ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

星が丘貧乏物語

2008年11月13日 09時17分55秒 | 星が丘ビンボー物語
相模原で生まれ育った私には、米軍基地があるのは当たり前のふつうの光景だった。むしろ、子供のころは相模補給廠の中で遊んでいた記憶がある。祖父も父も補給廠の中の労働者だった。となりのおばさんは、基地のなかの住宅に生け花を教えに行っていた。めずらしい食べ物をもらってきて、おすそわけしてもらい、私はいいところだなあと思っていた。敗戦のどさくさの貧しい労働者の暮らしだった。

米兵が馬に乗って、我が家の前を通っても、子供だったからか、コワイとも思わず、好奇心いっぱいだった。近所には「あいのこ」とよばれていた金髪の少年もいた。駅前にはネオンの店があった。今思い出すと、父などは卑屈な人間に見えるが、米兵の友人もいたようで、アメリカに帰国した米兵からクリスマスカードが来ていた。写真では基地内の工場の前で米兵と父が楽しそうに笑っている。そういう時代だった。基地とは何か、戦争とはなんだろうか。いまだに植民地化しているこの国とはなんだろうか。

写真展の写真を選んでいると、私はサヨクといわれているけれどウヨクではないかと思えてくる。今では貧困層なので右とか左ではなく、下、というのが正解だろうか。

           この写真は好きな写真だが、A4にするとどうだろうか。雨上がりの桜です。
           

           望地弁天の桜
           

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