ネット上では相変わらず、私のなりすましさんや、
誹謗中傷いやがらせバカバカネトウコメントが来ていますが、
誤解を解くためにも、
いちおう自分のことなので、紹介しておきましょう。
友人関係には、新聞記事の評判はいいようです(笑)
松平さんとピースバラのおかげです。ありがとうございました。
東京新聞より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20100104/CK2010010402000065.html
相模原協奏曲<3>基地の街で 平和どう伝えれば
2010年1月4日
小牧さんが見つめる自宅の薄黄色のバラ「ピース」。花は春と秋を中心に咲くという=相模原市星が丘で
写真
バラの苗に掛かった「ピース」の名札に、ふと目が留まった。
二〇〇四年二月、JR相模原駅前にある花屋の店頭。主婦小牧みどりさん(57)=相模原市星が丘=は迷わず苗を買った。〇一年九月の米中枢同時テロや、〇三年三月のイラク戦争開戦が頭に浮かんだ。あらためて「平和」の文字を心に刻んだ。
同市には、かつて旧日本軍による軍都計画があった。市内の旧陸軍施設は戦後、大半が米軍に接収され、基地となった。基地返還は進みつつあるが、今なお相模総合補給廠(しょう)とキャンプ座間、米軍住宅の計約四百四十六ヘクタールが残る。小牧さんの自宅は旧陸軍造兵廠職員住宅の跡地にある。星が丘の地名は、旧陸軍の星の印に由来するという。
苗は自宅の玄関わきに植えた。花が咲いたのは、その年五月。憲法記念日だった。夏には、バラの背後に憲法九条の条文が書かれた手ぬぐいをかけた。
立ち止まり、九条を読む人もいた。「押し付けがましくなく、平和への願いを伝えられればと思った」
しかし、そんなささやかな願いは、米軍再編でキャンプ座間に米陸軍第一軍団前方司令部が移駐すると知らされ、吹き飛んだ。
〇五年秋、キャンプ座間正門前のバス停で毎週水曜日に行われる基地返還を求める座り込みに参加した。さらに、翌年春からは、相模原市役所前などで一人で訴え始めた。「PEACE」と書かれた旗を手にバス停で待つ人らと話した。「相模原は移住者が多いから、市内に基地があることを知らない人が案外多いと分かった。伝える大切さを感じた」
一方で、一人で訴え続けることは、緊張も強いられた。特定の団体からの勧誘もあった。右翼が自宅に押し掛けてきたこともあった。テレビ番組で自分なりの考えをしゃべった翌日、基地反対を訴えるため開設したブログがひぼう中傷のコメントで炎上した。「集団でのデモや抗議集会でなく、個人として意思表示できればと思った。でも、そんなことが何の役に立つのか。葛藤(かっとう)し、くたびれた」
結局、一人での意思表示は二年間で終わった。今は、キャンプ座間前で「バスストップから基地ストップの会」の仲間とともに座り込む。バス停前では、車の窓から手を振る人もいれば、クラクションを鳴らして嫌がらせをする人もいた。賛否双方の反響がある。
「ピース」の苗は植えてから五年たち、高さは二メートル近くになった。政令指定都市移行への関心は薄いが、移行で自立できる街になるとの考えには懐疑的だ。
「誰か任せでなく、一人一人が自分の責任で意思表示していくことが民主主義を育て、生きやすい社会につながるんだと思う」
(松平徳裕)
<軍都計画> 太平洋戦争前の1939年、軍需産業の高まりを受け、国が始めた都市建設計画。41年、上溝町、大野村など2町6村を合併し「相模原町」が誕生。幹線道路も整備され、人口10万人の都市を目指した。陸軍士官学校、陸軍兵器学校、相模陸軍造兵廠などが造られ、軍属職員らの住宅、公園なども整備されたが、終戦により、軍都計画は消滅した。
_________以上転載___________
松平さんは、ある日突然、ピンポンと玄関に現れました。
12月の寒い日、ふつうはバラの季節ではありません。
ピースバラが咲いてくれていて、よかったです。
5年も前に地域雑誌「あごら」に私が書いたピースバラの記事を、
松平さんは読んだのだそうです。
住所もわからずに探し当ててくれました。
記事は「ひとりで・・・」が強調されているようですが、
相模原市役所バス停意思表示は、ひとりの時は数えるほどで
10人くらいになったこともありました。
始める前には、記者クラブに行って、話題を提供しました。
最初に書いてくれたのは朝日、そして毎日、その他いろいろ。
東京新聞は、そのころは記者クラブにはいませんでしたね。
このブログのカテゴリにありますが、
相模原市役所前バス停なので、
市議会議員の参加も、よくありました。
金子さん、西村さん、岩本さん・・・ありがとうございました。
でも、共産党の女性議員は車で通りましたね。
私はあいさつしたのに、無視されました。
こういうところがね・・・。
わたしは、個を重んじ固有の価値観を持ちたいと思います。
共産主義ってなに?全体主義に限りなく近いように思います。
いずれにせよ、ただの主婦が「米軍再編」にめざめ、
自分にふさわしい反戦の意思表示の方法を、模索する時期でした。
今は、多くの人に支えられていると感じることが出来ます。
でも、NHK 出演以来、電話には未だにトラウマがあります。
なにしろヤジで番組をぶちこわしたのは、事実ですから。
私は協調性がなく、団体行動は苦手です。
自分の感受性くらい自分で・・といったのは詩人、芝木よし子でしたか?
あ、長くなってしまいました。やめます。
沖縄の旅の準備しなくっちゃ・・・まだ民宿が決まらないです。
24日の夜、名護市のどこかにいて、
市長選の選挙結果を知りたいんです。
カテゴリは基地でなく、星が丘ビンボー物語にしました(笑)
環境ランキングに参加しています。
ポチッと応援、よろしくお願いします。
いつも、ありがとうございます!
誹謗中傷いやがらせバカバカネトウコメントが来ていますが、
誤解を解くためにも、
いちおう自分のことなので、紹介しておきましょう。
友人関係には、新聞記事の評判はいいようです(笑)
松平さんとピースバラのおかげです。ありがとうございました。
東京新聞より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20100104/CK2010010402000065.html
相模原協奏曲<3>基地の街で 平和どう伝えれば
2010年1月4日
小牧さんが見つめる自宅の薄黄色のバラ「ピース」。花は春と秋を中心に咲くという=相模原市星が丘で
写真
バラの苗に掛かった「ピース」の名札に、ふと目が留まった。
二〇〇四年二月、JR相模原駅前にある花屋の店頭。主婦小牧みどりさん(57)=相模原市星が丘=は迷わず苗を買った。〇一年九月の米中枢同時テロや、〇三年三月のイラク戦争開戦が頭に浮かんだ。あらためて「平和」の文字を心に刻んだ。
同市には、かつて旧日本軍による軍都計画があった。市内の旧陸軍施設は戦後、大半が米軍に接収され、基地となった。基地返還は進みつつあるが、今なお相模総合補給廠(しょう)とキャンプ座間、米軍住宅の計約四百四十六ヘクタールが残る。小牧さんの自宅は旧陸軍造兵廠職員住宅の跡地にある。星が丘の地名は、旧陸軍の星の印に由来するという。
苗は自宅の玄関わきに植えた。花が咲いたのは、その年五月。憲法記念日だった。夏には、バラの背後に憲法九条の条文が書かれた手ぬぐいをかけた。
立ち止まり、九条を読む人もいた。「押し付けがましくなく、平和への願いを伝えられればと思った」
しかし、そんなささやかな願いは、米軍再編でキャンプ座間に米陸軍第一軍団前方司令部が移駐すると知らされ、吹き飛んだ。
〇五年秋、キャンプ座間正門前のバス停で毎週水曜日に行われる基地返還を求める座り込みに参加した。さらに、翌年春からは、相模原市役所前などで一人で訴え始めた。「PEACE」と書かれた旗を手にバス停で待つ人らと話した。「相模原は移住者が多いから、市内に基地があることを知らない人が案外多いと分かった。伝える大切さを感じた」
一方で、一人で訴え続けることは、緊張も強いられた。特定の団体からの勧誘もあった。右翼が自宅に押し掛けてきたこともあった。テレビ番組で自分なりの考えをしゃべった翌日、基地反対を訴えるため開設したブログがひぼう中傷のコメントで炎上した。「集団でのデモや抗議集会でなく、個人として意思表示できればと思った。でも、そんなことが何の役に立つのか。葛藤(かっとう)し、くたびれた」
結局、一人での意思表示は二年間で終わった。今は、キャンプ座間前で「バスストップから基地ストップの会」の仲間とともに座り込む。バス停前では、車の窓から手を振る人もいれば、クラクションを鳴らして嫌がらせをする人もいた。賛否双方の反響がある。
「ピース」の苗は植えてから五年たち、高さは二メートル近くになった。政令指定都市移行への関心は薄いが、移行で自立できる街になるとの考えには懐疑的だ。
「誰か任せでなく、一人一人が自分の責任で意思表示していくことが民主主義を育て、生きやすい社会につながるんだと思う」
(松平徳裕)
<軍都計画> 太平洋戦争前の1939年、軍需産業の高まりを受け、国が始めた都市建設計画。41年、上溝町、大野村など2町6村を合併し「相模原町」が誕生。幹線道路も整備され、人口10万人の都市を目指した。陸軍士官学校、陸軍兵器学校、相模陸軍造兵廠などが造られ、軍属職員らの住宅、公園なども整備されたが、終戦により、軍都計画は消滅した。
_________以上転載___________
松平さんは、ある日突然、ピンポンと玄関に現れました。
12月の寒い日、ふつうはバラの季節ではありません。
ピースバラが咲いてくれていて、よかったです。
5年も前に地域雑誌「あごら」に私が書いたピースバラの記事を、
松平さんは読んだのだそうです。
住所もわからずに探し当ててくれました。
記事は「ひとりで・・・」が強調されているようですが、
相模原市役所バス停意思表示は、ひとりの時は数えるほどで
10人くらいになったこともありました。
始める前には、記者クラブに行って、話題を提供しました。
最初に書いてくれたのは朝日、そして毎日、その他いろいろ。
東京新聞は、そのころは記者クラブにはいませんでしたね。
このブログのカテゴリにありますが、
相模原市役所前バス停なので、
市議会議員の参加も、よくありました。
金子さん、西村さん、岩本さん・・・ありがとうございました。
でも、共産党の女性議員は車で通りましたね。
私はあいさつしたのに、無視されました。
こういうところがね・・・。
わたしは、個を重んじ固有の価値観を持ちたいと思います。
共産主義ってなに?全体主義に限りなく近いように思います。
いずれにせよ、ただの主婦が「米軍再編」にめざめ、
自分にふさわしい反戦の意思表示の方法を、模索する時期でした。
今は、多くの人に支えられていると感じることが出来ます。
でも、NHK 出演以来、電話には未だにトラウマがあります。
なにしろヤジで番組をぶちこわしたのは、事実ですから。
私は協調性がなく、団体行動は苦手です。
自分の感受性くらい自分で・・といったのは詩人、芝木よし子でしたか?
あ、長くなってしまいました。やめます。
沖縄の旅の準備しなくっちゃ・・・まだ民宿が決まらないです。
24日の夜、名護市のどこかにいて、
市長選の選挙結果を知りたいんです。
カテゴリは基地でなく、星が丘ビンボー物語にしました(笑)
環境ランキングに参加しています。
ポチッと応援、よろしくお願いします。
いつも、ありがとうございます!
http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&order=DESC&topic_id=1327&forum=1
静かに何かを見つめることの大切さを考えることが出来る記事ですね。
たぶん、この日本のなかで同じような想いをもって
何処かで誰かが平和を育んでいるんだなぁ~・・・・
と思うことができます。
個が自分流に意思表示をしていくことが大切と思うと同時に
他の人へ向ける眼差しもまた温もりのある自分でありたいです。
今年は、正念場!頑張りましょう!!
>他の人へ向ける眼差しもまた温もりのある自分でありたいです。
おっしゃるとおりですね。
人のやっていることに、いちいちケチをつける人ほど、自分ではやっていなかったりして・・・
でも、意思表示できる人は強い人です。
時間的にも恵まれているし、まだ経済的にも恵まれているのだと思います。
だから、出来ない人のぶんもがんばりたいと思います。
おそらく、この記事に異議あり、と思う人もいると思います。
誤解もあるかも知れません。
ウヨクとかサヨクとかいうのも、違うかも知れません。
この記事は、わたしだけでなく、
多くの人の励ましになると、私は思います。
さあ、沖縄旅行の準備です。
21日、22日は那覇にいます。
23日、24日名護です。