ブーゲンビリアのきちきち日記

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世界初の地震学会を日本に作った英国人  はじめて体験した“恐怖”胸に刻み

2018年03月07日 12時08分31秒 | たんぽぽ舎
以下、たんぽぽ舎より転載______

┏┓ 
┗■3.世界初の地震学会を日本に作った英国人
 |  はじめて体験した“恐怖”胸に刻み
 |  警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 その238 
 └────島村英紀 (地球物理学者)

○世界で最初に地震学会が作られたのは日本だ。米国地震学会よりも30年
以上も早く、1880(明治13)年のことだ。ただし、作ったのは英国人だった。

 その英国人はジョン・ミルン。明治政府が数多く雇った「お雇い外国人」
の一人だった。ミルンは鉱山技師として日本に招待されていた。

 早急に西欧に追いつくために、明治時代には、外国人科学者や外国人教
師をお雇い外国人として高給を払って日本に招いた。その人数は8000人以
上もに及んだ。

○英国は地震がほとんどないところだ。小さな地震が起きれば大ニュース
になる。

 ミルンが来日して3年後の1880年2月22日に横浜で地震が起きた。いまか
らちょうど138年前になる。

 この地震のマグニチュード(M)は5.5と推定されている。震度は4くらい
だったと思われる。

 日本人にとっては、それほどの地震ではなかった。被害もいくつかの煙
突の破損や、家屋の壁が落ちた程度だった。

 明治時代の文明開化で西洋風の煉瓦建築が首都圏で増えてきていた。欧
州など地震がない国では、煉瓦造りとは煉瓦をたんに積んだだけの洋風建
築だ。それをそのまま真似た日本の洋風住宅や煙突が地震にいかに弱いも
のであるか、この地震で明らかになったのだ。

 起きたのは深夜1時ごろだったこともあり、ミルンたち横浜に住んでい
た外国人は肝を潰した。生まれてはじめて体験した地震だったのだ。

 この恐怖を胸に刻み込んだミルンは世界最初の地震学会を作った。当時
の会員は117人だったが、日本人の関心は高くはなく日本人は37人しかいな
かった。

○その後、もっと大きな地震が起きた。1894(明治27)年の「明治東京地
震」だ。この地震はM7.0とずっと大きかった。

 東京や横浜などでは震度6の揺れに襲われ、31名の犠牲者を出した。当
時は震度7はまだなかった。つまり最大の震度だった。

 横浜の地震に続いて起きたこの地震は、日本の耐震建築の一里塚になっ
た。西洋から導入した建築とはちがうものが必要とされるようになったの
である。

 震源は東京湾の北部だと推定されている。大きな地震の割に犠牲者がこ
のくらいの数ですんだのは、この地震の震源が直下型地震としてはかなり
深いものだったためだと思われている。

 首都圏の地下に東から潜り込んでいる太平洋プレートと首都圏が載って
いる北米プレートの間に、さらに三つ目として南から潜り込んでいるフィ
リピン海プレート内で起きた地震ではないかと思われている。

 つまり明治東京地震は複雑なプレートの動きが起こした首都圏直下でし
か起きない地震だった。

○震源が浅い安政江戸地震(1855年)のような直下型地震ももちろん首都圏
でも起きる。この地震は震源が浅かったので約1万人の犠牲者を出す大被
害を生んだ。

 他の地域でも起きる地震に加えて、首都圏の地下には、さまざまな深さ
の直下型の地震が起きる可能性があるのだ。

  (島村英紀さんのHP http://shima3.fc2web.com/
  「島村英紀が書いた『夕刊フジ』のコラム」より3月2日の記事)



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