11.14)
※《事故情報編集部》より
2月24日(日)たんぽぽ舎第31回総会の記念講演において、内田雅敏弁護
士より 『3・1独立運動を建国の礎とする韓国とどう向き合うか』の
テーマでお話しいただく予定です。
こちらにもぜひご参加をお願いいたします。